日々の出来事 9月11日 織田無道
今日は、織田無道が逮捕された日です。(2002年9月11日)
2002年9月11日、織田無道は、都内の宗教法人を乗っ取ろうとしたとして、公正証書原本不実記載で逮捕されました。
織田無道は、臨済宗圓光寺の第49代住職で、かつてオカルトブームに乗って霊能者、タレントとしても活躍しましたが、この事件がもとでブラウン管から消えました。
超高級な赤いランボルギーニカウンタックを乗り回し、焼肉をガンガン食って、悪霊を退治する強烈なキャラクターは結構怪しげで面白い存在でした。
テレビ番組で織田無道が“相手が霊と気が付かずに襲われ、殺されそうになった”と言っていましたが、霊能者が“霊と気が付かなかった”って、何か変ですけど・・・・。
まあ、この辺も訳が分からない悪徳僧侶キャラと言うことで、復活することもあるかなァ~。
(織田無道は、2014年現在、寺を子に任せ、車海老の養殖をしております。)
織田無道
☆今日の壺々話
織田無道、霊番組を語る
「 ハハハ、冗談はいけません。
もちろん、霊を見る力はありますよ。
ただ、ワシも含めて、みんな人間、10のうち9はハズレです。
霊番組がやっているのは演出。
霊能者に自信を持たせるため、あらかじめリサーチして答えを出し、そこ
に霊能者を誘導して、さも超能力で発見したような演出をするんです。
テレビの霊番組に真実を求めても無駄ですね。」
2005年7月6日には、織田無道は早稲田大学で講演会を行っています。
この講演について、早稲田大学学生のチケット販売の掛け声です。
「 日本一のインチキ坊主!
織田無道が早稲田に来ま~す!
皆さん、如何ですかァ~?
チケット、如何ですかァ~?」
これ、ホントです。
心霊スポット
家の裏がちょっとした崖で心霊スポットになっていた
崖の上が国道で、下がオレの家(真下じゃないし林で囲まれ国道から見にくい)。
ゴミまき散らされるし、うるさいし最悪だった
ある夜 思い切りスピーカ鳴らしながらBMWがそこへ侵入。
DQNおそらく4人のカップル2組。
夜中の2時に花火を始めた。
怒り狂ったうちの今年82になる婆さん、突然家を出ると崖をよじ登って、
「 キエェェェエエエ~!」
とか叫びながらDQNを威嚇。
崖下から突然現れ奇声を発するババアにDQNの男二人がBMWに乗って逃走。
崖の反対側の壁にぶつかりバランス崩して、50メートル先の崖下へ消えていった。
残された女二人は放心してた。
警察来る前にババア退散、家に戻ると寝た。
翌日からしばらくはDQN来なかった。
ババアはお咎めなし、どうも本物と認定されたらしい。
男二人は生きてたが、BMWはまだ崖下にあります。
心霊マップ
今から2年ほど前の話です。
霊現象とか関係ないですし、皆さんの話に比べると全然小粒なのですが、俺にとっては洒落にならない話だったので、箸休め程度に聞いていただけると幸いです。
地名をはっきり書きすぎると簡単に場所特定されてしまいますので、若干のフェイクが有ることをお許しください。
俺と馬鹿な友達数人は、夏になるとコンビニなんかで売ってる「○○心霊マップ」みたいな本をナビに、きもだめし目的で心霊スポット巡りをよくやってました。
俺の地元は某有名な霊山の麓で、超有名な寺や神社が建ち並ぶ山間の小さな町です。
場所柄、関東圏内では有数の心霊スポットの宝庫ともいえるでしょう。
心霊マップには、近場にある自殺の名所の滝からちょっと車で遠出すればいける幽霊が招くつり橋、事故死した女が佇むトンネルなど色々な場所が書かれていました。
山間の田舎、都会と違って夜に碌な娯楽などはありません。
俺たちはそのうちに、行ける所は全部行き尽くしてしまい(俺は霊感のかけらもありません、友達もないのでどの場所でも一度も霊体験をしたことはないです)次どこ行こうか?と話していた時に、ある一人の友人が言ったのです。
「 俺、ネットでそういう場所集めて紹介してるブログ知ってる。
北関東も割といっぱいあった気がする。」
彼はよく内容までは読んでいなかったので、あらためて俺がそのブログを検索して、次の心霊スポットを探す役目を引き受けました。
そのブログは簡単に見つかりました。
東京在住の管理人が、東京を中心に関東から東北まで色々な心霊スポットに実際に出向き、写真と感想を掲載しているブログでした。
それによると、北関東で最も邪悪な冷気が渦巻いている場所、というものがあり俺は「すげえwwww久々に面白い場所いけそうwww」と、逸る気持ちを抑えながらリンク先をクリックしました。
タイトルだけでもおどろおどろしいものでした。
“ 血に染まる川、事故死者の怨念渦巻く○○沢の~”
確かこんな感じだったと思います。
HP管理人はその町に車で行ったのですが、近付くにつれて車は車検からかえってきたばかりなのにエンストしまくり、エンジンかふかしっぱなしになってしまう等のトラブル続出。
頭も痛くなってきて“自分はこの霊場に招かれていない客なんだ”と実感したそうです。
それをみて俺は“思い込みでそうなっちゃう奴もいるんだなー自称霊媒体質ってやつかw”と半ば馬鹿にして読んでいました。
しかし、ブログのその記事についているレスをみると、HPの常連らしき何人かも“自分もそこに向かった時、ひどい耳鳴りがした”だの“某有名な橋をこえたときに余所者は帰れ、って地の底から響くような低い声が聞こえた”だの、書いていました。
おいおい本当かよありえねーよ、そう思いながら読み進めていくとどこか、所々ひっかかるのです。
東京から、その呪いの心霊スポットに向かう管理人の目線が、普段俺がよくみている場所をみているようで・・・。
そういえば、俺の実家から歩いて1分もしない場所に俺が生まれるずっと前に列車事故があって、大勢の人が亡くなった川があったな、と。
そこで俺はようやく気が付きました。
この管理人が向かっている北関東最凶最悪の心霊スポットが俺の地元だってことに。
確かに列車事故で一度に大勢の方が亡くなりました、その前にも祭りの日に沢山の子供達がよくわからない事故死を遂げたこともありました。
今の地名が、元々あまりよくない文字で、それを良い同じ読み方の漢字にかえたらしいことも知っています。
しかし20数年生きてきて、一度も心霊現象なんかに遭遇した事はありません。
バカじゃね、そんなのあるわけねぇじゃんと思いながら、だんだん俺は苛立ってきました。
丁度、“ひぐらしのなく頃に”が流行りはじめた頃だったので、管理人さんは地元の人間の不審な振る舞いを大袈裟に表現していました。
自分が通ると、それまで談笑していた老婆達が、表情のない顔でじっと黙って観察するとか。
そりゃ東京者にはわからないかもしれないが、俺らの町では他からきたお客さんは、誰も彼も関係なく凝視対象です。
悪気があってのことじゃないんです。
そして管理人さんの記事は一通りその沢を紹介した後で、最後にもっとも霊気が強く近付くだけでも危険な場所、という事で1枚の写真を掲載して終わっていました。
その写真には、数件の隣組と共に思い切り俺の実家が写ってました。
当時の俺には、俺んちが北関東最凶の心霊スポット認定されてかなりの衝撃でした。
コメント欄にも、しらねー奴から“みただけで寒気がした”とか“この場所に怨念が渦巻いているのが雰囲気から伝わってきます、管理人様体調を崩したりとかしてませんか?”とか書いてあって軽くヘコみました。
“この小屋で何か惨劇があったのは間違いないですね”とか。
ありえねえ、それは俺んちの鶏とウズラ小屋だっつ~の。
今は、もうそのブログはアクセスしてもありません。
閉鎖だと思いますが、もしかしたら引越ししたのかも?
全然怖くない話ですみません、俺にとっての洒落にならない話でした。
子供の頃
俺が物心ついた頃から、うちの庭にはよく、女の子が入ってきた。
歳は10歳ぐらいで、ニコニコと笑って俺の遊び相手になってくれた。
両親が共働きだったから、一人で留守番することも(短時間だが)多く、そんなときはいつもその子と遊んでいた。
女の子は両親には見えないらしく、「おねーちゃんと遊んでる」なんて母親に言っても「どこにいるの?」って返事ばかり。
でも、そんなのは子供にとってはどうでもいい事だったのだろう。
俺はあまり気にせず、そういうもんなんだと当時は思っていた。
女の子は決まって、庭の一本の木の近くで遊んでくれた。
木登りしてみせてくれたり、虫を捕まえたり、木陰で一緒に昼寝したりもした。
近所にあまり同世代の子供がいなかったせいもあり、歳は離れていたがとても良い友達のような関係だった。
だが、小学校に入り、社会性が芽生えてくると、「周りと違う」という気持ちが出始めた。
女の子とはあまり遊ばなくなり、たまに遊んだときも「ねえ、なんでほかの人には見えないの?」と、しつこく女の子に聞いたりした。
そんなときは決まって、女の子は「ごめんね」と困ったような笑顔で木の陰に隠れてしまい、それっきり消えてしまうのが常だった。
でも、たまには無性に女の子と遊びたくなり、追いかけっこしたり、地面に棒で絵を書いたりして無邪気に遊ぶこともあった。
友達というよりは、兄弟に近い関係だったのかもしれない。
そんな日々を過ごし、2年生になる直前の3月、俺は一家で引っ越すことになった。
父親の転勤が急遽決まったということで、慌しく引越しの準備をした。
女の子は、それを寂しそうに眺めていた。
俺も女の子と別れるのがつらく、準備を手伝うことでそれを紛らわそうとしていたが、こらえきれずとうとう泣き出してしまった。
普段、仕事でいつも遅くまで帰ってこない父親も、当然引越しの準備をしていたが、俺の泣いている様子を見て優しく声をかけてきた。
「 ○○、寂しいかもしれないけど、あっちの家は広くて、新しくてきっと楽しいぞ。」
違う、そんなんじゃない、と俺は更に泣いた。
あそこにいる子と会えなくなるのが嫌なんだ、あの木のところにいる女の子だよ、と。
父親の動きが一瞬止まって、木のところをゆっくりと見た。
そして、父親の目から涙がつーっと垂れてきた。
「 お前、ずっと居たのか。そうか、その木、お前の木だもんな。」
父親がそういうと、女の子はニコニコ笑って答えた。
「 そうだよ、パパが植えてくれたんだよ。私の記念樹。」
そう言うと、女の子の身体がすぅっと浮き上がり始めた。
母親も呆気にとられてその様子を見ている。
父親は女の子に叫んだ。
「 ずっと○○を見ててくれたんだな。ありがとう。
ごめんな、気づいてやれなくて。」
女の子はニッコリと微笑んで、空に浮かんで、消えた。
俺はなぜかその時、ああもう、この子とは二度と会えないんだな、と思った。
だけど不思議と悲しくはなく、人生で初めての「切ない」という気持ちになった。
後で聞いた話だが、父親と母親は再婚して、俺が生まれた。
父親は初婚が早かった。
いわゆるデキ婚だ。生まれた娘は10歳のとき、交通事故で死んでしまった。
娘を失って大きな喪失感を味わった父親と前の奥さんは、それが原因で離婚していた。
女の子とよく遊んだあの木は、娘が生まれたときに父親が植えた記念樹だった。
そういえば、女の子と遊んでいるとき、女の子はよく言った。
これ、私の木なんだよ、と。
引っ越したあとも、記念樹は新しい住人によって大切に育てられている。
今でもたまに立ち寄ると、当時のことを思い出して、懐かしさと切なさがこみあげてくる。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ