憧れの老僧の描写・・3
昔は自分もこういう老僧にあこがれていましたがいまは程遠い存在になっています。しかし憧れだけは持っています。
中勘助「銀の匙」
「(文脈から小石川源覚寺の近くらしいがいま文京区内にはここで出てくる少林寺という寺はない)・・・いつもかたくとざされてもの音もしない離れの障子があいて脇息に凭よつた老僧の姿のみえるのはこの頃である。離れのまへには老僧の秘蔵の牡丹の古木があり淡紅のひとへの花びらに芳しい息をふくんでふくらかに花をひらく。そこは狭い中庭をあひだに母屋とは弓なりの橋ひとつをへだてて、日あたりのいい縁のしたには秋海棠のひとり生えがしげり、むかつて左の端には青桐、右の端にははくうん木が涼しい蔭をつくつてゐた。七十七になる老僧はそこにとぢこもつて朝夕の看経のほかにはもの音もたてない。私たちはただいつとはなしに隙をもれてくる薫物のかをりによつてそこに石のごとくにしづまりかへつた人のゐることを知るばかりであつた。どうかすると老僧は茶がほしいときに蜩の鳴くやうな音のする鈴をならすことがあつた。それでもききつける者がゐなければ鉢の子のやうに茶碗を手にうけ、とことこと橋をわたつて自分で茶をいれてゆく。また時たま仏事によばれて頭巾を阿禰陀にかぶり、かた手に数珠、かた手に杖をついてとぼとぼと歩いてゆく姿をみる者はこの見すぼらしい坊さんがなにかの時には緋の法衣をきる人だと思ふ者はなかつた。まことにこの老僧は人間の世界とは橋ひとつをへだてて世のなかには夏になれば牡丹がさくといふことのほかなんにも知らないかのやうに寂寞と行ひすましてゐる。・・橋をわたつたところのうす暗い部屋には衣桁いかうに輪袈裟や数珠がかかつて香の薫がすーんともれてくる。・・
老僧がなくなつたのはそれから三年ばかり後のことであつた。・・・久しぶりで思ひ出の多い橋をわたつたら離れには香の煙がたちこめて大般若のときに見おぼえのある坊さんが大勢よつて話してゐた。老僧はへちまをかいてくれた座敷に据ゑてある曲ろくのうへに金襴の袈裟をかけ、払子をもつて、昔ながらの石仏のやうに寂然と扶坐してゐる。私はそのまへへいつて昔のとほり頭をさげていた。・・」
昔は自分もこういう老僧にあこがれていましたがいまは程遠い存在になっています。しかし憧れだけは持っています。
中勘助「銀の匙」
「(文脈から小石川源覚寺の近くらしいがいま文京区内にはここで出てくる少林寺という寺はない)・・・いつもかたくとざされてもの音もしない離れの障子があいて脇息に凭よつた老僧の姿のみえるのはこの頃である。離れのまへには老僧の秘蔵の牡丹の古木があり淡紅のひとへの花びらに芳しい息をふくんでふくらかに花をひらく。そこは狭い中庭をあひだに母屋とは弓なりの橋ひとつをへだてて、日あたりのいい縁のしたには秋海棠のひとり生えがしげり、むかつて左の端には青桐、右の端にははくうん木が涼しい蔭をつくつてゐた。七十七になる老僧はそこにとぢこもつて朝夕の看経のほかにはもの音もたてない。私たちはただいつとはなしに隙をもれてくる薫物のかをりによつてそこに石のごとくにしづまりかへつた人のゐることを知るばかりであつた。どうかすると老僧は茶がほしいときに蜩の鳴くやうな音のする鈴をならすことがあつた。それでもききつける者がゐなければ鉢の子のやうに茶碗を手にうけ、とことこと橋をわたつて自分で茶をいれてゆく。また時たま仏事によばれて頭巾を阿禰陀にかぶり、かた手に数珠、かた手に杖をついてとぼとぼと歩いてゆく姿をみる者はこの見すぼらしい坊さんがなにかの時には緋の法衣をきる人だと思ふ者はなかつた。まことにこの老僧は人間の世界とは橋ひとつをへだてて世のなかには夏になれば牡丹がさくといふことのほかなんにも知らないかのやうに寂寞と行ひすましてゐる。・・橋をわたつたところのうす暗い部屋には衣桁いかうに輪袈裟や数珠がかかつて香の薫がすーんともれてくる。・・
老僧がなくなつたのはそれから三年ばかり後のことであつた。・・・久しぶりで思ひ出の多い橋をわたつたら離れには香の煙がたちこめて大般若のときに見おぼえのある坊さんが大勢よつて話してゐた。老僧はへちまをかいてくれた座敷に据ゑてある曲ろくのうへに金襴の袈裟をかけ、払子をもつて、昔ながらの石仏のやうに寂然と扶坐してゐる。私はそのまへへいつて昔のとほり頭をさげていた。・・」