福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・その1

2018-10-01 | 四国八十八所の霊験
1章 はじめに 

その1 遍路記を書くに際して

「月日は百代の過客にしていきかふ人も旅人也、・・・予もいずれの年よりか片雲の風にさそわはれて漂泊のおもひやまず、・・・そぞろ神のものにつきて心をくるはせ道祖神のまねきにあひてとるものもてにつかず・・・」芭蕉の「奥の細道」の記述は私の気持ちそのものでした。

実家がミニ四国霊場の札所だったことや、若くして亡くなった母が熱心なお大師様信者だったことなどから四国遍路は物心ついて以来の夢でした。
しかし真言僧侶でありながら、俗世のしがらみに永く漬かっていたため、本四国をすべてお参りする縁にはなかなかめぐまれませんでした。代わりに、御府内88所、多摩88所、関東88所、神島88所、秩父34観音、坂東33観音などをおまいりしてきましたが、60歳にしてやっと機縁が熟して本四国をお参りできました。
平成17年秋に33日をかけて歩き遍路成満し、18年以降毎年区切打で計4回歩き遍路を成満しました。(阿波の国とそのほか少しの寺は30年ちかく以前、僧侶になりたてで歩いたので5回目ですし、60番から64番は縁あって10回は歩いています。)このときの有難い霊験と心境をないまぜて記録しておきたいとおもい書くことにしました。再度今回アップするに際して神仏一体の四国霊場であったこともすこしわかる範囲で書き加えました。

本来僧侶たるもの書き物などに時間を費やすよりも修行第一であるべきことはかの慈雲尊者の御母君が「ことを省き、縁をしりぞけ、日夜座禅修行を御心がけみずから生死を解脱してこの解脱をもって人をも利益なされわが身も善処へご誘引候へかし」と尊者に書き送られているとおりです。しかし有難いお蔭を記録しておきたいということと、またこれにより少しでも仏縁を広める契機になればと愚考し、恥を省みず書き残すことと致しました。
10年近く前に最初に四国遍路記をかいたときを思い出すと当時のほうがいまより心境が高かったことがわかりました。自分の退歩ぶりもこの四国遍路記を再度アップするにあたりひしひしと思い知らされています。やはり巡礼は續けるべきと改めて思いました。
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