大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 9月22日 耐乏生活評論家 横井庄一

2018-09-22 10:18:56 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 9月22日 耐乏生活評論家 横井庄一





 今日は、耐乏生活評論家の横井庄一が亡くなった日です。(1997年9月22日)
1972年1月24日、グアム島で28年間逃亡生活を送っていた元日本兵横井庄一が地元の漁師に発見されました。
 横井庄一は、戦争が終わったにもかかわらず、投降勧告をアメリカの謀略と考え、グアム島のジャングルで、入り口縦横80センチ、深さ2メートル、奥行き3メートルの穴を根城にゲリラ生活を始めます。
 食料は、パンの実を食べ、たんぱく質は野ブタ、ネズミ、トカゲ、毒を抜いた毒ガマ蛙、また、竹で作った籠で川のエビやウナギを捕り、アメリカ軍に見つからないように猟をした痕跡を常に跡形もなく消し去ります。
衣類は、元洋服屋の技術を生かし、パゴの木の薄皮をはいでアク抜きし繊維を作り、手製の機織りで布にし、縫い上げて、半年がかりで完成させました。
ゲリラ生活は過酷で、何時アメリカ軍に見つかるか分からないと言う不安のため、28年間、一瞬たりとも横になり熟睡したことがなく、独り言も自分に禁じていました。
 1972年、小柳ルミ子の“瀬戸の花嫁”やぴんからトリオの“女の道”が大ヒットし、札幌冬季五輪が開催され、平和ボケ真っ只中の日本に突如現れた日本兵は、日本中に戦争はまだ終わっていなかったことを思い知らせました。
 生きて本土へは戻らぬ決意を持って戦地へ赴いた横井庄一は、1972年2月2日、日本に帰国します。
その時の第一声、“帰って参りました・・・恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました”と言う言葉は、まさに戦時中の精神が、この時まだ生きていたことを物語っています。
この“恥ずかしながら帰って参りました”は、平和な日本で1972年の流行語となりました。
 横井庄一は帰国後結婚し、青春を少し取り戻します。
そして、グアム島での28年間の逃亡生活を題材に、耐乏生活評論家として全国各地で講演、1974年の参議院選挙にも立候補するなど活躍しました。








 横井庄一
















☆今日の壺々話










       掛け声



あの~、重いものを持つ時の掛け声は~?

「 よっこい、しょ~いちィ~!」

こんなの、昔ありましたけどォ・・・。ヽ(´∀`)ノ












    ジャングルのシシバナヘビ



 シシバナヘビっていんだろシシバナヘビ。
外敵に襲われると死んだ振りするらしいけど、それが半端じゃない。
痙攣しながら身をよじり、口から食べ物を吐き出して苦しむ。
さらに口から血をたらしながら腹を上にして動かなくなるらしい。
どれだけビビってんだよwww、血ってwww、それ本当に死ぬだろwwww。
 さらに、その状態の時にひっくり返して腹を下にしてやると、焦って即効ひっくり返って腹を上にして、死に真似続けるらしいwwww。
動いたら駄目だろwwww、ばれるってwww、ばれてるってwwww。
“いや~、ヘビーな状況を切り抜けましたわ~”って、やかましいわ!!


















祖母から聞いた話




 太平洋戦争中、曽祖父は兵役で東南アジアに出征していたそうです。
と言っても戦闘要員ではなく、現地に補給用の鉄道のレールを敷く工兵部隊の小隊長を命ぜられていました。
小隊長といってもふんぞり返っていられるわけではなく、自分自身も一緒に作業していたそうです。

 ある日、いつものようにレール敷きの作業をしていた祖父は探していた工具がトロッコの下にあるのを見つけて取ろうと思い、トロッコの下にもぐり込みました。
すると向こうの空から、聞きなれないプロペラ音が聞こえてきました。
 その時曽祖父はトロッコの下にもぐり込んだまま心臓が止まるかと思ったそうです。
それは敵の戦闘機のプロペラ音だったのです。

「 敵機ぃーーーーー!!!!」

 隊員の誰かが言うが早いか、機銃掃射が始まりました。
運良くトロッコの陰にいる形になった曽祖父は戦闘機の照準にはなりませんでした。
そしてトロッコの下から、

「 みんな逃げろ!逃げろ!それか隠れろ!!!!」

とわめいたそうですが、逃げ遅れたり、隠れられなかったものは、次々と弾丸に倒れて行ったそうです。

 何人もを殺した後、戦闘機は気が済んだのか、はるか遠くの空へ消えて行きました。
プロペラ音が聞こえなくなると、生き残りが周囲の物陰から、わらわらと這い出してきました。
うろ覚えですが、たしか生き残りは20人くらいだったと憶えています。
 曽祖父は小隊長として、本部にこの事を報告せねばならなかったならなかったのですが、 運の悪いことに先ほどの襲撃で通信機が破壊されてしまい、仕方なく全員を連れて徒歩で熱帯雨林のジャングルを突っ切って本部に向かう事になりました。

 地図を元に座標や方角を確認した後ぞろぞろと行軍を始めましたが、ジャングルと言えば何しろ悪路も悪路。
歩けども歩けども本部には到着しません。
空が暗くなってきて月が昇った頃、ようやく全員気付きました。

「 我々は迷った……!」

すでにその時は、地図を見ても一体今自分たちが何処にいるのかさえわからない状態。
疲労の色が濃い隊員を前に、小隊長として責任を感じていた祖父は、ひどく焦ったそうです。
通信機が無い今、こんな広いジャングルで迷ったら誰も助けに来られない。
はっきり言って、シリアスな状況です。
 しかし曽祖父は気丈を装って言いました。

「 こうなったらじたばたしても仕方ない。
とりあえず今日はここで野営して、また明日本部を目指そう。
なあに、朝になって太陽が出れば方角が分かるわ。」

 曽祖父の空元気溢れる発言を受けた隊員たちでしたが、バレバレの空元気では勇気付けられるはずも無く、その場に腰を下ろして、口数も少なく持っていた食料をポリポリかじっていたそうです。
曽祖父も同じように食料を口にしていた時、隊員のひとりが、

「 たっ、たっ、隊長っ……。」

と、密林の向こうを指差しながら大慌てで曽祖父の方に駆けよって来ました。
 指差す方を見ると、何やら暗がりの中で黄色の明かりがユラーリユラーリと揺れている。
夜目の遠目ではっきりとはわからないが、目測では大きさ30センチくらいか。

「 敵……!?」

隊員達に緊張感が漂いました。
もしあれが敵部隊のライトだったら…、こんな状態で戦闘になったら…。
そう思うと心臓は駿馬のひづめの様に拍を打ち、冷や汗は滝のようにいくらでも出てきます。
 全員ノドをカラカラにしながら、しばらくその明かりを観察していましたが、 徐々に怪訝な顔をしはじめた。
どうやらその黄色の明かり、様子がおかしい。
普通ライトを手に持っていれば、その明かりはこっちに近づくなり、遠ざかるなりするものです。
 しかしその明かりは近づかず離れず、誘うように同じ位置でずっとユラリとゆれているのです。
そのゆれ方は、8の字を横に倒した無限大「∞」のカタチをなぞるような動きだったそうです。

 そして、もっとも驚くべき事がおこりました。
皆がその明かりをまじまじと見つめていると、なんとその明かりが、「ちょうちん」になったのです。
そうです、時代劇やなんかに良く出てくる、あの提灯です。
現代では全くみかけませんが、当時まだ夜歩きの照明として使われていたそうです。

“ しかしここは日本から遠く離れた戦地。なぜこんなところに?
ありえない、ありえない。”

と、曽祖父は頭を振りました。
 しかもそのちょうちんには、何やら文字と家紋が書かれている。
目の前で繰り広げられる不思議な映像に呆気にとられながらも、皆、そのちょうちんに目を凝らして文字を読もうとしました。
そして曽祖父はここでまた、心臓が口から飛び出すほどおどろくことになりました。

「 ………な、なぁ!!??」

なんとそのちょうちんには、曽祖父の苗字が書かれていたそうです。
しかも家紋は、見まごう事無き我が家の家紋!
 隊員達も同じものを目撃し、全員頭の上に巨大な?マークを何個も浮かばせて曽祖父の顔を見ておりました。
曽祖父は混乱する頭を必死に整理しながら、実家の家族の事を思い出していました。

“ ……そう言えば帰りが遅くなった時、いつも家族がちょうちんを持って迎えに来てくれたっけ。
そうそう、丁度ああ言う風にちょうちんを揺らして、おれが見つけ易いようにって……。
あれは…、あれは、ひょっとしたら、神の助けかもしれない!”

何故かそう思った曽祖父は、隊員達にあれは確かに我が家のちょうちんだと告げ、

「 あのちょうちんについていくぞ!」

と言いました。
 まともな判断だとはおもえません。
しかし隊員達も不思議現象を目の当たりにした直後でしたので、かなりパニくっておりまして、 口々にあれは狐火じゃ、いやきっと狸じゃ、化かしてワシ達を食おうとしとんるじゃーと、およそ論理的でない反論をしていたそうです。

 結局、何だか知らないが、強烈な確信のある曽祖父の猛烈な説得により、隊員達はしぶしぶ曽祖父に従うことになりました。
曽祖父は、ちょうちんに向かってずんずん進んで行きます。
その方角は、曽祖父たちがおもっていた方角とは全く別の方向でした。
 ちょうちんは、前と同じようにゆらゆら揺れながら、常に一定の距離を保って離れていきます。
曽祖父たちは足の痛みも忘れて、そのままちょうちんを追いかけ続けました。
 何時間歩いたでしょうか、東の空が白み始めた頃、曽祖父率いる小隊は突然にジャングルを抜け出し、本部にたどりつきました。
いわく、一心不乱にちょうちんを追いかけ続け、急に眼前が開けたかとおもうと、本部に辿りついていたらしいです。
その時、さっきまではっきり見えていたちょうちんは、どこを見回しても影も形もなかったそうです。

 日本に帰ってきた曽祖父は、両親にそのことを報告しました。
すると両親から、驚くべきことをきかされました。
なんと曽祖父が出生した後、曽祖父の父は息子の生還を願って、毎晩近所の山中にある稲荷神社に出向き、行水をしていたのでした。
それは雨の日も風の日も一日とて休まず続けられたそうです。
 曽祖父が遭難しかけた前後は、何故かこれまでに無いほどのイヤな胸騒ぎが猛烈にしたらしく、風邪の身を押して稲荷神社にでかけ、普段より気合をいれて行水をしていたのだそうです。

「 お稲荷さんが不憫におもって、お使い狐を東南アジアにまで飛ばしてくれたんかねぇ…。
あのちょうちんは、きっと、狐火が化けてくれたんじゃわ…。」


とは、私にこの話を教えてくれた祖母の言葉です。





















ラフレシア





 4~5年ほど前に、取引先の人から聞いた話。
その人が言うに、もうだいぶ前の出来事とのことだから、少なくとも10年以上前のことと思われる。

 インドネシアにA氏(話してくれた人)、B氏、C氏の3人で仕事に行った。
仕事といっても、半分は遊びを兼ねたような旅行だったらしい。
そんなわけなので、仕事が終わってから10日近い暇ができ、最初の2~3日はのんびりと観光を楽しんでいた。
 3人とも現地は初めてではないので、なんとなく退屈さを感じていたところ、B氏が「ラフレシアを見てみないか?」と言い出した。
 ジャングルに入るには、やはりガイドが要る。
C氏が伝をたどってガイドをさがしたところ、幸いにも引き受けてくれる人が見つかった。
 翌日、3人はガイドのいる町へ向かった。
そしてガイドと落ち合い、装備を調達すると、その町の安ホテルで1泊した翌早朝、ガイドを含めた4人はジャングルへと分け入った。
 念のためにラフレシアについて書いておくと、巨大な寄生花であるこの植物は、数が少ない上に開花する時間も僅かで、なかなかお目にかかることは困難である。
ガイドにも「期待はしないほうがいい」と予め念を押された。
 まずは蕾を探し出し、その蕾が開花するまで待って花を見るというのが普通だが、日帰りで何日かジャングルに分け入っても、まず無理だろうとのことだ。
それでも、偶にはジャングル探検も悪くない、何かの話の種になるだろう。
3人はそんな気分であったということだ。

 1日目。何の成果もなく終わった。
A氏はジャングルに分け入るということがこんなにも大変だとは思わなかったという。
何と言っても蒸し暑く体力の消耗が酷い。
おまけに害になる生き物にも常に注意を払わなければならない。
おそらく、他の2人も同じ気持ちであったろう。

 2日目。昨日とは方向を変えたが、これまた成果無し。
疲労困憊でホテルに帰る。
もう、いい加減嫌にはなっていたが、せっかく来たのだからと、明日もう一日がんばってみることにした。

 3日目。当然、1日目、2日目とは方向を変えて分け入る。
しかし、やはりというか、蕾さえ発見できぬまま時間は過ぎてゆく。
幾分早い時間だが、かなり疲れもあって、諦めて戻ろうということになった。
ガイドにその旨を告げると、4人は道を引き返した。

 2時間半ほど歩いたころ、列の最後尾にいたB氏が声をあげた。
B氏が指差すほうを見ると、遠くに何やら赤茶けた塊が見えた。

「 あれ、ラフレシアじゃないのか?」

ガイドは目を細めるようにして見ていたが、突然、顔を引きつらせた。

「 急ごう!黙って付いてきなさい!」

ガイドは小走りに進み始めた。
なおもそれを気にして足の進まない3人に振り向きざま言った。

「 命が欲しいのなら、急ぎなさい!」

只ならぬガイドの雰囲気に、3人は慌ててガイドの後を追った。
 しばらくすると、生臭い臭気が漂ってきた。
ふと振り返ったA氏の目には、赤茶けた物体がさっきより確実に近いところにあるのが映った。

「 動いているのか?あれは!」

 この臭いがあの物体から発せられているとしたら、あれはラフレシアではない。
実際に臭いを嗅いだことはないが、ラフレシアは肉の腐ったような臭いのはず。
なのに今漂っているのは生臭さである。
A氏はあれがラフレシアではないどころか、何か得体の知れない「嫌なもの」であることを確信した。
自然に足が速まる。
 ガイドはもちろん、B氏、C氏もそれに感づいたようで、自然と一行の足は速くなった。
生臭い臭気は、徐々に強くなっている気がした。
後ろを振り返ってみようと思うが、恐怖でそれもできない。
後に続くB氏、C氏の2人もA氏を追い抜く勢いでぴったり付いてくる。
 普通の道ではないから、全力疾走というわけにはいかないが、可能な限り速く走った。
ようやく、自動車の通れる道が見えてきた。
ふと振り返ると、それはもう10メートルに満たない距離にいた。
その距離で分かったのだが、それは大きさは2メートル近く、直径70~80センチもある寸詰まりで巨大なヒルのような感じであった。

 道に出ると、ガイドが足を止め荒くなった呼吸を整えている。
3人も立ち止まった。

「 もう大丈夫だと思います。」

ガイドが息を切らせながら言った。
A氏は安堵のあまり、その場に座り込んだ。
他の2人も真っ赤な顔をしてしゃがみこんだ。
 落ち着いてみると、もうあの臭いはしない。
ジャングルの中を見たが、木々が日光を遮っているせいで、様子は分からない。

「 あれは、何なのか?」

ガイドに尋ねたが、首を振っただけで何も答えてはくれなかった。
 結局、ホテルに着いても、

「 あのことは忘れてください。
私も詳しくは知らないし、忘れたほうがいいですよ。」

と、あれが何かは教えてもらえなかった。
 後日、C氏が仕事でインドネシアに行ったとき、かなり方々でこの件を聞きまわったようで、いくらかの情報を得ることができた。
 それは「人を喰うもの」で、人をみつけると執拗に追いかけ、人が疲れて動けなくなったとき襲い掛かってくるという。
 太陽の光が好きではなく、あのとき、もし早めに切り上げていなかったら、ジャングルを抜け出しても追ってきて、逃げ切れなかったかもしれなかった。
それを見たら、現地で言うお祓いを受けなければならない。
お祓いを受けなければ、それは追いかけた人間を忘れず、執拗に狙ってくる。
3人はお祓いはしなかったが、すぐに日本に帰ったので難を逃れたのではないか。
そして、その名前は分からない、というよりも口にしない、ということであった。




















  ルポ 「 ジャングルの奥地に幻の生物“スイーツ”をみた!! 」




 我々デキる女性探検隊一行は、南米はアマゾン、魔境“ロハス”へと向かった。
その魔の密林に住むという未知の生物スイーツを捕獲するためである。
スイーツの身長は15m、太古に生息した恐竜を思わせる姿を持ち、秋色ファンデが似合う自立した大人の女性の雰囲気をかもし出す。
現地では、まさに“等身大の小悪魔”と恐れられているのだ。
 我々一行は、とりあえず川を上流までボートでさかのぼった。
ボートから落ちれば、たちまち殺人魚ピラティスの餌食になる。
やがて上流にたどり着いた我々はボートから降り、そこから徒歩でロハスへ向かうことにした。
 何かが密林から常に上目遣いで我々を監視している、そういう気配がした…そのとき!
何者かが我々に突如毒矢を放ち、奇声を上げながら我々を制止したのだ。
その者は、愛されメイクに着まわしトップレスのいでたちをした未開の裸族ワーキングビューティーだった。
 ワーキングビューティーは、恋に効く女の武器を手にしながら、我々を威嚇していた。
我々は現地ガイドを派遣し、なんとか説得を試みた。
 現地ガイドの説得によって誤解が解けた我々は、彼女らの村に招待されることになった。
そこでは今まさに彼女らは合コンの真っ最中であった。
我々もその席に参加した。
この席で男女が結ばれ、やがてWハッピー婚に至るとアンチエイジングに夢中の長老は語った。
 我々は、長老にロハスとスイーツについて聞いてみた。
長老によると、ロハスはこの村から一つ山を越えた先にあるという。
そして、長老はロハスのスパで岩盤浴の最中、スイーツを目撃したというではないか。
 しかし、長老はこれ以上語りたがらなかった。
我々は礼を述べ、眠りにつくことにした。

「 明日は、いよいよロハスだ。
それじゃあ、みんな。
おやすみ、マンモス!」


 翌朝、我々は日の出とともに目を覚まし、ロハスへ向かう準備を開始した。
ロハスは、特殊な地形と強力なマイナスイオンの効果により、方位磁石はおろかGPSすら効かない。
さらに危険な動植物が我々の行く手を阻む。
まさに文字通り魔境なのだ。
 我々はモテカワメイクを施し、勝負下着を装着し、念には念を入れた。
ちょうどそのころ、ワーキングビューティーの集落では、ガールズトークに華を咲かせながら、女たちがフェミニンな朝食の準備を始めていた。
 我々も朝食に呼ばれ、村にある隠れ家的オープンカフェにお忍びで集合した。
彼女らの主食はパスタと呼ばれ、練った小麦を麺状にしたものを各種ソースでからめて食べるという、まさに文明社会に生きる我々にとって想像を絶する食べ物であった。
 朝食後、長老が我々の無事を願い、祈祷を捧げてくれるというではないか。
長老は奇声を上げながら、ホットヨガでポーズを取りながら、呪文を唱えた。

「 鏡に向かって頑張れ自分!
可愛い顔が台無しだぞ!!
キエーー!!!」

 長老によると、この呪文は女ヂカラをアップさせ、自分らしさを演出させてくれるという。
 万全を期した我々一行は、村人に礼を述べ、ロハスへ向かうため村を出た。
険しい山道とジャングルを行くこと数時間、それらしき場所に到達した。
そう、若い女性に人気の高級ブランドショップが立ち並ぶ、この新定番スポットが魔境ロハスである。
 我々は恐怖と興奮によって血液がサラサラになるのを感じた…まさにそのときである!
神戸系コンサバ隊員の一人が、怒号のような悲鳴を上げたのだ。

「 ぐああああぁっ!!やられた!!」

なんと、獰猛な毒蛇に右足を咬まれたというではないか。
 すぐさま我々に同行していたセレブドクターが診察を開始した。
ドクターが曰く、この場で右足を切断するか、各種サプリメントによるデトックスしか助かる方法は無いという。
我々はデトックスを選択し、隊員の女子力を回復するのを待つため、ここでベースキャンプを張ることにした。
 百戦錬磨の隊員達は、手際よくくつろぎインテリアを配置し、アダルトなショットバーを持つベースキャンプを設置することに成功した。
そして、負傷した隊員を酸素バーに運び、ここで治療を続けることにした。
 と同時に我々は、スイーツを捕獲すべくキャンプの近くに数箇所のハニートラップを設置。
繁殖期で恋愛体質のスイーツをハリウッドスターに大人気のキラキラ小物で誘い出すという作戦だ。
 それとは別に、夜間撮影のできるビデオカメラを数台設置。
捕獲できなくても、せめてその姿をがんばった自分へのご褒美に撮っておきたいとの思いである。
やがて夜を迎え、隊長は危険な生物が我々を襲わないよう見張り役に思い切って残業を伝えた。

 次の朝、我々はハニートラップに仕掛けたキラキラ小物がなくなっているのに気づいた。
ついにスイーツが現れたのか?“ヤバイ!キテる!”、隊員達は全てのハニートラップを確認した。
しかし、キラキラ小物が全て取られているだけで、スイーツの姿はどこにもなかった。
 ビデオに映っているかもしれない。
我々はビデオをすぐさま再生。
女だけで、楽しむ。
が、ビデオに映っていたのは、いかにもヲタージョで喪女な野生のメスイノシシだけだった。
 しかし、負傷者が出てしまった以上、ここに長居をすることはできない。
我々は等身大の自分を残念に思いながらも、ロハスを後にした。
 この魔境に絶対スイーツは存在する。
今も、スイーツの、そんな彼女の普段の顔はツンデレ系でカレの気を引いちゃっているのだから…。
我々が愛され上手である以上、かならずこの目で常に上目遣いで見届けてやると、隊員達は各々、胸に熱い思いを抱きながらジャングルを眺めていた。






              ― ― 完 ― ―





















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9月21日(金)のつぶやき

2018-09-22 07:56:54 | _HOMEページ_



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