その22 大師三十七歳から五十歳ころ(弘仁年間、八百十から八百二十三9
・六道珍皇寺(京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595)「 珍皇寺の条第七十五、祖師慶俊僧都建立也。然れば門徒の内、能くこれを治める人寺の司の任じて、これを住持せしむべし云々」(大師行状集記)
・慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)弘仁7年(816年)、大師が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山に伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置かれました。また母君の玉依御前もここに住まわれ大師が月に九回お尋ねになったというので九度山と名ずけられ玉依御前が弥勒菩薩を信仰されていたので慈尊院というということです。
・弘福寺(ぐふくじ、旧川原寺、奈良県明日香村川原1109)大師はこの寺を高野往還の宿として嵯峨帝から下賜され、東寺長者は必ず当寺を治めるべき旨遺告されています。(弘法大師空海の御足跡)
・六道珍皇寺(京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595)「 珍皇寺の条第七十五、祖師慶俊僧都建立也。然れば門徒の内、能くこれを治める人寺の司の任じて、これを住持せしむべし云々」(大師行状集記)
・慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)弘仁7年(816年)、大師が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山に伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置かれました。また母君の玉依御前もここに住まわれ大師が月に九回お尋ねになったというので九度山と名ずけられ玉依御前が弥勒菩薩を信仰されていたので慈尊院というということです。
・弘福寺(ぐふくじ、旧川原寺、奈良県明日香村川原1109)大師はこの寺を高野往還の宿として嵯峨帝から下賜され、東寺長者は必ず当寺を治めるべき旨遺告されています。(弘法大師空海の御足跡)