ここ神峯寺はいついっても有難い霊場です。二〇年のときは六時ころ遍路宿をでると満月の下、一面の水田の蛙がいっせいにケロケロと大合唱して不思議な気持ちになりました。
澄禅「四国遍路日記」には「神峯寺、本堂三間四面、本尊十一面観音なり。とう峯より下、二寺は麓にあり、無礼の僧なり。」とあります。江戸時代は神峯神社の本殿を観音寺といい、養心庵という寺も麓にあったと云いますからこれらを二寺と云ったと思われます。また「僧が無礼」と書いていますが、わたしが夏にお参りしたときはこっそり西瓜をいただきました。
神峯寺は前回のべたように大変な霊場ですから、心掛の悪い人は参道で杖が折れたりする戒めがあるといつも泊まる遍路宿「きんしょう」の女将さんが教えてくれました。わたしも初めての17年は緊張して登ったのですが幸い杖も折れずに参拝できました。
ここの民宿があるところは唐の浜といいますが「食わず芋」伝説があります。真念「四国徧礼功徳記」では「土佐の安喜郡の神峰寺の麓の唐の浜というところに漁師がいた。そのむかし漁師が貝をとるところをみて遍礼が乞うたが「食われません」といってやらなかったところ貝はみな石となった。漁師も周りの人も驚き信心をおこしたという。其処を貝石谷といい今も貝が多くある。」と書いています。今迄の遍路で貝は見かけませんでした。今もあるのでしょうか。
澄禅「四国遍路日記」には「神峯寺、本堂三間四面、本尊十一面観音なり。とう峯より下、二寺は麓にあり、無礼の僧なり。」とあります。江戸時代は神峯神社の本殿を観音寺といい、養心庵という寺も麓にあったと云いますからこれらを二寺と云ったと思われます。また「僧が無礼」と書いていますが、わたしが夏にお参りしたときはこっそり西瓜をいただきました。
神峯寺は前回のべたように大変な霊場ですから、心掛の悪い人は参道で杖が折れたりする戒めがあるといつも泊まる遍路宿「きんしょう」の女将さんが教えてくれました。わたしも初めての17年は緊張して登ったのですが幸い杖も折れずに参拝できました。
ここの民宿があるところは唐の浜といいますが「食わず芋」伝説があります。真念「四国徧礼功徳記」では「土佐の安喜郡の神峰寺の麓の唐の浜というところに漁師がいた。そのむかし漁師が貝をとるところをみて遍礼が乞うたが「食われません」といってやらなかったところ貝はみな石となった。漁師も周りの人も驚き信心をおこしたという。其処を貝石谷といい今も貝が多くある。」と書いています。今迄の遍路で貝は見かけませんでした。今もあるのでしょうか。