4、大師十八歳(延暦十年(791)、大龍嶽御修法・・・大龍寺(四国21番、三教指帰に「阿国大龍嶽にのぼりよじ、・・・谷響きをおしまず」」とある。勤操大徳伝授の求聞持法を修された。いまでも大師の修法された大岩があり、修法されている大師像が据えられている。いまも求聞持堂で求聞持法を修行する人は毎年数人いる。講元自身もここで求聞持法を修行した。)
5、大師十九歳(延暦十一年(792)、室戸御修法・・・室戸崎、最御崎寺、金剛頂寺(四国23番、24番、大師御行状集記には「行求聞持法得霊験條第十一」として「或る伝に曰、。太龍嶽に勤念すれば虚空蔵菩薩の剣飛来し、・・室戸崎においては・・明星口に入る。佛力の奇異を現す。」とあり、三教指帰には「土州室戸崎に勤念す・・明星来影す」とあります。金剛頂寺の不動岩で大師が求聞持法を修されたのではないかと推測されます。近くには一夜建立の岩屋、大師行水井戸、大師眼洗の井戸などもある。最御崎寺ご本尊は虚空蔵菩薩様。さらに大師御行状集記「金剛定寺結界條第十六」には「この地において伽藍を建立し金剛定寺と号す(現在の金剛頂寺)さらに「金剛定寺御乞食條第十七」では「金剛定寺御乞食と名ずける、、、大師御筆書銘」ともあります。
6、大師二十四歳まで(延暦年間)石鎚山ご修行・・・石鎚山、前神寺(四国64番、三教指帰に「あるときは石峯に跨って粮を絶って轗たり(苦労した)」とある。
7、大師二十四歳まで(延暦年間)鷲峰山ご修行・・・金胎寺(南山城の最高峰鷲峰山にある。役の行者開創、山岳霊場、行基、鑑真、最澄、大師も修行されたと伝わる。いまも行場がある。)
5、大師十九歳(延暦十一年(792)、室戸御修法・・・室戸崎、最御崎寺、金剛頂寺(四国23番、24番、大師御行状集記には「行求聞持法得霊験條第十一」として「或る伝に曰、。太龍嶽に勤念すれば虚空蔵菩薩の剣飛来し、・・室戸崎においては・・明星口に入る。佛力の奇異を現す。」とあり、三教指帰には「土州室戸崎に勤念す・・明星来影す」とあります。金剛頂寺の不動岩で大師が求聞持法を修されたのではないかと推測されます。近くには一夜建立の岩屋、大師行水井戸、大師眼洗の井戸などもある。最御崎寺ご本尊は虚空蔵菩薩様。さらに大師御行状集記「金剛定寺結界條第十六」には「この地において伽藍を建立し金剛定寺と号す(現在の金剛頂寺)さらに「金剛定寺御乞食條第十七」では「金剛定寺御乞食と名ずける、、、大師御筆書銘」ともあります。
6、大師二十四歳まで(延暦年間)石鎚山ご修行・・・石鎚山、前神寺(四国64番、三教指帰に「あるときは石峯に跨って粮を絶って轗たり(苦労した)」とある。
7、大師二十四歳まで(延暦年間)鷲峰山ご修行・・・金胎寺(南山城の最高峰鷲峰山にある。役の行者開創、山岳霊場、行基、鑑真、最澄、大師も修行されたと伝わる。いまも行場がある。)