福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

蒙古襲来時の温故知新・・その9

2018-08-22 | 護国仏教


(八幡愚童訓の続)天下静謐に属し、上下色を直してけり。是は八幡宮の破打と鳴りたりし時と大風吹きし時刻同前なり。狩場ご託宣に『風をふかせて滅亡させん』と、西国の早馬以前に告げ給ひしかば、神威の揚焉なること仰がぬものぞなかりける。神護景雲元年十一月二十日ご託宣に『大唐・新羅の軍が為に天神地祇等を召集して海中に嶋を造り軍の来るときは西北の風を吹かしめて吾城内に入れて滅亡す』とあり。此の島はむかし一夜の間に俄かにできけり。大隅国の向かいの嶋これなり。しかるに今西北の風吹いて敵軍悉く吾城内にはいって海に入る。正直無虚妄の霊託違うことなく貴く、なお行く上の明徳もかくあらんずる嬉しさよとののしりあえり。・・異賊を滅亡し日本を助け給うは、大菩薩守り坐す故に、風を吹かせて敵を砕き、数万の賊徒ことごとく片時の程に失ひしは、神威の致すところにして人力かって煩ず。当社西御前は沙から竜王の御女なり。今賊徒の大将軍、海上に青竜出現すると見て逃げまどいぬること、竜王の合力もうされけるにや、不思議なることどおなり。我が神の徳風遠く仰ぎて、国家の人民煩はず、神功皇后は海水を上げ、文永には猛火を出だし、弘安には大風を吹かす。水火風の三災劫末ならねど出来て、神慮にまかせて自在なり。濁世末代の生を受け、謀反殺害の時に逢へるは悲しといえども、大菩薩の霊験新たにして不思議の神変を現させ給へる時に生まれ逢ひ、和光同塵の縁を結び皆得解脱の恵みを仰ぎ奉る悦び、昔に過ぎたり。盛者必衰の理は有為無常の習いなり。去れば飛鳥をも落とし、鳳闕の皇風は五十余世の霞に緩く、枯草も栄し、鷲嶺の佛日は二千余年の霧に溺れ、医薬と筮の効験も衰え、天魔浪旬の通力も弱しといえども、末代まで尽きせぬは只八幡の霊威なり。但し、御託宣に宝亀四年二月二十五日『神というものは人のいつきいわいまつるに神徳は増すものぞ』とあるを以て如在の典礼を致し、崇敬の信心を成すならば、現当の念願成就円満すべきところに、身は懈怠不法にしてかりそめばかりの法楽、公事の参詣、なじかは神慮にかなうべき。しかるに我が咎をかえりみず利生の遅きと恨み申すぞ愚なる。
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