お釈迦様は生老病死の人生苦を見てその解決を目指されて当時修行者の集まる王舎城近辺へと旅立たれました。①、そしてそこでアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人の下で修業されましたがその境地に満足されずにそこを去られています。②その後六年間の苦行生活を送られますがそれも満足する結果を得られなかったので、③苦行を捨て菩提樹の下で修業され12月8日明け方明星の輝きをご覧になり覚られました。
ここでこの過程が問題です。①アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人のもとをなぜ去られたか。②そして次になぜ苦行も捨てられたか。ということです。
「仏教の思想」(大蔵出版)の「縁起の思想(坂本幸雄)」の要約です。「当時インド思想界には①転変説と②積聚説というのがあり、転変説というのは全宇宙がいかにして生じたかを考えるにあたり全宇宙を包む心=「梵」から万有が生じたと考えるもので、この梵と自分の心を一体として肉体を離れる為に禅定を修行するというものでした。お釈迦様が最初に出会われたアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人はこの主義でした。お釈迦様はこれでは禅定を修している間は心が肉体から離れて心の本性が現れるとしても禅定から出たときはまたもとに戻ってしまうと考えられました。②つぎに積聚説とうのは最初に梵のような一元的な存在を立てず、この世は多数の独立した存在が何らかの事情で結合して現実の世界を構成していると考えるもので、我々は地水火風空識の六要素で成立していると見るものです。この場合の修行方法は苦行となります。転変説は肉体はそのままにしておいて心を落ち着ける方法をとったのですが、積聚説は肉体を痛めつけて汚れた肉体から清い心を分離しようとするものでした。しかしこれも苦行を中止すると元に戻ってしまいます。お釈迦様が苦行も捨てられた理由はここにあります。
お釈迦様がアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人のもとを去られたのは転変説を否定されたことであり、また苦行を捨てられたことは積聚説も捨てられたことです。③では何を覚られたか、それは『縁起』です。かの転変説のように宇宙の第一原理としての梵を立てるのでもなく、積聚説のように宇宙構成要素として多元主義をとるのでもなく、この世界はすべて相依相資の関係の上に成り立っていると見るのです。経典には「これあれば、かれあり、かれあればこれあり」「それ縁起をみるものは法を見、法を見るものは縁起を見る」と説かれています。」
ここでこの過程が問題です。①アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人のもとをなぜ去られたか。②そして次になぜ苦行も捨てられたか。ということです。
「仏教の思想」(大蔵出版)の「縁起の思想(坂本幸雄)」の要約です。「当時インド思想界には①転変説と②積聚説というのがあり、転変説というのは全宇宙がいかにして生じたかを考えるにあたり全宇宙を包む心=「梵」から万有が生じたと考えるもので、この梵と自分の心を一体として肉体を離れる為に禅定を修行するというものでした。お釈迦様が最初に出会われたアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人はこの主義でした。お釈迦様はこれでは禅定を修している間は心が肉体から離れて心の本性が現れるとしても禅定から出たときはまたもとに戻ってしまうと考えられました。②つぎに積聚説とうのは最初に梵のような一元的な存在を立てず、この世は多数の独立した存在が何らかの事情で結合して現実の世界を構成していると考えるもので、我々は地水火風空識の六要素で成立していると見るものです。この場合の修行方法は苦行となります。転変説は肉体はそのままにしておいて心を落ち着ける方法をとったのですが、積聚説は肉体を痛めつけて汚れた肉体から清い心を分離しようとするものでした。しかしこれも苦行を中止すると元に戻ってしまいます。お釈迦様が苦行も捨てられた理由はここにあります。
お釈迦様がアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタの二人の仙人のもとを去られたのは転変説を否定されたことであり、また苦行を捨てられたことは積聚説も捨てられたことです。③では何を覚られたか、それは『縁起』です。かの転変説のように宇宙の第一原理としての梵を立てるのでもなく、積聚説のように宇宙構成要素として多元主義をとるのでもなく、この世界はすべて相依相資の関係の上に成り立っていると見るのです。経典には「これあれば、かれあり、かれあればこれあり」「それ縁起をみるものは法を見、法を見るものは縁起を見る」と説かれています。」