29日30日と2日で61番63番65番と超ミニ遍路をしてきました。それでも大変ありがたかったのでご報告しておきます。
今回は今年6月に孫の安産祈願で61番香園寺で安産祈願をしていただいたおかげで高齢出産にも拘らず玉のような男の子に恵まれたのでその時の御札を返すこととお礼参りが目的でしたした。
29日は朝一番の新幹線の乗りましたが案の定大混雑で東京から岡山まで立ちっぱなしでした。しかし少しも苦にはなりませんでした。東北の被災者のことを考えると有難いことが続いた自分としては3時間位立つことなど何でもないことだと思えたのです。
香園寺につくと木立のにおいが高野山を思い出させます。納経所で安座の守りを返し、お寺の人に安産のお礼はどうするのか尋ねると「ご本尊様をよく拝んでいただければいいのです」とのみ言われました。なにか気が済まないので子育てお守りを求めました。本堂に上がると参拝者もだれもいません。心行くまでご本尊の金剛界大日如来様と赤ちゃんを抱えた子安大師様を拝みました。ご本尊、子安大師様それぞれ理趣経一巻、御寶号百遍等上げていると一時間ほどたってしまいました。それにしてもこうして何度も遍路に来ることができるということは本当に有難いことと心底から思いました。
伊予小松駅では丁度滑り込みで上り電車に乗れました。伊予三島駅で下車、いつもの「ロンドン亭」に泊まります。時間が早かったのでいつも迷う三角寺への登り口を確かめに荷を下ろして地図のみ持って出かけました。まだ4時前で明るく周りを車が行きかっているのにのになぜかさみしくてたまりません。このとき「遍路道は死出の旅路の予行演習である」と強く思いました。死出の旅で本心からの信仰のないものはさみしくて仕方なくなるのだと思い至りました。信仰をもたないで死んで行っている現代人は死後一人でさみしくてしかたないのであろうと思いました。自分のような信心深いと自負しているものでもふとこういうさみしさにとらわれるのだから・・。と思いました。
翌日は朝から雨でした。しかし苦にはなりません。短日で帰るのですから雨位降らないと修行の意味がありません。四時過ぎに遍路宿を出て、一路六五番三角寺を目指します。しかしなぜか昨日の下見の道はとっくに外れてしまっていました。しかたなく通りかかりのおじさんに聞きやっと三角寺への登り道をのぼりはじめることができました。一時間近く登り始めて人家もほとんどなくなってきた頃またしても道に迷いました。明るいときなら遍路道の標識が見えるのですがなにせ雨の上にまだ真っ暗ですから標識を見落としていたのかもしれません。進むか引き返すかまよっていると、一軒の家に薄明かりがついています。これこそ大師の助けとおもい戸を叩いて「すみません、おはようございます・・。」といいますとしばらくして中から「はい」といってなにか警戒しながら老人がでてきました。わたしの遍路装束をみるとほっとしたらしく老人は雨の中濡れるのも構わず道まで出て「三角寺かな、ここを引き返してあそこの一つだけついている街頭の下の橋を渡って山の方にいきなはれ」と讃岐弁で教えていただけました。地獄に仏とはこのことです。そのままいくと間違った方向へどんどん進むところでした。何度来ていても遍路道は迷うものです。四国遍路何十回という山本玄法老師が道に迷った時お弟子さんが「老師は何十回も回られてもまだ道に迷うのですか」といったとき老師は「わしは道を覚えに来とるのじゃあないわい」とおっしゃったというおはなしがどこかにのっていましたがまさにその通りで何度回っても迷います。
いよいよ山中に入りましたが昼間ならいたるところに附けていただいている遍路道保存協力会の標識が暗くて全く見えません。ヘッドライトは電池がなくなるとこまるのでできるだけ消して歩きましたが木の生い茂っているところではヘッドライトを点けなければ道自体が見えないのです。しかし開けたところでは薄明かりの中道がボーっと光ります。これは新しい発見でした。昔の人はこうして遍路道を歩いたんだとおもうと感無量でした。今日は昨日と違いまっくらな山中でも少しもさみしさを感じません。何十回という巡礼や求聞持行にいっしょしてくれた杖と四国の納経帳がありお大師様と一緒という安心感があるからでしょう。この杖と納経帳は我家の家宝として伝えていこうと思いました。
三角寺につくと六時過ぎでした。つい山門の釣鐘を撞くと丁度お堂をあけにきていたご住職らしき人に「朝早いので周りに迷惑だから・・」と強く窘められました。こんな山中であまり周りを気にすることはないと思うのですが・・・。
納経は七時からなので本堂、大師堂の前で坐してそれぞれ三十分ずつ理趣経と諸真言をあげました。真っ暗なのでこういうときはヘッドライトが役立ちちます。三年前の太龍寺の求聞持行のときもこうして一時ころ真っ暗な本堂の前で理趣経をあげたことを思い出します。こうしてお経をあげていると突然知り合いに依頼されていたあることが好転するということが清らかなイメージで湧いてきました。
わたしには霊感はないと思っているのですがこうして人気のない山中で暗い中拝んでいると本当に有難い気持ちになります。よく『言葉を越えた境地』といいますが、なるほどこのどこまでも深い深い有難さは体験しなくてはわかりようがありません。
雨はどんどん降ってきましたがそんなことは全く苦になりませんでした。
このあと雲辺寺にお参りする予定でしたがさきのご住職に納経をしていただき、この日はここまでにして雨の中帰京の途に就きました。遍路は一泊でも、日帰りでもありがたいものだということが改めて体験できました。遍路宿で以前よくこういうミニ遍路の方と同宿したことがありますが1泊でも日帰りでも遍路に来ることのできる方は本当に佛縁に恵まれている人だと思います。自分は今年は六月と一二月の二回ミニ遍路をしましたが来年こそはしかし本格的遍路をしたいものとあらためて思いました。そしてこの有難さを一人でも多くの方に体験していただきたいものと思いつつ帰ってきました。
今回は今年6月に孫の安産祈願で61番香園寺で安産祈願をしていただいたおかげで高齢出産にも拘らず玉のような男の子に恵まれたのでその時の御札を返すこととお礼参りが目的でしたした。
29日は朝一番の新幹線の乗りましたが案の定大混雑で東京から岡山まで立ちっぱなしでした。しかし少しも苦にはなりませんでした。東北の被災者のことを考えると有難いことが続いた自分としては3時間位立つことなど何でもないことだと思えたのです。
香園寺につくと木立のにおいが高野山を思い出させます。納経所で安座の守りを返し、お寺の人に安産のお礼はどうするのか尋ねると「ご本尊様をよく拝んでいただければいいのです」とのみ言われました。なにか気が済まないので子育てお守りを求めました。本堂に上がると参拝者もだれもいません。心行くまでご本尊の金剛界大日如来様と赤ちゃんを抱えた子安大師様を拝みました。ご本尊、子安大師様それぞれ理趣経一巻、御寶号百遍等上げていると一時間ほどたってしまいました。それにしてもこうして何度も遍路に来ることができるということは本当に有難いことと心底から思いました。
伊予小松駅では丁度滑り込みで上り電車に乗れました。伊予三島駅で下車、いつもの「ロンドン亭」に泊まります。時間が早かったのでいつも迷う三角寺への登り口を確かめに荷を下ろして地図のみ持って出かけました。まだ4時前で明るく周りを車が行きかっているのにのになぜかさみしくてたまりません。このとき「遍路道は死出の旅路の予行演習である」と強く思いました。死出の旅で本心からの信仰のないものはさみしくて仕方なくなるのだと思い至りました。信仰をもたないで死んで行っている現代人は死後一人でさみしくてしかたないのであろうと思いました。自分のような信心深いと自負しているものでもふとこういうさみしさにとらわれるのだから・・。と思いました。
翌日は朝から雨でした。しかし苦にはなりません。短日で帰るのですから雨位降らないと修行の意味がありません。四時過ぎに遍路宿を出て、一路六五番三角寺を目指します。しかしなぜか昨日の下見の道はとっくに外れてしまっていました。しかたなく通りかかりのおじさんに聞きやっと三角寺への登り道をのぼりはじめることができました。一時間近く登り始めて人家もほとんどなくなってきた頃またしても道に迷いました。明るいときなら遍路道の標識が見えるのですがなにせ雨の上にまだ真っ暗ですから標識を見落としていたのかもしれません。進むか引き返すかまよっていると、一軒の家に薄明かりがついています。これこそ大師の助けとおもい戸を叩いて「すみません、おはようございます・・。」といいますとしばらくして中から「はい」といってなにか警戒しながら老人がでてきました。わたしの遍路装束をみるとほっとしたらしく老人は雨の中濡れるのも構わず道まで出て「三角寺かな、ここを引き返してあそこの一つだけついている街頭の下の橋を渡って山の方にいきなはれ」と讃岐弁で教えていただけました。地獄に仏とはこのことです。そのままいくと間違った方向へどんどん進むところでした。何度来ていても遍路道は迷うものです。四国遍路何十回という山本玄法老師が道に迷った時お弟子さんが「老師は何十回も回られてもまだ道に迷うのですか」といったとき老師は「わしは道を覚えに来とるのじゃあないわい」とおっしゃったというおはなしがどこかにのっていましたがまさにその通りで何度回っても迷います。
いよいよ山中に入りましたが昼間ならいたるところに附けていただいている遍路道保存協力会の標識が暗くて全く見えません。ヘッドライトは電池がなくなるとこまるのでできるだけ消して歩きましたが木の生い茂っているところではヘッドライトを点けなければ道自体が見えないのです。しかし開けたところでは薄明かりの中道がボーっと光ります。これは新しい発見でした。昔の人はこうして遍路道を歩いたんだとおもうと感無量でした。今日は昨日と違いまっくらな山中でも少しもさみしさを感じません。何十回という巡礼や求聞持行にいっしょしてくれた杖と四国の納経帳がありお大師様と一緒という安心感があるからでしょう。この杖と納経帳は我家の家宝として伝えていこうと思いました。
三角寺につくと六時過ぎでした。つい山門の釣鐘を撞くと丁度お堂をあけにきていたご住職らしき人に「朝早いので周りに迷惑だから・・」と強く窘められました。こんな山中であまり周りを気にすることはないと思うのですが・・・。
納経は七時からなので本堂、大師堂の前で坐してそれぞれ三十分ずつ理趣経と諸真言をあげました。真っ暗なのでこういうときはヘッドライトが役立ちちます。三年前の太龍寺の求聞持行のときもこうして一時ころ真っ暗な本堂の前で理趣経をあげたことを思い出します。こうしてお経をあげていると突然知り合いに依頼されていたあることが好転するということが清らかなイメージで湧いてきました。
わたしには霊感はないと思っているのですがこうして人気のない山中で暗い中拝んでいると本当に有難い気持ちになります。よく『言葉を越えた境地』といいますが、なるほどこのどこまでも深い深い有難さは体験しなくてはわかりようがありません。
雨はどんどん降ってきましたがそんなことは全く苦になりませんでした。
このあと雲辺寺にお参りする予定でしたがさきのご住職に納経をしていただき、この日はここまでにして雨の中帰京の途に就きました。遍路は一泊でも、日帰りでもありがたいものだということが改めて体験できました。遍路宿で以前よくこういうミニ遍路の方と同宿したことがありますが1泊でも日帰りでも遍路に来ることのできる方は本当に佛縁に恵まれている人だと思います。自分は今年は六月と一二月の二回ミニ遍路をしましたが来年こそはしかし本格的遍路をしたいものとあらためて思いました。そしてこの有難さを一人でも多くの方に体験していただきたいものと思いつつ帰ってきました。