(八幡愚童訓の続)「・・閏七月四日、舞楽もて大法会を行わせらる。導師思円上人,呪願本浄上人、七百余人の律僧は皆行列して大般若一部・最勝王経百部転読あり。仁王講百座行わせらる。楽人舞人も異賊乱入するならば皆死すべきものなれば是を最後の思いをなし、秘曲を盡し、芸能を施す。哀し事共なり。五日より七日の間、一切経転読あり。是別の勅願のため僧食糧五千疋院の庁より沙汰也。これに加えて一人より万人に至るまで道俗男女一筋に神明の冥助にあらずよりは日本の安全あるべからずと各々懇請をいたされしに狩尾大明神は巫女に託宣したまう。『思円上人の法味により神祇威光を増し大風を吹かせて異賊を滅亡すべし』とありしほどに、霊詫報謝のためとて門徒ひきぐして狩尾社に参詣し、理趣経転読しけり。
去る程、後七月九日の戌の刻に西国の早馬着いて申す。「去る七月晦日の夜半より、乾の風おびただしく吹き、七月一日には賊船悉く漂流して海に沈みぬ。大将軍の船は風以前に青竜海より頭を差し出だし、硫黄の香り虚空に満ちて異類異形の者共眼に遮りしに、畏れて逃げ去りぬ。残るところの船共は皆敗れて磯に上がり、沖に漂って海の面は算を散らすに異ならず。死人多重て嶋の如したり。「身没し、魂孤。望郷の鬼となること」雲海の濾水もなんぞこれに及ぶべき。鷹嶋に打ち上げられたる異賊数千人、船に離れて疲れ居たりしが、破船共に修ひて七,八艘に蒙古・高麗人は少々乗りて逃げ戻る。是を見て鎮西の兵共、少弐三郎左衛門尉景資をはじめとして、数百艘押し寄せたりしかば、船もなき異国人共は逃げるに及ばず、今はとて命をたばわず、散々に戦ひ、引き組て海へ入り、刺し違えて死ぬもあり、落ち重なって首を取る。射伏せ切伏せられて敵も味方もその数を知らず失せにけり。千余人降を乞ひしを搦め捕えて、中河の端にて首を切る。」とぞ馳せ申す。・・」