6月末に行った関西方面、記事が最後まで至っていなかった。
関西から帰って、転職をしてバタバタしていて途中で忘れてしまったのだった。
ここは最後まで書いておかねば。
和歌山という町は、むかしは立派な町だった。
そう、新潟が実は明治まで日本最大の都市だったのを、現代人はすっかり忘れているように
和歌山も今は忘れられがちな町なのだ。
豊臣秀吉が和歌山城を築き、後に江戸幕府御三家の紀州徳川家の城下町となる。
江戸時代には全国第9位の人口を擁する城下町だったのだ。
その後も港と大きな川を持つ水運の拠点として発展していた。
路面電車も走り、ターミナルも二箇所を持っていた。
国鉄和歌山駅と南海和歌山市駅。
ただ、これは逆に観光客などからはわかりにくい印象を持たれ、
まずはどちらの駅に行けば繁華街があるのか問われてしまう。
そして種を明かせば、行政の中心も繁華街も、両方のターミナル駅周辺ではない。
今や非常に不便を感じる町だ。
さらに、地方都市のご他聞に漏れず、繁華街はシャッター通りとなってしまい、
車中心に変わって、郊外のロードサイド店で日常生活が賄われてしまっているのだ。
和歌山駅終点に到着。
いろんな電車が出入りする楽しい駅である。
まずは日根野カラーの117系に出会えた。
紀勢本線の列車かと思ったら、何と和歌山線の王寺行きである。
どうやら朝夕の混雑時に走ってるようだ。
こちらが乗ってきた105系だ。
実は私は、この無骨でスタイルと、カラーリングは気に入っている。
なんだかDCのようでもあり、ローカル色を体現しているように見えるからだ。
(この車両は元103系1000番台からの改造編入車)
そういえば、写真を撮った6月から和歌山地区の電車の塗装は変更されて
青緑一色になっているはずだ。
常磐線の元快速電車カラーだ。
写真の103系1000番台はまさしく常磐線快速として活躍した同じ車両なので、
常磐線の昔の風景が見れるようになったというわけだ。
117系が新快速としてデビューしたときはよく覚えている。
大阪に住んでいた頃だ。
とにかくスピードが速く、スマートで内装もシックで高級だった。
今はすっかりくたびれた感じだが、追加料金なしで急行や特急並みの速度と
内装を持った有り難い電車だったのだ。
JRのホームからは和歌山電鐵の電車が見える。
元は南海貴志川線だ。
今は売却されて、親会社は何と岡山のチンチン電車を経営する岡山電気軌道だ。
この岡山電気軌道は積極経営で知られ、名鉄の岐阜市内線も買う勢いだったのだ。
バスでは両備バスという名称で知られている。
この新生和歌山電鐵はたま駅長、いちご電車等で話題豊富。
観光として訪れる人も多い電車だ。
写真のようなノーマルの元南海電車のほうが珍しいぐらいだ。
ああ、関西は楽しい。
こんな103系がバンバン走っているのだから。
和歌山駅を降りた。
和歌山ラーメンの店を探したが、見つからなかった。
中心街が決してJR和歌山駅周辺というわけではないようだ。
和歌山ラーメンが見つからないので駅に戻った。
早目に関空に行くことにした。
(最終回につづく)
関西から帰って、転職をしてバタバタしていて途中で忘れてしまったのだった。
ここは最後まで書いておかねば。
和歌山という町は、むかしは立派な町だった。
そう、新潟が実は明治まで日本最大の都市だったのを、現代人はすっかり忘れているように
和歌山も今は忘れられがちな町なのだ。
豊臣秀吉が和歌山城を築き、後に江戸幕府御三家の紀州徳川家の城下町となる。
江戸時代には全国第9位の人口を擁する城下町だったのだ。
その後も港と大きな川を持つ水運の拠点として発展していた。
路面電車も走り、ターミナルも二箇所を持っていた。
国鉄和歌山駅と南海和歌山市駅。
ただ、これは逆に観光客などからはわかりにくい印象を持たれ、
まずはどちらの駅に行けば繁華街があるのか問われてしまう。
そして種を明かせば、行政の中心も繁華街も、両方のターミナル駅周辺ではない。
今や非常に不便を感じる町だ。
さらに、地方都市のご他聞に漏れず、繁華街はシャッター通りとなってしまい、
車中心に変わって、郊外のロードサイド店で日常生活が賄われてしまっているのだ。
和歌山駅終点に到着。
いろんな電車が出入りする楽しい駅である。
まずは日根野カラーの117系に出会えた。
紀勢本線の列車かと思ったら、何と和歌山線の王寺行きである。
どうやら朝夕の混雑時に走ってるようだ。
こちらが乗ってきた105系だ。
実は私は、この無骨でスタイルと、カラーリングは気に入っている。
なんだかDCのようでもあり、ローカル色を体現しているように見えるからだ。
(この車両は元103系1000番台からの改造編入車)
そういえば、写真を撮った6月から和歌山地区の電車の塗装は変更されて
青緑一色になっているはずだ。
常磐線の元快速電車カラーだ。
写真の103系1000番台はまさしく常磐線快速として活躍した同じ車両なので、
常磐線の昔の風景が見れるようになったというわけだ。
117系が新快速としてデビューしたときはよく覚えている。
大阪に住んでいた頃だ。
とにかくスピードが速く、スマートで内装もシックで高級だった。
今はすっかりくたびれた感じだが、追加料金なしで急行や特急並みの速度と
内装を持った有り難い電車だったのだ。
JRのホームからは和歌山電鐵の電車が見える。
元は南海貴志川線だ。
今は売却されて、親会社は何と岡山のチンチン電車を経営する岡山電気軌道だ。
この岡山電気軌道は積極経営で知られ、名鉄の岐阜市内線も買う勢いだったのだ。
バスでは両備バスという名称で知られている。
この新生和歌山電鐵はたま駅長、いちご電車等で話題豊富。
観光として訪れる人も多い電車だ。
写真のようなノーマルの元南海電車のほうが珍しいぐらいだ。
ああ、関西は楽しい。
こんな103系がバンバン走っているのだから。
和歌山駅を降りた。
和歌山ラーメンの店を探したが、見つからなかった。
中心街が決してJR和歌山駅周辺というわけではないようだ。
和歌山ラーメンが見つからないので駅に戻った。
早目に関空に行くことにした。
(最終回につづく)