福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・32

2024-02-01 | 諸経

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・32

八、執金剛身

「應以執金剛身得度者。即現執金剛身而爲説法。」

「執金剛身」とは梵語には嚩日囉播抳(ばざらはに)、唐には金剛手と云。梵語には嚩日囉陀囉(ばざらだら)、𦾔には執金剛と云。新には持金剛と云。始めの名は能持の體に約し、後の名は能持の用に約す。其の儀をいはば、手に金剛杵を執て正法を障碍する者を降伏し、佛法を守護するが故に尒名くるなり。

密迹力士經の第二に曰、過去不可思議劫の前に荘厳世界の善見劫の中に、無量勲寶錦浄王如来出世し玉ふ。時に勇郡輪王、其の佛を供養すること一億歳なり。其の王の千子も亦同じく供養ず。後に王の正夫人各一子を生ず。一をば法意と名け、二をば法念と名く。時に勇郡王思はく、我及び諸子既に菩提心を発しつ、未来に成仏せんには何れか先だつべき、今當にこれを試むべし、と。即ち七寶の籌(くじ)を作りて七寶の瓶に著(い)れ、七日此の籌(くじ)を供養して後に諸太子をして各の此の籌(くじ)を探(とら)しむるに、第一には浄意(即ち拘畱孫)、第二には離名聞兵(即ち拘那含牟尼)、第三には寂根(即ち迦葉佛)、第四には一切苦利(釈迦)、第五には雨室(弥勒)乃至第一千には意無量(即ち楼至佛なり)。時に法意太子の曰、吾誓はくは諸人成仏の時には當に金剛力士となって其の法を護持すべしと。後の勇郡王とは即ち昔の然燈佛なり(大寶積經卷第九密迹金剛力士會第三之二「乃往過去久遠世時。無央數劫不可思議。爾時有佛。名無量勳寶錦淨王。出現于世。如來至眞等正覺明行成爲善逝世間解無上士道法御天人師號佛世尊。世界曰莊嚴。劫名善見。其佛國土有異威徳。人民熾盛皆得安隱。五穀豐收土地大盛。咸共快樂。天人繁熾地悉平等猶如砥掌。無沙塵穢荊棘瓦石。唯琉璃水精明月珠玉。珊瑚虎珀硨磲馬瑙遍布其地。其地柔軟猶如天衣。有甘美香光色甚好。生其好草如天綩綖。以足蹈上足下四寸。擧足如故。其土快樂無有大寒。亦不大熱。人民仁慈性行和調。身口心定。香芬熏地紺琉璃色。彼國人民普得自在。皆受訓誨婬怒癡薄。・・」)。又大論には、釈迦如来に常に五百の執金剛神あって翼従侍衛すと云へり(大毘盧遮那成佛經疏卷第一入眞言門住心品第一「若世諦常途所表。則云生身佛。常有五百執金剛神。翌從侍衞。」)。大日経の意は金剛薩埵等の十九執金剛を上首として十佛刹微塵数の持金剛者あり、是は皆大日如来内證の功徳差別智印を表示するなり。故に是直に佛心より流出せる者なり。唯教法の外護のみにはあらず。

右三十三身(仏・辟支仏・声聞・梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天・小王・長者・居士・宰官・婆羅門・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅迦・執金剛)十九説法は総束するに十界の身なり。其の中に菩薩界と地獄界とは文に闕せり。先ず菩薩身を説かざることを云はば此れに二義あり。一には総じて云へば、菩薩にあらざることなきが故に。二には別して云へば祇是文略せるなり。正法華経には、或は観音の形色貌を現じ經を説きて開化すと云へり(正法華經卷第十光世音普門品第二十三「或現菩薩形像色貌。説經開化」)。正本に在りて抄本に無きは略せること決定せり。次に地獄界のことをいはば、是亦文略せるなり。請観音經には、或いは地獄に遊化して大悲を以て代りて苦を受くといへり(請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪經「衆生若聞名 離苦得解脱 亦遊戲地獄 大悲代受苦」)。今の經豈無からんや。又上の妙音品には、諸有地獄餓鬼畜生及び衆の難處、皆能く救済すといへり。此に例するに地獄界の身のあるべきこと分明なり。又方等陀羅尼經には婆藪仙人九十二億の罪人を教化して地獄より出して佛の所に来れり。此の仙人は天を祀るに羊を殺すべしと教ゆる罪に因って生身に地獄に堕せり。然れば即ち此の罪人の罪なり。されども此れは大権の現化方便して外道の常見(人は常に人たり、畜は常に畜たりと云、是常見なり)を破するなり。此の故に是又今の普現色身三昧(人々が出会いたいと願っている姿をその人の前に現して、その人を導くことのできる能力)に例すべきなり。

若し秘密趣に約せば、三十三身とは金剛界の三十七尊なり。五佛を合して中央の大日如来と名くるが故に十九説法は胎蔵の十九執金剛身なり。是両部、理(胎)智(金)不二の観音なるが故なり。

問、此の經は三乗の別執を開して即一と會す。何ぞ聲聞支佛を云や。

答、方便品に曰、更に異の方便を以て第一義を助顕はす。已上。

異方便とは七方便(「(五停心観位・別相念住位・総相念住位 ・四善根位と煖位・頂位・

忍位・世第一法位」)の法なり。又属累品には、「當に如来の餘の深法の中に於いて示教利喜すべしといへり(法華経属累品「未来世に於いて、若し善男子、善女人有って、如来の智慧を信ぜん者には、当に為に、此の法華経を演説して、聞知することを得せしむべし。其の人をして、仏慧を得せしめんが為の故なり。若し衆生有って、信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於いて、示教利喜すべし。汝等、若し能く是の如くせば、則ち為れ、已に諸仏の恩を報ずるなり。」)。餘の深法とは、別教の次第の中道是菩薩の法なり、此れ皆偏の法を以て圓を助け顕す。何ぞ今の二乗の身を疑はんや。又の義に云、二乗の身なりといへども所説の法は唯一實相なり。妙音品に曰、種々に變化し身を現じて是の経典を説く、といへり(妙法蓮華經卷第七妙音菩薩品第二十四「是妙音菩薩。如是種種變化現身。在此娑婆國土。爲諸衆生説是經典」)。是一如の義。今私に辨ぜば種々に身を現じて一身に又三乗の法を説くべし。縦使(たとひ)三乗の法を説くと云も本より三一相即の故に、一乗を隔る三乗に非ず。此の故に少しも妨なし。已上別答の文了ぬ。

 

 

 

 

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