福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

古来二月一日は特別の日でした

2024-02-01 | 法話

二月一日は古来特別の日とされていたということです。

年中行事覚書・柳田国男「二月朔日はことに名が多く、ならべ正月、重ね正月、正月ともヒシテ正月とも、またひと日正月ともいう処があって、この一日だけが多くは休みであった。太平洋に面した奥州一帯には、これをつたの年越とか、小松正月とかいう名が残っているが、その意味はまだはっきりしない。私などの想像では、もとは二月の八日という日の節供のために、もう前月の末から準備を始めたことが、この日の儀式の目的だったかと思うのであるが、後々二つの日を引離して、特に朔日の方を重んずるようになったらしい。
 二月一日を太郎のついたちというのは、やや古い頃からのことであって、これは暦のまだ行き渡らぬ前に正月十五日の満月の晩を、年の境にしていたことを考えると、すなわち一年の最初の朔日というわけで、少しも不思議のない話なのだが、後にはわからぬ人が多くなったか、東京近くの県では次郎の朔日という人が多く、あるいは太郎次郎の日とさえ呼んでおり、これに対して十二月一日を、オトゴの朔日という名も方々に出来、この日は特別に末の子のために、餅を搗いて祝う日だと、いうような言い伝えまでが新たに生まれている。
 小さな末の子たちがこの話を聴いて、うれしくまた忘れ難く、思ったろうことは疑いがないが、前に膝ぬり餅のところでも述べたように、旧十二月の朔日は今一段と大事な日で、これも二月と同じに、やはり八日の節供に対する心構えの日ではなかったかと思う。関西方面に比べると、東北は一般にこの日には冷淡なのだが、それでも仙台市の周囲などでは、この日を水こぼしの朔日、または水こぼし正月ともいい、子供のない家でも餅を搗いて祝った他に、炉の四隅に串に生豆腐なまどうふし立て、それへ水を掛けて火防のまじないとする風習は、まだ広く行われている。十二月のある日を正月というなどは、字をった人にはおかしいだろうが、それも節供という日が限定せられて、ちょっと代りになるよい言葉がなかったからであった。

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