その2 遍路の動機
遍路には動機をきかないことになっていますが、じつは野次馬根性でお互い遍路同士もそこが一番知りたくて興味津々なのです。結論をさきにいえば、お大師様との縁が熟した者が遍路できることになるのですが、そこに思い至る前の直接の動機はさまざまです。
12番焼山寺下の遍路宿のノートに多くの人の遍路の動機が記されてありましたので紹介します。
「主人を亡くして6日目、家で耐えるのが悲しくてお遍路に出た。
2人で回ろうねと言っていたのに・・・。苦しかったろう主人のことを思うと足の痛さ肩の痛さなどなんでもない。
お骨と位牌をしょってがんばります。(63歳)」
「私の祖父は18年前自ら命を絶ちました。
亡くなったあとはもっと苦しんでいると先達さんから聞きました。
お大師様におすがりして祖父を少しでも光のあるところに導いて頂きたく女3人で先達さんと回っています。」
「会社がしんどい。
でも知り合いがいなくて会社という世界しか知らない。
でも自分はどうしたいんだろう?
じぶんの道を考えるため週末にお遍路をはじめました。
そして気が付いたこと。私の悩みってなんて小さいんだろう。
遍路転がしと言われる急な山道を6時間半登ってやっとたどり着いた焼山寺山門のなんと美しいこと。
目標があると人は思いもよらず大きなパワーがでるんだ。
人生も・・・と気付かせていただきました。」
「自分の人生にいきずまりお四国にきました。
一番札所に着いたとき今までたまっていたものが込み上げてきて涙が止まりませんでした。
そんな私に札所のみなさんが「絶対死んだらあかんよ」と優しくお接待してくれました。
ありがとうございました。ちゃんとお参りしてお借りした金剛杖をお返しして元気な顔をおみせできるよう道中がんばります。(27歳女)」
「うつ病が嵩じて彼女を殺して自分も死のうと思うところまでいきましたが精神科にかかり薬でおさえています。薬をのみつつここまできました。
お遍路にきてよかった。歩きながら毎日感謝の連続です。
今日ここまで生かせて頂いた家族、お大師様、お接待していただいた方々すべてに感謝します。」
「夫婦で6度目の歩きへんろです。感謝の日々です。夫63歳、妻59歳」
「夫婦できました。
足にマメができて家内に引っぱられています。
私が家内をひっぱるつもりできたのですが反対になりました。
振り返るとこれまで長い歳月どれだけ助けてもらってきたことか。
感謝の念でいっぱいになるほど心がたかぶっています(夫66歳妻56歳)。」
雲辺寺下の遍路宿には以下のような記録がありました。
「2009・9・5、阪神淡路地震被災二日後に結婚し新婚旅行代わりに遍路に来たことがある。その後、子供ができ下の子が小学校に上がったので今回逆打遍路に来た。子供が「あっ、カメさんがいる」とか「毛虫がいた」とかいって立ち止まるのでのんびりと遍路をやっています。」
「2010・1、新婚旅行に遍路に来た。絆が深まった。周りの人が幸せでありますように、28歳、27歳」
「2010・4、歩き遍路は初めて。歩き始めて37日目。どうしてこんなに苦労をして歩かなければならないのか、自問してしまうが、歩き始めて分かったことは、優しい四国の皆さん・大きな心・大きな自然、感謝感謝の気持ちです」
「2011・3・10、昨年41年間務めた会社を退職、実家の父母が何回か八十八か所を回っていたので退職を機に実践した。」
「2011・11、七十六歳、十五回目の遍路」
「2011・12・28、いろいろあった一年だった。つらいことも悲しいことも、このお遍路で吹っ飛んだ気がする。新しい気持ちで新年を迎えられそうな気持がする。」
「2012・1・8、初めての遍路で逆打をしています。結願して大師にお会いしてきます。」
「2012・4、八十二歳の現役助産婦です。」
「2012・5・8、福島の原発事故被災者。原発から三キロで帰宅できない。気持ちの整理と全世界からの支援への感謝を込めて遍路している。」
「2013、京都から自転車できて回っている。七〇歳」
「2014・4、夫を亡くしてからは一人で車を遠くまで走らせることが多くなった。札所を一人、車で回っています。苦しむことなく旅立った夫へのお礼の旅です。」
「2014・4・19、痛風で歩けなかったが、三角寺から雲辺寺までの長い道のりを歩いても痛くなかった。不思議です。結願まで一歩一歩あるき続けます。『百薬にまさる遍路に出でにける』と地蔵時の石碑に彫ってありました。六五歳」
「2015・1・31、近しい人の奥様が突然死んだ。人生においては出会いは別れを運命つ゛けるものだ。わたしもいつの日か自分自身に別れを告げる日が来る。その日がいつになるかはわからないが、今を精一杯生きることだ。2016年の逆打は大変ご利益のある年と聞く。大師や死者にも会えるという。私は母に会いたい。来年は逆打で来る予定です。」
「2015・4・18、東日本大震災では全国の皆さんから多大のご支援を頂いた。感謝を込めて、物故者諸精霊供養のため回っている。自治会では三分の二にあたる70戸の家屋が流出、16名が死亡した。気仙沼市」
まさに人生が凝縮されていて汲めども尽きない味わいがあります。
かくいう自分自身はいままでの人生のお礼、今後の仏道成就、先祖や有縁無縁の霊の供養、知人達の病気平癒などを祈りました。親類や俗世でお世話になった数十軒のリストを持参しそれらの家族の幸せもお願いしました。人生を振り返ると、仮死状態で生まれたこと、高校のとき交通事故で自転車ごと空中に跳ね上げられてもかすり傷も付か無かったこと、寺を継がず上京しての無頼の生活も無事だったこと、その後の俗世の仕事もそれなりの結果を出せたこと。また私生活においても本当にいい縁者の方々に恵まれたこと、これらすべてお大師様のお蔭でありお礼を第一にしました。そのほか縁ある故人の冥福を祈り、恩義のある人々の幸福を祈り、縁者の病気平癒、愚息の大成祈願等をしました。ただ回っているうち段々無心に拝むだけとなりましたが・・・。そして本当に有難いことに願いのすべてが聞き届けられたのです。自分に関することは時間がかかりましたが。そしてなにより有難いことは願いの聞き届けられる秘訣が分かったことです。この遍路記ではこの秘訣を最終章に向けて徐々に展開していきます。仏様はみな苦悩する衆生を助けるため出現されています。お経もみな衆生済度のため書かれています。お大師様のかかれた「秘蔵宝鑰」には「仏法は障りを愍んでおこる。この故に聖人の世に出こと必ず慈悲によるなり。」(仏教は人々がさまざまな人生の障害に遭っているのを哀れんでおこり、お釈迦様をはじめとする聖人は衆生を哀れんで助けるためにこの世に出現されている)とあります。法華経譬喩品にも有名な言葉があります。「今、この三界は、皆これ我が有なり、其の中の衆生は、悉くこれ吾が子なり、しかも今此処は多くの患難あり、唯だ我れひとりのみ、能く救護をなすなり」(この世の衆生はみな苦悩しているが仏様だけがよく救うことが出来る)というものです。
現世利益は悟りへ導くためです。 現世利益を受けた人は一身を擲って他者の為の菩薩行に務めるし、より高い本来の悟りを求め精進するようになるのです。現世利益は出口ではなく入り口なのだということも実感できました。
遍路には動機をきかないことになっていますが、じつは野次馬根性でお互い遍路同士もそこが一番知りたくて興味津々なのです。結論をさきにいえば、お大師様との縁が熟した者が遍路できることになるのですが、そこに思い至る前の直接の動機はさまざまです。
12番焼山寺下の遍路宿のノートに多くの人の遍路の動機が記されてありましたので紹介します。
「主人を亡くして6日目、家で耐えるのが悲しくてお遍路に出た。
2人で回ろうねと言っていたのに・・・。苦しかったろう主人のことを思うと足の痛さ肩の痛さなどなんでもない。
お骨と位牌をしょってがんばります。(63歳)」
「私の祖父は18年前自ら命を絶ちました。
亡くなったあとはもっと苦しんでいると先達さんから聞きました。
お大師様におすがりして祖父を少しでも光のあるところに導いて頂きたく女3人で先達さんと回っています。」
「会社がしんどい。
でも知り合いがいなくて会社という世界しか知らない。
でも自分はどうしたいんだろう?
じぶんの道を考えるため週末にお遍路をはじめました。
そして気が付いたこと。私の悩みってなんて小さいんだろう。
遍路転がしと言われる急な山道を6時間半登ってやっとたどり着いた焼山寺山門のなんと美しいこと。
目標があると人は思いもよらず大きなパワーがでるんだ。
人生も・・・と気付かせていただきました。」
「自分の人生にいきずまりお四国にきました。
一番札所に着いたとき今までたまっていたものが込み上げてきて涙が止まりませんでした。
そんな私に札所のみなさんが「絶対死んだらあかんよ」と優しくお接待してくれました。
ありがとうございました。ちゃんとお参りしてお借りした金剛杖をお返しして元気な顔をおみせできるよう道中がんばります。(27歳女)」
「うつ病が嵩じて彼女を殺して自分も死のうと思うところまでいきましたが精神科にかかり薬でおさえています。薬をのみつつここまできました。
お遍路にきてよかった。歩きながら毎日感謝の連続です。
今日ここまで生かせて頂いた家族、お大師様、お接待していただいた方々すべてに感謝します。」
「夫婦で6度目の歩きへんろです。感謝の日々です。夫63歳、妻59歳」
「夫婦できました。
足にマメができて家内に引っぱられています。
私が家内をひっぱるつもりできたのですが反対になりました。
振り返るとこれまで長い歳月どれだけ助けてもらってきたことか。
感謝の念でいっぱいになるほど心がたかぶっています(夫66歳妻56歳)。」
雲辺寺下の遍路宿には以下のような記録がありました。
「2009・9・5、阪神淡路地震被災二日後に結婚し新婚旅行代わりに遍路に来たことがある。その後、子供ができ下の子が小学校に上がったので今回逆打遍路に来た。子供が「あっ、カメさんがいる」とか「毛虫がいた」とかいって立ち止まるのでのんびりと遍路をやっています。」
「2010・1、新婚旅行に遍路に来た。絆が深まった。周りの人が幸せでありますように、28歳、27歳」
「2010・4、歩き遍路は初めて。歩き始めて37日目。どうしてこんなに苦労をして歩かなければならないのか、自問してしまうが、歩き始めて分かったことは、優しい四国の皆さん・大きな心・大きな自然、感謝感謝の気持ちです」
「2011・3・10、昨年41年間務めた会社を退職、実家の父母が何回か八十八か所を回っていたので退職を機に実践した。」
「2011・11、七十六歳、十五回目の遍路」
「2011・12・28、いろいろあった一年だった。つらいことも悲しいことも、このお遍路で吹っ飛んだ気がする。新しい気持ちで新年を迎えられそうな気持がする。」
「2012・1・8、初めての遍路で逆打をしています。結願して大師にお会いしてきます。」
「2012・4、八十二歳の現役助産婦です。」
「2012・5・8、福島の原発事故被災者。原発から三キロで帰宅できない。気持ちの整理と全世界からの支援への感謝を込めて遍路している。」
「2013、京都から自転車できて回っている。七〇歳」
「2014・4、夫を亡くしてからは一人で車を遠くまで走らせることが多くなった。札所を一人、車で回っています。苦しむことなく旅立った夫へのお礼の旅です。」
「2014・4・19、痛風で歩けなかったが、三角寺から雲辺寺までの長い道のりを歩いても痛くなかった。不思議です。結願まで一歩一歩あるき続けます。『百薬にまさる遍路に出でにける』と地蔵時の石碑に彫ってありました。六五歳」
「2015・1・31、近しい人の奥様が突然死んだ。人生においては出会いは別れを運命つ゛けるものだ。わたしもいつの日か自分自身に別れを告げる日が来る。その日がいつになるかはわからないが、今を精一杯生きることだ。2016年の逆打は大変ご利益のある年と聞く。大師や死者にも会えるという。私は母に会いたい。来年は逆打で来る予定です。」
「2015・4・18、東日本大震災では全国の皆さんから多大のご支援を頂いた。感謝を込めて、物故者諸精霊供養のため回っている。自治会では三分の二にあたる70戸の家屋が流出、16名が死亡した。気仙沼市」
まさに人生が凝縮されていて汲めども尽きない味わいがあります。
かくいう自分自身はいままでの人生のお礼、今後の仏道成就、先祖や有縁無縁の霊の供養、知人達の病気平癒などを祈りました。親類や俗世でお世話になった数十軒のリストを持参しそれらの家族の幸せもお願いしました。人生を振り返ると、仮死状態で生まれたこと、高校のとき交通事故で自転車ごと空中に跳ね上げられてもかすり傷も付か無かったこと、寺を継がず上京しての無頼の生活も無事だったこと、その後の俗世の仕事もそれなりの結果を出せたこと。また私生活においても本当にいい縁者の方々に恵まれたこと、これらすべてお大師様のお蔭でありお礼を第一にしました。そのほか縁ある故人の冥福を祈り、恩義のある人々の幸福を祈り、縁者の病気平癒、愚息の大成祈願等をしました。ただ回っているうち段々無心に拝むだけとなりましたが・・・。そして本当に有難いことに願いのすべてが聞き届けられたのです。自分に関することは時間がかかりましたが。そしてなにより有難いことは願いの聞き届けられる秘訣が分かったことです。この遍路記ではこの秘訣を最終章に向けて徐々に展開していきます。仏様はみな苦悩する衆生を助けるため出現されています。お経もみな衆生済度のため書かれています。お大師様のかかれた「秘蔵宝鑰」には「仏法は障りを愍んでおこる。この故に聖人の世に出こと必ず慈悲によるなり。」(仏教は人々がさまざまな人生の障害に遭っているのを哀れんでおこり、お釈迦様をはじめとする聖人は衆生を哀れんで助けるためにこの世に出現されている)とあります。法華経譬喩品にも有名な言葉があります。「今、この三界は、皆これ我が有なり、其の中の衆生は、悉くこれ吾が子なり、しかも今此処は多くの患難あり、唯だ我れひとりのみ、能く救護をなすなり」(この世の衆生はみな苦悩しているが仏様だけがよく救うことが出来る)というものです。
現世利益は悟りへ導くためです。 現世利益を受けた人は一身を擲って他者の為の菩薩行に務めるし、より高い本来の悟りを求め精進するようになるのです。現世利益は出口ではなく入り口なのだということも実感できました。