福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その42

2014-06-11 | 四国八十八所の霊験
26番金剛頂寺から下に下りると行当岬があります。最御崎寺を東寺というのに対して、金剛頂寺が西寺と称されていることについて、故・五来重博士は、行当岬での行道がここでの修行であり、金剛頂寺(金剛界)と最御崎寺(胎蔵界)を合わせて金胎両部の修行とされていたのではないかと推測されているようです。行当岬には不動岩がありここの祠でお大師様が求聞持を修されたのではないかともいわれます。岩のうえには人がやっと歩けるかどうかという路があると聞きました。私は下の祠をお参りしただけでとてもこわくて岩の上には登れませんでしたが。私の尊敬するA師はこの行道岩の上を100日の行中毎朝這い回ったということです。故・五来重博士の説もむべなるかなという気がします。空性法親王四国霊場御巡行記にも「西寺(金剛頂寺)この山の磯辺にこそは名に立てる石ありとぞ聞く、・・」とあります。この岩の事を云ったのかもしれません。


当寺には天狗問答の伝承があり、納経所の壁にお大師様が天狗を足摺岬に退けたレリーフがあります。ここは大師が鎮護国家の寺としてお建てになっており、まさに当時はここから太平洋をにらんで国家鎮護の修法をされたのでしょう。密教辞典の『鎮護国家』には

「密教は特に鎮護国家の念を重んじ、後七日御修法、仁王経法、守護経法、大元帥法、二間観音供など鎮護国家のために修する法を伝え朝夕例時の勤行にもその祈願を怠らず。

台密には天皇ご即位灌頂、仁壽殿密行、温明殿念珠、日月両安鎮、紫宸殿鎮座、晨朝日没観行、二間夜居、後宮安産御受戒、皇帝御本命持念、敵国降伏秘法を鎮護国家の十箇秘法として尊重せり。」とありました。


大師の性霊集四「国家のために修法を請ふ表」には「・・城中城外に鎮国念珠の道場を建つ。佛国の風範、またかくのごとし、その将てきたるところの經法の中に仁王経・守護国界主経、佛母明王経等の念珠の法門有り。仏国王のために特にこの経をときたまふ。七難をさいめつし、四時を調和し、国を護り、家を守り、己を安んじ、他を安んず。このみちの秘妙の典なり。空海、師の授けを得といえども、いまだ練行することよくせず。伏してのぞむらくは国家の奉為に諸の弟子等を率いて高尾の山門にして来月一日より起首して法力の成就に至るまでに、且は教え、且は修せむ。望むらくは其の中間にして住処をいでずして、余の妨げを被らじ。蜉蝣(かげろう)の心体羊犬の神識なりといえども此の思ひ、此の願、常に心馬に策つ。況や復、我を覆ひ、我を載するは仁王の天地、目を開き、耳を開くは聖帝の医王なり。報ぜんと欲ひ、答へむと欲ふに極りなく、際無し。伏して乞ふらくは、昊天(空)款誠(まごころ)の心を監察したまへ。懇誠の至りに任へず。謹んで闕(宮廷)に詣でて奉う表、陳請以聞す。軽しく威厳を触がす。伏して戦越を深くす。  沙門空海誠惶誠恐謹言  弘仁元年十月二十七日 沙門空海上表」とあります。

いまでも鎮護国家の修法は密教僧の大切な行です。東寺の後七日御修法には金剛頂寺坂井御住職も出仕されていました。定額僧といいます。密教僧のあこがれです.
24年秋から震災、領土問題等を憂え、私も愚僧の身を顧みず仁王経法を修しています。
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