大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の恐怖 9月5日 深憂(4)

2018-09-05 18:47:11 | B,日々の恐怖






  日々の恐怖 9月5日 深憂(4)






 予想通り年配の女性の声が聞こえ、そして質問をぶつけてみた。

「 ○○○は大人しい子でそんな暴力沙汰なんて考えられません・・・。
3年前と言いましたが、いなくなったのに気づいたのが3年前なんです。
ずっと家に篭りっきりの○○○が、部屋の前に運んだ食事に手をつけなくなり、そういうことは、時々はあったのですが・・・。
それが続いて思い切って部屋を覗いてみたらいなくなってて・・・。
学生時代の連絡網、全員に電話してみたんですけど、誰も知らないって・・・。
頭のいい子ですから作文は好きでしたし、成績も良かったので小説は・・・
部屋の中を見なかったので分かりません・・・。
いなくなって、やっと○○○のお友達から手紙が着たと思ってお返事しましたのに、暴力事件だなんて酷すぎます。」

もちろん、こちらの経緯と、お聞きしにくい事ですが止むを得ずと言う旨は伝えたのだが、徐々に声が上ずってきていた。
 非礼を詫び、私も真相が知りたいのですと食い下がり、手紙が本人の物であるかどうか見てもらう話をつけた。













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日々の出来事 9月5日 草加次郎

2018-09-05 09:42:52 | A,日々の出来事_







  日々の出来事 9月5日 草加次郎







 今日は、営団地下鉄銀座線爆破事件があった日です。(1963年9月5日)
1963年9月5日午後8時15分、東京の営団地下鉄銀座線で京橋駅停車中の電車の座席の下にあった爆弾が爆発し、乗客13名が重軽傷を負いました。
 この事件は、“草加次郎事件”と呼ばれ1962年から1963年に起きた連続事件のうちの一つです。


  事件の流れ

脅迫状や爆破予告文は“草加次郎”の名前で郵送されています。

1962年11月4日、島倉千代子援護会事務所に爆発物を郵送。
1962年11月13日、港区麻布のバーホステスに爆発物を郵送。
1962年11月20日、有楽町ニュー東宝劇場の客席で爆発。
1962年11月26日、有楽町日比谷劇場のトイレで爆発。
1962年11月29日、世田谷区の電話ボックスで爆発。
1962年12月12日、浅草寺境内の切り株が爆発。
1963年5月9日~7月22日、吉永小百合宅に脅迫状6通を郵送。
1963年7月15日、上野公園で歩いている人を狙撃。
1963年7月24日、渋谷東横デパートのトイレを爆破。
1963年8月11日、渋谷東横デパートの屋上に時限爆弾を設置。
1963年8月14日、渋谷東横デパート店長に爆発物を郵送。
1963年9月5日、地下鉄銀座線の車内に爆発物を設置。
1963年9月6日、吉永小百合宅に脅迫状を郵送し、100万円を要求。

しかし、草加次郎は逮捕されることなく、1978年9月5日に時効を迎えました。







  草加次郎















☆今日の壺々話










    爆弾の話






「 みんな急いでイッパイ爆弾を作るんだ!
 ホントに腹立つ、クソッ!
 突然やって来て、攻撃するなんて卑怯者だ。
 平和な島を荒らしやがって・・。
  みんな親切な、いい奴ばっかりだったのに・・。
 何の罪も無い仲間を殺されてしまった。
 我々は復讐の鬼となるのだ。
  今に見ろ・・・。
 この爆弾で、木っ端微塵だ!
 ボコボコにしてやる。
 仲間の恨みを晴らすのだ。
  負ける訳には行かないぞ。
 宝物まで盗みやがって!
 あのイヌとサルとキジを連れた馬鹿野郎に思い知らせてやる!!」



















俺は天然パーマ




 俺、天然パーマなんだけど、先週の日曜日の話。
最近俺が彼女と別れたのを知ってか知らずか、友達が男2女2(友達・友達の彼女・彼女の友達・俺)で遊園地行こうと言い出した。
俺はそんなに気が乗らなかったが、仕事始まってから友達に全然会ってなかったし、気分転換になるかもと思って遊びに行くことに。
 遊園地に着いて遊んでると、友達が別行動にしようと言い出した。
知らない子なので最初は気まずかったけど、そのうち気軽に話せるようになり、だんだん楽しいと感じるようになった。
話してるうちに、その女の子とは思ってたより気が合うし、可愛いし付き合ってもいいと思った。いや、正直付き合いたいと思った。
 3時くらいになって遊園地が物凄く混んできたので、俺はその女の子に「(はぐれないように)手繋ごっか?」と言った。
彼女は男と付き合ったりした事が無いらしく、俺がそう言うと何だか恥ずかしそうにしてた。
でも、ここで2人モジモジしてはぐれても困るので、俺から彼女の手を繋いだら爆発した。
まぁ、さすがに爆発したのは嘘だけど、手繋いだのはガチで嘘。
でも、4人で遊びに行った事だけは本当に嘘。
ただ、昔彼女がいたってのはマジで嘘。
俺が天パーなのは本当。
誰か助けてくれ。



   













おっちゃんの爆弾



 じーさんの葬式の時なんだけど。
俺もあんま知らない親戚の子供(4~5歳)が葬儀中に騒いでいた。
んで、あんまり酷かったので親戚のおっちゃんが、

「 うるせーぞ、このクソ坊主!!」

と怒鳴りつけた瞬間、お坊さんの読経がピタっと止んだ。
 10秒くらいしてから、子供のことだと気付いた坊さんが読経再開したが、その場にいたほとんど全員の肩が震えていた。



















品川駅での話




 メイクバッチリのオカマが駅の男子トイレで小便してたら、小便器上の棚に置いてあったオカマの荷物が小便器に落ちた。
オカマが「あらやだ落ちちゃった。イエスフォールイン便器!」と言った。
すかさず俺が「欧米か!」とオカマの肩をポンと叩いたら、オカマのカツラが小便器に落ちた。
オカマは何かわめいてたが、俺は恐怖を感じて逃げた。

















電光掲示板の話





 駅のホームに字が流れていく電光掲示板あるよな。
今日なにげにその電光掲示板見てたら、


“ 架空請求にご注意ください。

 使った覚えのないアダルトサイトなどから

 利用料などを請求してくる悪質な

 電車がまいります。”


とか言われた、こわい。


















雪玉爆弾





 昨夜遅く、自転車を漕ぎながら家路を急いでいた時の事。
後ろから真っ黒い車がドムドム低音を響かせながら近づいてきました。
路肩に自転車を停め、鼻歌が低音にかき消された事に少々腹をたてつつも、やり過ごそうとしました。

 ゆっくりと移動するうるさい車。
すると突然、助手席の人間が、すれ違い様に「オルゥアアアーーーー!」と私を威嚇。
びっくりして思わず「ニャァアアアア!」と叫び飛び上がる私。

「 ギャハハハハ!ニャーだってよ!ゲラゲラ!」

 頭が真っ白になるって、ああいう事をいうんですね。
怒りと恥ずかしさでカーッとなって、電柱の所につもっていた雪を犬のウ○チごとかき集め、20センチくらいの雪玉をつくって自転車の前カゴにいれ、信号で停まっている憎い車を追いました。
そして、今度は私がすれ違いざまに開いていたウィンドー目がけ爆弾を投下。

 車内から「うぉー!」という声が聞こえた気がしますが、現場を離脱する事に必死の私は、ガクガクする膝で必死にペダルを漕ぎ、(細道を使ったり、時に道を戻ったりをしながら)家にたどり着きました。

 一連の興奮も冷め、ベットの中でもう雪は溶けただろうかなどと考えながら安らかな眠りにつきました。
わたしグッジョブ!



















爺ちゃん





 俺の死んだ爺ちゃんが戦争中に体験したって話だ。
爺ちゃんは南の方で米英軍とドンパチしていたそうだが、運悪く敵さんが多めのとこに配置されちゃってジリジリ後退しながら戦う毎日があったそうだ。
 話を聞いていた当時中学生の俺には、日本軍なんて「突撃!」とか「玉砕!」とかやっているイメージだったので、作戦で米英軍が進んでくるところをちょいちょい襲撃して進撃を遅らせながら、 こちらの被害は抑えて後退しながら戦うなんて意外だった記憶がある。
 そうやってジリジリ後退していた爺さん達だが、ある日、とうとう敵さんに部隊の位置を補足されちゃって、爆弾やら砲弾やらがガンガン打ち込まれる事態になったそうだ。
必死で友軍陣地を目指して逃げたので、仲間も一人二人と生死も判らないままはぐれて行き爺ちゃんも死を覚悟しながら移動したが、後1日も移動すれば安全圏ってところで、近くに爆弾がさく裂して吹っ飛ばされたそうだ。

 気がつくと友軍陣地なのか兵士が大勢いるところだったそうで、「助かったのか?」って思ったそうだ。
そこは川に近い広場の様なところで、見覚えはなかったが、大勢の兵士が寝転がったり雑談したりと大分前線からは離れた様な和やかな雰囲気だった。
 爺ちゃんは衛生兵に自分の隊はどうなっているのか聞いてみたら、川岸にたむろしているのがそうじゃないかって言われたのでさっそく行ってみた。

 川岸に行くと隊長の姿は見えなかったが、退却中に別れ別れになった仲間がいて、爺ちゃんは結構助かった仲間が多い事に嬉しくなった反面、3分の1位は姿が見えない事に悲しくなった。
そして、特に親しくしていた仲間と雑談しながらくつろいでいると、川の向こうに見覚えのある兵士が大声で叫んでいるのに気がついた。
 その兵士は大声で爺ちゃんの名字を呼んでいるので目をこらしてみたら、どうやら同じ隊のAって人のようだ。
爺ちゃんはAが川の向こうにいる事を仲間に教えた。
最初は皆きょとんとして川の向こうに人影を探している様子だったが、あんなにハッキリとAが見えているのに見つけられないようだった。

 そのうち誰かが「あ~そういう事か~」と言って、皆で爺ちゃんを担ぎ上げて、
「お前はあいつのところまで行ってこい!」とか、「しっかり泳げよ!」
と言いながら慌てる爺ちゃんを川に放り投げたそうだ。
 爺ちゃんは怪我人に酷い事をするもんだと思ったが、あの退却でAも助かったんだと思うと嬉しいので痛みをこらえて川を泳いでいった。
向かいの川岸ではAが自分の名前を呼び続けているので、声を頼りに近づいていくと急に激痛がはしり、しまったワニか??と思ったらしい。

 激痛で意識が飛びそうだと思ったとき、今度はベッドの上で気がついた。
さっきまでいた所ともまた違うどこかの友軍の陣地。
爺ちゃんは激痛をこらえながら衛生兵に聞いてみると、自分の目指していた陣地よりも更に先の場所だった。
 衛生兵に「君の隊は大変だったな、背負ってくれた仲間に感謝しろよ。」
って言われて、爺ちゃんは色々聞こうとしたが、
今は寝ていた方が良いと取り合ってはくれなかった。

 次の日、爺ちゃんは痛みと疲れでぼんやりとしているところにAが訪ねてきた。
Aは開口一番「お前は隠れて何か喰ってたのか?重かったぞ。」
って笑いながら嫌味を言ってきたそうだ。
 爺ちゃんはAが運んでくれたんだと思いながら、これでも痩せたんだと言い訳をした。
言い訳をしながらも心に引っかかる言葉が言い出せずにいると、Aの方から「ウチの隊は今の所7名だ」と言った。
 爺ちゃんはあの川岸で会った何名かの名前を口にしたが、Aは上げた名前の人は誰も来ていないと言った。
そして、今この陣地に居るのは、Aに聞いたところあの川岸に居なかった人たちだったそうだ。

 爺ちゃんは、この話をしたときに最後にこんな事を言っていた。

「 戦場に行けば死に花咲かさなきゃいかんとか話にはなるけど、やっぱ戦友には生き残って欲しいものだよ。
みんな同じ気持ちだよ。」

爺ちゃんは数十年前に亡くなってしまったが、あっちでは川岸の戦友さんと仲良くやってんのかな?


















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9月4日(火)のつぶやき

2018-09-05 07:01:21 | _HOMEページ_



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