憧れの老僧の描写・・6
田山花袋「ある僧の奇跡」では破戒僧がある日突然目覚めて本物の僧となります。自分もこの様になれたらと思います。
「新しい覚醒が来た。恐怖を感じ、寂寞せきばくを感じ、孤独を感じ、倦怠けんたいを感じた時にのみ仏の前に行つて手を合せたかれは、今では自ら進んでその本堂の本尊の前に行くやうになつた。最早かれの読経はかれのための読経ではなかつた。また仏に向つて合掌するかれの手は、かれのた . . . 本文を読む
今日は十斎日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守り、一日 . . . 本文を読む
春秋左氏傳に「恩に背けば親を失い、人の災難を嬉しがれば不仁、物資を出し惜しむのは不祥、隣国を怒らせるのは不義。この親・仁・祥・義の四徳を棄てれば国はとても守れない」とあります。是は戦国時代に秦が凶作だったので晋に穀物を乞うた時、しぶる晋の王を大夫慶鄭けいていがいさめた言葉です。 しかし王恵公の義兄に当たる虢射かくせきが反対し結局昔恩を受けた秦には援助しませんでした。そのためやはり後に晋王恵公は秦の . . . 本文を読む
八幡愚童訓より「・・思円上人(叡尊)、大願を立てられること有り。『我れ異国の太子と生まれて王位を継ぎ、合戦を止め、自他を安穏ならしめん』となり。今この上人の善行方便は大悲代苦の誓願にも増し、遊戯地獄の慈民に過ぎたり。深重の願望通りてや、異朝の王となり給うらん。彼の上人遷化の後は異賊襲来すること無りけり」。また八幡宮の放生会は敵味方の戦死者供養のため始められました。
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憧れの老僧の描写・・5
漱石「門」では円覚寺の釈宗演が漱石に対しても容赦なく鉄槌を下す姿が生き生きと描写されています。
「山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった。寒い時分だから池の中はただ薄濁りに淀よどんでいるだけで、少しも清浄な趣はなかったが、向側に見える高い石の崖外まで、縁に欄干のある座敷が突き出しているところが、文人画にでもありそうな風致を添えた。
「あすこが老師の住んでいら . . . 本文を読む
今日は十斎日で六斉日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守 . . . 本文を読む
憧れの老僧の描写・・4
室生犀星「性に目覚めるころ」には犀星の老父がお茶を嗜む様子が描写されていて実父を彷彿とさせます。
「私は七十に近い父と一しょに、寂しい寺領の奥の院で自由に暮した。そのとき、もう私は十七になっていた。
父は茶が好きであった。奥庭を覆うている欅の新しい若葉の影が、湿った苔の上に揺れるのを眺めながら、私はよく父と小さい茶の炉を囲んだものであった。夏の暑い日中でも私は茶の炉に父 . . . 本文を読む
・・御託宣に宝亀四年二月二十五日『神というものは人のいつきいわいまつるに神徳は増すものぞ』とあるを以て如在の典礼を致し、崇敬の信心を成すならば、現当の念願成就円満すべきところに、身は懈怠不法にしてかりそめばかりの法楽、公事の参詣、なじかは神慮にかなうべき。しかるに我が咎をかえりみず利生の遅きと恨み申すぞ愚なる。・・
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憧れの老僧の描写・・3
昔は自分もこういう老僧にあこがれていましたがいまは程遠い存在になっています。しかし憧れだけは持っています。
中勘助「銀の匙」
「(文脈から小石川源覚寺の近くらしいがいま文京区内にはここで出てくる少林寺という寺はない)・・・いつもかたくとざされてもの音もしない離れの障子があいて脇息に凭よつた老僧の姿のみえるのはこの頃である。離れのまへには老僧の秘蔵の牡丹の古木があり淡紅のひ . . . 本文を読む
平成の即位礼がちぐはぐだったとの批判が出ています。ここにあります。
新憲法下で初めての即位式だったからという理由で憲法上の正教分離を厳格に考えてすぎて構成されたといわれていますが、それならば々憲法上の国民の統合としての天皇、という面も考えるべきだったと思われます。またむしろ敗戦後はじめての即位式だったからと考えるべきで、敗戦は国家神道体制を抜本的に見直す最大の機会だったのを中途半端になってしまっ . . . 本文を読む
「昔の日本人は強かった」何年か前に来日したウルグアイのムヒカ前大統領のことばです。
逆に言うと,「いまの日本人は弱い」ということでしょう。
たしかにたとえば、16世紀にはフランシスコ・ザビエルが本国への報告でも「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感 . . . 本文を読む
弘安の役では神社で密教修法を行い、尊勝陀羅尼を誦しています。思円上人(叡尊)は舞殿で尊勝法を修しています。そして「相手は非道の者、こちらは二百五十戒を具し、神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む民族なのでくらべものにならないはず」と八幡大菩薩に祈願しています。 . . . 本文を読む