Q,四天王様などの足元には邪鬼がいますがこれはどういう存在ですか?
A,仏教辞典、美術辞典などによると邪鬼とは四天王の足元に踏まれている異獣を言います。須弥山中腹に住み仏教を守護する四天王は竜王や鬼衆を従えるという経説により四天王の足元に邪鬼が表現されるようになったとされます。インドでは前二世紀のバールフット石柱四天王像足下にすでに邪鬼が表現されているとかかれていました。日本では623(推古三十一)年の法隆寺金堂四天王立像や東大寺戒壇院や法華堂の四天王像に邪鬼が表現されています。
なお東大寺法華堂や東寺講堂の四天王像は二鬼となっています。
兜跋毘沙門天が地天女とともに二邪鬼をふみつけている姿がありますがこの場合の二鬼は特に尼藍婆、毘藍婆といわれるようです。
また毘沙門様の腹部にある鬼面は海若(あまのじゃく)といわれ、のちに毘沙門様が踏みつけている鬼まで耐薫(あまのじゃく)とよばれました。
なお「あまのじゃく」は記紀にある『天探女』(あまのさぐめ)という人の心に逆らう神の転化とする解説がぶろぐにありました。
A,仏教辞典、美術辞典などによると邪鬼とは四天王の足元に踏まれている異獣を言います。須弥山中腹に住み仏教を守護する四天王は竜王や鬼衆を従えるという経説により四天王の足元に邪鬼が表現されるようになったとされます。インドでは前二世紀のバールフット石柱四天王像足下にすでに邪鬼が表現されているとかかれていました。日本では623(推古三十一)年の法隆寺金堂四天王立像や東大寺戒壇院や法華堂の四天王像に邪鬼が表現されています。
なお東大寺法華堂や東寺講堂の四天王像は二鬼となっています。
兜跋毘沙門天が地天女とともに二邪鬼をふみつけている姿がありますがこの場合の二鬼は特に尼藍婆、毘藍婆といわれるようです。
また毘沙門様の腹部にある鬼面は海若(あまのじゃく)といわれ、のちに毘沙門様が踏みつけている鬼まで耐薫(あまのじゃく)とよばれました。
なお「あまのじゃく」は記紀にある『天探女』(あまのさぐめ)という人の心に逆らう神の転化とする解説がぶろぐにありました。