角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・7
午後12時30分、東急バス・新馬場停留所から、バスに乗り、この日最後の札所、瀧泉寺に向います。約20分、目黒不動前に着きます。真ん前が、目黒不動で親しまれている瀧泉寺です。雅叙園の背高く、長いコンクリート塀をつたい歩いて、いきなり満開の桜の花と、赤色鮮やかな堂々とした山門の出食わしました。ここでは、大勢の参詣客が往来してい . . . 本文を読む
高尾山春季大祭は四月の第三日曜日に行われています。ことしは今日17日です。稚児行列、御詠歌講、高尾山修験道山伏、職衆、大導師など千人もの大パレードが、春の一大絵巻を展開すると高尾山のホームページに書かれています。 . . . 本文を読む
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今日は、熊本大地震の翌日で気もそぞろに護国寺にお参りに来ました。しかし山門には「都民大茶会」「入壇式」と大書されてあります。茶会と、護国寺の檀家となる法要が行われているのでしょう。
境内には八重桜が華やかに咲き誇っておりその下を茶会の出席者の和服のご婦人方が妍を競うが如く連れ立って歩いています。今までテレビで見ていた熊本の惨状とこの境内の華やかさとのギャップには眩暈をおぼえます。
そういえば5 . . . 本文を読む
また九州に大地震が起こり多くの方々が犠牲になりました。繰り返し異常現象が起き、その都度数知れない人々が阿鼻叫喚地獄にのたうち回らねばならないのはなぜか。毎回神も仏もないのかと自問自答する日々です。
国土にかくも災害が続く原因を自分なりに考えた結論を先に述べると
・第一に、明治の神仏分離により二千年ちかく続いてきた神仏一体の信仰が日本列島の上で強制的に分離させられたままになって神々にお経を奉納する . . . 本文を読む
角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・6
話は、一変しますが、昔の人の信仰生活とはどういうものであったかを見るため、恥ずかしながら、数十年ぶりに絵巻本を紐解いてみました。中央公論社 昭和56年3月刊 「日本絵巻大成 別巻 一遍上人絵伝 編集 小松茂美」 です。
一遍上人(1239~1289年)は、時宗の開祖。伊予に生まれ、正応2年8月、兵庫の観音堂に没するまで、 . . . 本文を読む
角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・5
次の札所である、品川神社に向う途中、Sさんの案内で、都内では、一か寺しかないといわれ、虚空蔵尊菩薩が祀られてあるといわれる天台宗・養願寺に立ち寄り、礼拝をします。ここから、あと2分で、品川神社です。急勾配の階段を上がり幾つもの鳥居を潜って社殿の広場に出ます。白無垢白内掛け白ずくめの角隠しをした花嫁御寮と出会いました。いま . . . 本文を読む
角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・4
午前11時35分。もう、この日の3番目の札所・一心寺にきました。このお寺は、旧東海道品川宿通りの商店街の中にあります。通りに面して、親しみの湧く様な小振りの山門があります。入ると、真近かの正面に 本堂です。白・赤・黄・緑 の垂幕が色鮮やかに、目に入ります。境内も広くは無いので、こじんまりしていて、参拝するには手ごろの感じがし . . . 本文を読む
角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・3
江戸三十三観音霊場第31番札所
海照山 普門院 別格本山 品川寺(東京都品川区南品川3-5-17)
本尊 水月観世音菩薩
聖観世音菩薩
宗派 真言宗 醍醐派
品川寺は、海雲寺のすぐ隣にあり隣組のようなお寺です。山門脇と境内にある満開の桜の木に迎え入れられます。境内も広く、品川という歴史の古い町という、一種独特の感じの . . . 本文を読む
角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・2
(「番外所、龍吟山 千躰荒神殿 海雲寺」の続)
境内の中央に地蔵尊像があります。その脇に参道が延びていて、禅宗様の本堂があります。鰐口も賽銭箱は無く、質素で静かな佇まいですので、千躰荒神堂が、本堂と、つい、間違えてしまうそうです。ここに、ご本尊・十一面観世音菩薩がお祀りされています。
地蔵尊像は、2体並び立っていて、向 . . . 本文を読む
角田さんの第12回目(結願)江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行記録・・1
桜花爛漫、命あるものすべてのものが甦る希望の春がやってきました。期待に胸膨らむ春、福聚講(高原耕講元)は、4月3日(日)、今回で目出度く結願になる第12回目の江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝行を行いました。参加者は5人。午前10時、京浜急行・青物横丁駅に集合。駅の出口を上がり、表に出るとすぐの所に、第一番札所の海雲寺があ . . . 本文を読む
4、イスラム教も仏教と同じ
「意識と本質―東洋哲学の共時的構造化の為に(井筒俊彦)」ではイスラムも仏教と同じ基盤に立つ、と言っています。
「経験界で出会う事物、あらゆる事象についてその「本質」を捉えようとする、ほとんど本能的とってもいいような内的性向が人間誰にでもある。・・考えてみれば我々の日常的意識の働きそのものが実は大抵の場合、様々な『本質』認知の上になりたっているのだ。
・・サルトル的 . . . 本文を読む
3、佛基も一体
・カソリックと密教の儀式の類似点もよく指摘されます(たとえば「三密」と「三位一体」の類似、「大秦景教流行中国碑」レプリカが高野山奥の院にもあること、「灌頂」と「洗礼」の類似、「加持祈祷」と「悪魔払いの祈祷」、共に香をたくこと、等)。
・華厳経・地蔵経等の諸経典には衆生の苦悩を代わってうけてくださる「代受苦の菩薩」という考えが出てきますが、キリストも代受苦の菩薩であるとはよく指摘 . . . 本文を読む
2⃣神仏は一体であること。
大師は嵯峨天皇印信を交換され両部神道を始められていることから神仏は一体とされていました。またこれは「天地麗気記」「中臣の祓訓解」からも当然いえることです。
「天地麗気記」にみる天照大神以前の根源神、天神7代、地祇5代の本地です。
①天神7代とは「 天神七葉は過去七佛(釈迦様出生以前の七仏)・・(天地麗気記)」にあることを勘案すると以下のように本地があると . . . 本文を読む
神儒仏道基回一体論・・1
1、儒仏道は一体であること。
大師は「三教指帰」で「儒童,迦葉はならびにこれわが朋なり」(儒童 (雪山童子(注3))、迦葉は同じお釈迦様の弟子としてこれわが友人である。すなわち儒仏道は一体である)とされています。これは『清淨法行經』等に、「仏は迦葉を遣わして老子とし、儒童(雪山童子)を遣わして孔子として(未開の地を)教化せしめた。」との趣旨があるのを踏まえたお言葉と思われ . . . 本文を読む
今日は神武天皇崩御二千六百年です。
日本書紀によれば、天皇在位期間は、辛酉年(紀元前660年・神武天皇元年)1月1日 (旧暦)から 神武天皇76年3月11日 (旧暦)とされているようです。 神武天皇の即位月日とされる1月1日 (旧暦)は、「紀元節」「建国記念の日」となっていますが崩御の日は特に祭日とはされていません。しかし今日は樫原神宮で神武天皇二千六百年大祭がおこなわれ両陛下もご出席の由大変おめ . . . 本文を読む