86番志度寺から門を出て左手に古い町並みの中を歩くと、いよいよ87番長尾寺です。
屋島寺で会ったおじさんの予言どおりに一日で長尾寺まで着きました。
ここも古い町の中にあります。
8世紀行基菩薩の開基ということで、お大師様も入唐の前後にこられたそうです。
讃岐出身の静御前も義経と別れた後ここで剃髪し尼僧となったと伝えられています。
ご本尊は正観世音菩薩で今は天台宗です。あまり人気もなくゆっくりお経をあげました。
いつも「ながお路」という寺のすぐ近くの民宿に泊まります。寺の近くにはここしかありません。
18年頃は改築したばかりでした。すばらしい宿でした。
部屋も風呂もトイレもすべて改装してピカピカでした。
おかみさんは「四国最後の宿になるお遍路さんが多いでしょう。だからきれいにしました。」といいます。夕飯もお代わり自由でした。
◇
ついにあと一日になりました。88番大窪寺までは15kmくらいあるので朝早くでることにしておにぎりをつくってもらいます。
当時は同宿の歩き遍路の中年男性が二人いましたが、明日88番をお参りした後で、再び1番にお参りすると言っています。熱心な人たちです。
本当は1番に行かなくてもどこかの札所に再度寄ればいいのですが、1番にということがお遍路さん仲間に浸透しているようです。
翌日は車道を歩くか前山ダムのところから女体山遍路道を歩くか迷いおかみさんに相談しました。
おかみさんは遍路道は台風で崩れて通れないかもしれないと言うのであきらめました。翌朝は雨でした。
お遍路期間で、初めての本格的な雨です。最後まで修行だとおもいつつ、朝6時ごろからポンチョを着て歩きはじめました。
町並みを抜けると川ぞいに歩きます。途中、大きなダムを過ぎるとお遍路交流サロンというのがあります。
立派な施設です。雨に濡れた体で雫をたらすと申し訳ないと、とまどっていると中の人が「かまいませんどうぞ」といってくれました。
まだ早いのにもう地元の人が三々五々集まり準備をしています。
わたしにもコーヒーをお接待してくれました。
88箇所満願の証のようなものを発行しているというのですが荷になるのでお断りしました。
すると若干気分を害されたか、「後はご自由に」と向こうに行ってしまいました。
◇
奥に遍路の祖といわれる衛門三郎、江戸時代から大正11年まで280回遍路した中務茂平衛、最近では瀬戸内寂聴師など多くの有名人の遍路記録が展示してあります。
もうすこし地元の人と交流できるかと思ったのですが、はなしかけても「私たちは当番できているだけなので・・」とお遍路にはあまり興味なさそうでした。地元の付き合いで来ているだけなのでしょう。少し残念でしたがこうして立派な施設を作り維持してもらっているだけでもありがたいことです。
しかし19年夏には女体山越えのコースを歩く機会に恵まれました。お遍路交流サロン手前の ダムの堤防を歩いて対岸につきます。そこでは風化した100体のお地蔵様が人気のない遍路道に沿ってつぎつぎにあらわれます。こういう寂しいところで遍路の道中を何百年も見守り続けてくださっているのだと思うとまた涙がでてきました。 このコースは最後の山越えにふさわしく、まさに遍路宿「長尾路」の女将の言ったとおり「行者道」というべきものでした。断崖の上や岩の上など道なき道を歩きました。たしかに遍路宿の女将のいうように雨など降ると避けたほうがいいみちです。それに岐路が多く途中の標識を見間違えると山中に迷い込みます。
屋島寺で会ったおじさんの予言どおりに一日で長尾寺まで着きました。
ここも古い町の中にあります。
8世紀行基菩薩の開基ということで、お大師様も入唐の前後にこられたそうです。
讃岐出身の静御前も義経と別れた後ここで剃髪し尼僧となったと伝えられています。
ご本尊は正観世音菩薩で今は天台宗です。あまり人気もなくゆっくりお経をあげました。
いつも「ながお路」という寺のすぐ近くの民宿に泊まります。寺の近くにはここしかありません。
18年頃は改築したばかりでした。すばらしい宿でした。
部屋も風呂もトイレもすべて改装してピカピカでした。
おかみさんは「四国最後の宿になるお遍路さんが多いでしょう。だからきれいにしました。」といいます。夕飯もお代わり自由でした。
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ついにあと一日になりました。88番大窪寺までは15kmくらいあるので朝早くでることにしておにぎりをつくってもらいます。
当時は同宿の歩き遍路の中年男性が二人いましたが、明日88番をお参りした後で、再び1番にお参りすると言っています。熱心な人たちです。
本当は1番に行かなくてもどこかの札所に再度寄ればいいのですが、1番にということがお遍路さん仲間に浸透しているようです。
翌日は車道を歩くか前山ダムのところから女体山遍路道を歩くか迷いおかみさんに相談しました。
おかみさんは遍路道は台風で崩れて通れないかもしれないと言うのであきらめました。翌朝は雨でした。
お遍路期間で、初めての本格的な雨です。最後まで修行だとおもいつつ、朝6時ごろからポンチョを着て歩きはじめました。
町並みを抜けると川ぞいに歩きます。途中、大きなダムを過ぎるとお遍路交流サロンというのがあります。
立派な施設です。雨に濡れた体で雫をたらすと申し訳ないと、とまどっていると中の人が「かまいませんどうぞ」といってくれました。
まだ早いのにもう地元の人が三々五々集まり準備をしています。
わたしにもコーヒーをお接待してくれました。
88箇所満願の証のようなものを発行しているというのですが荷になるのでお断りしました。
すると若干気分を害されたか、「後はご自由に」と向こうに行ってしまいました。
◇
奥に遍路の祖といわれる衛門三郎、江戸時代から大正11年まで280回遍路した中務茂平衛、最近では瀬戸内寂聴師など多くの有名人の遍路記録が展示してあります。
もうすこし地元の人と交流できるかと思ったのですが、はなしかけても「私たちは当番できているだけなので・・」とお遍路にはあまり興味なさそうでした。地元の付き合いで来ているだけなのでしょう。少し残念でしたがこうして立派な施設を作り維持してもらっているだけでもありがたいことです。
しかし19年夏には女体山越えのコースを歩く機会に恵まれました。お遍路交流サロン手前の ダムの堤防を歩いて対岸につきます。そこでは風化した100体のお地蔵様が人気のない遍路道に沿ってつぎつぎにあらわれます。こういう寂しいところで遍路の道中を何百年も見守り続けてくださっているのだと思うとまた涙がでてきました。 このコースは最後の山越えにふさわしく、まさに遍路宿「長尾路」の女将の言ったとおり「行者道」というべきものでした。断崖の上や岩の上など道なき道を歩きました。たしかに遍路宿の女将のいうように雨など降ると避けたほうがいいみちです。それに岐路が多く途中の標識を見間違えると山中に迷い込みます。