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日々の出来事 11月9日 ベルリンの壁と紙の車トラバント

2018-11-09 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月9日 ベルリンの壁崩壊と紙の車トラバント





 今日は、ベルリンの壁が崩壊した日です。(1989年11月9日)
1989年11月9日18時56分、東ドイツ政府の政治報道局長ギュンター・シャボウスキーが、新しい旅行に関する法律を記者会見で発表します。

「 外国への旅行は、その目的、および親戚関係を問わず許可申請ができるものとします。これに対する許可は、短期間のうちに発行されるものとし、申請却下は特別な理由のない限り、この適用を免れるものとします。
また、無期限の出国に対しても、ビザは発行され、出国者は、全ての東ドイツから西ドイツ、および西ベルリンの国境検問所を使用できるものとします。」

イタリアの記者が聞きました。

「 何時からですか?」

ギュンター・シャボウスキーは答えます。

「 今直ぐです。」

このニュースは、瞬く間に東ドイツに広がりました。
 そして、半信半疑の市民が多数、国境検問所に集まり始めます。
午後8時半頃から、市民は西ドイツに流出を初め、午後9時半頃には最初の東ドイツの車トラバントが西ドイツに向けて出て行きました。
 その後は、堰を切ったように数え切れないほど多数の群集とトラバントがドンドン西ドイツに流れ出しました。
経済的に疲弊していた東ドイツが、ベルリンの壁とともに崩壊し、新しいドイツが生まれた瞬間となりました。





  ベルリンの壁崩壊














☆今日の壺々話









      紙の車“トラバント”




 東ドイツの車“トラバント”は非常に旧式の車で、エンジンは2サイクル、車体は鉄の流通が少ないのでプラスチックで出来ていました。
その上、経済が疲弊するとプラスチックも質が悪くなり、見た目それが紙のように見えました。
だから、紙で出来た車と呼ばれていました。
 それでも、トラバントは、注文して手に入るまで10年は待たなければならない貴重な車です。
それから、この車はスピードが遅くノロノロ走ります。
このスピードが遅いトラバントについて、ドイツのジョークがあります。


   トラバント(愛称Trabi)

「 Warum heist der Trabi Trabi?」
( なぜ“トラビ”はトラビという名前なんだ?)

「 Das geht nicht anders.
Wenn er noch scheneller fahren kann, wird er Gallopi heisen!」
( 仕方が無いだろ。
もっと速く走れるのなら、“ギャロッピ”って名前にしてるぜ。)

Trabは馬の速足、Gallopは馬の駆足です。













       パッシング



 東西ドイツが統一された頃、アウトバーンでポルシェが故障したトラバントを牽引する事になった。
出発する前に、ポルシェのドライバーはトラバントのドライバーに言った。

「 俺は飛ばし屋だから、ついつい君の事を忘れてスピードを出してしまうか
 も知れん。
 スピードが出すぎてると思ったら、パッシングして知らせてくれ。」

そうして出発してから数分後、一台の車がかなり強引に彼らを追い越して行った。

それからさらに数分後、アウトバーンを眺めていた一人の男が叫んだ。

「 信じられない!
 トラバントがポルシェをパッシングして煽ってるぜ!。」
















交通事故



 2台の自動車がフリーウェイで正面衝突した。
2台とも大破したが、どちらの運転手も無事だった。
 先に車から這いだした老紳士が他方の車に駆け寄り、運転していた中年の男を助け出してから、柔らかい物腰で言った。

「 お怪我は、ありませんかな?」

男は、相手の意外なほどに紳士的な態度に驚き、丁寧に答えた。

「 ええ。あなたは?」
「 私も無事です。
こんな事故なのにお互いに怪我一つしないなんて、奇蹟としか言えませんな。」

そう言うと老紳士は、内ポケットから小瓶を取り出して男に差し出した。

「 こんなときは気を落ち着けるのが一番ですぞ。」
「 おお、これはありがたい。」

男は小瓶を受け取り、中身のウイスキーを半分ほど飲み干した。

「 さあ、あなたも。」

男が返した小瓶を受け取ると、老紳士は小瓶の蓋を閉めて内ポケットにしまい、皺だらけの顔に微笑みをたたえて言った。

「 私は警察の事故処理が終わってから、ゆっくりと・・・。」


















自動車会社名



質問
トヨタ→創業者 豊田さん
ホンダ→創業者 本田さん
マツダ→創業者 松田さん
スズキ→創業者 鈴木さん
光岡→創業者 光岡さん

何で日本メーカーは創業者の名前を社名に採用し、それを社名変更もせずに使い続けてるの?
はげしくダサい。
ひょっとして海外メーカーも名前?ジャガーさんとか。



回答

フェラーリ:エンツォ・フェラーリ
ポルシェ:フェルディナンド・ポルシェ
ランボルギーニ:フェルッチオ・ランボルギーニ
オペル:アダム・オペル
シトロエン:アンドレ・シトロエン
プジョー:アルマン・プジョー
ルノー:ルイ・ルノー
ベントレー:ウォルター・ベントレー
マクラーレン:ブルース・マクラーレン
ロールスロイス:チャールズ・ロールズ フレデリック・ロイス
シボレー:ルイ・シボレー
クライスラー:ウォルター・クライスラー
フォード:ヘンリー・フォード
ダッジ:ダッジ兄弟
アストンマーティン:ライオネル・マーティン
ブガッティ:エットーレ・ブガッティ
ランチア:ヴィンチェンツォ・ランチア
マセラティ:マセラティ兄弟
ブリヂストン:石橋

こんなとこか。
ダサイかどうかは、おまいの感性の問題だからどうでもいい。

















日本の自動車メーカー





ダイハツ→技術者集団が工場用大型エンジン製造のため設立、国鉄とつるんでSLの部品や電車の自動ドアなども作る。その後の昭和初期、社外販売用に小型エンジンを作ったが、どこのバイク屋もオート三輪屋も採用してくれないので自前でオート三輪トラックを作り出したら、当たった。

マツダ→器用なコルク加工・機械加工メーカーが「オート三輪は儲かりそうだ」と見てダイハツと同時期に業界参入、成功。

いすゞ→まともな大型トラックが欲しい戦前の政府と軍が、うだつの上がらない零細自動車メーカーのダット自動車、エンジンや機械製造で戦前の有力メーカーだった東京瓦斯電気工業の(儲からない)自動車部門、名門重工企業・石川島造船の系列の(儲かってない)石川島自動車を、国策合併させた。

日産→いすゞができる時「役に立たないからイラネ」と放出されたダット系の一部の小型車工場・人材を、新興財閥の戸畑鋳物が多角化のため頂いちゃった。コンツェルン名を「日本産業」としたのでその自動車部門が「日産自動車」となる。

トヨタ→自動織機業界のトップメーカーの御曹司が、自動車開発の野心で大金投入して参入。いすゞ・日産と共に軍需で伸びる。

日野→いすゞの特殊車部門で旧・瓦斯電系エンジニアのすくつだった日野工場が戦時中に政府命令で分社され、戦後そのまま元サヤに収まらず大型車両屋になっていすゞのライバルに。


戦後参入組はややアレで・・・。

ホンダ→丁稚上がりの頭に血が上った凶暴なおっさんが、終戦後、払い下げの軍用小型発電エンジンで原付バイクを作り始め、有能なマネージャーが暴れるおっさんをうまく操縦したので、暴走しながら四輪車メーカーに発展。

スズキ→上のヤバイおっさんが自転車にエンジン付けて商売に成功しているのを見た近所の織機メーカーの婿養子が、「ウチもやってみようか」と参入、バイクと軽とでちまちまやりながら、次の代の婿養子のえぐい手腕で伸びて成功。

スバル→敗戦で食い詰めた元軍用機設計者たちが、スクーターやバスボディなど作れるモノを作ってあがいた末、「大人4人乗れる軽自動車作ったら一山当てられるんじゃね?」と無謀なことを考え、持ち合わせた変態技術を盛大に無駄遣いしてオーパーツのような軽乗用車を実用化、変態を連発して自社ブランド確立。


三菱は?


三菱は、やる気があるのかないのかわからない。

1.大正時代、財閥の見栄でフィアット車のコピーを作ってみる→頑張っても儲けにならないのですぐやめた。
2.昭和に入り、「おまいらも作ってくれんか?」と国から尻を叩かれ、スイス車のサウラーなどを参考にして、「ふそう」ブランドのトラックやバスの製造に乗り出してみるが、当時は軍用機や艦船の方が忙しくて、そんなに力が入ってなかった。戦前、国産トラックで一番信用があったのはいすゞ。
3.戦後、食い詰めて否応なくトラック・バスやスクーター製造を始めるが、会社が地方毎に3つに分割されてしまう。これでもたついて、しばらくして再統合しても何だかおかしい
4.昭和30年代、国が国民車構想という変なことを考えて(ポシャった)、唯一、真に受けて(素直すぎる)変なミニカーを作ってしまうが売れない。でも財閥の見栄でそのままもっと大きい乗用車を作り始める。今度はフィアットにライセンス生産を申し込むが断られた。
5.しかし頭が悪いのか、名古屋&京都の工場と、岡山水島の工場で、クラスが完全にかぶる小型車とか、中型トラックを別々に開発とかする。
6.自動車部門が重工本体から分社されるが、何しろ財閥の見栄でいらんことばかりやって、いろいろあって……、あんなことになっている。















 栄光の現代自動車 腹立ちまぎれの開発史(2004-2009)






現代自動車→トヨタにハイブリッド車の技術移転を要求。
トヨタの回答→断る。

現代自動車→トヨタにハイブリッド車の共同開発/OEM販売を提案。
トヨタの回答→断る。

現代自動車→トヨタにハイブリッドメカニズムの販売を要求。
トヨタの回答→断る。

現代自動車→トヨタに保守交換部品としてハイブリッドメカニズムの販売を要求。
トヨタの回答→弊社のハイブリッド車ユーザに対してならば当然可能と回答。

現代自動車→部品リストを元に一台分のハイブリッドメカニズムのみの合計価格を試算→800万円以上になることが判明 激怒。

現代自動車→腹立ちまぎれに韓国内の新聞でトヨタを詐欺企業として非難。
トヨタのハイブリッド車は500V以上の高圧電流を使っているので感電死する可能性が高いという噂を流布。
トヨタの反応→無視。

現代自動車→クリックという小型車にパナソニック製の電池と三菱製のモータを追加した回生充電機能の無いモーターアシスト車を数台試作しハイブリッド車として官公庁にリース配布していたが、元になったガソリン車より燃費が悪かったことが発覚し、慌てる。

現代自動車→腹立ちまぎれにターゲットをハイブリッドからディーゼルに変更
日本のディーゼルエンジン技術は遅れているという噂を新聞を使って流布、
(実際は日本とドイツがディーゼル機関の主要特許を独占)。
日本の反応→無視。

現代自動車→大規模石油精製所をもたない韓国は2007年の原油高騰の影響をモロに受け軽油の値段がガソリンより高くなるという珍現象が発生。
そのためディーゼル車の販売台数が激減。腹立ちまぎれにターゲットをディーゼル車からハイブリッドに再度戻す。

現代自動車→トヨタ車の特許の壁に気づき、腹立ちまぎれにターゲットをトヨタからホンダに変更2007年 韓国の新聞を使って、2年後にはホンダのハイブリッド車を抜くと発表。
ホンダの反応→無視。

現代自動車→ホンダが低価格車インサイトを開発中だと知り、腹立ちまぎれに
ターゲットをLPGハイブリッドに変更。しかし、インフラを必要とするLPG車は韓国内でしか販売するメドが立たないため収益の見込みゼロだと気づく。

現代自動車→腹立ちまぎれにターゲットを電気自動車に変更するも、頼りにしていたLG化学のバッテリーでは価格と安全性の点から、これからの主流となる安価な小型車には搭載できないことがはっきりしてくる。

李大統領 →ウォン安で破綻寸前だった際、スワップ枠拡大依頼のついでに日本政府に対して現代車の購入と技術移転を要求。
日本政府 →借金のことならIMFへどうぞ、購入車種決定は消費者が決めること、技術移転はいたしません。 
日本は安全性の点からニッケル水素電池を採用してきたが、2009年に三洋がニッケル水素電池の低価格化に成功。
日本の各社で爆発しにくいリチウムイオンバッテリーの開発が完成しつつあるため日本メーカー→電気自動車と平行してリッタカークラスの低価格ハイブリッド車のメドが立ち始める。

現代自動車→腹立ちまぎれに打つ手無く、腹立ちまぎれに途方に暮れる。


その後、燃費の水増しで世界中で訴訟を起こされる。
















軽自動車





 自分がバイクで帰宅中、10m程先を走ってた軽が、右折する対向車線のトラックのケツにぶつけられてた。
軽自動車が大きく動く位激しくぶつかってんのにトラックはガン無視でそのまま通過。
あわてて車の前に出てナンバー確認したんだけど、上半分くらいが荷台のシートに隠れてて読み取れなかった。
 その時に軽自動車からおばあちゃんが泣きそうな顔して降りてきたんで「とりあえず警察に電話しなよ」って言って自分はバイクでトラックを追跡したんだけど、入り組んだ所で土地勘も無かったんでLOST。
 仕様が無いんで事故現場に戻ったら、おばあちゃんが「嫁に借りた車なのにどうしよう・・・」って半泣きしてた。
 警察にも連絡いれてなかったみたいなんで、代わりに自分が警察に電話。
事情の説明しておばあちゃんには警察を待つように伝えた後に範囲を大きくして索敵してたらなんとそのトラックを発見。
信号待ちしてるところを前に回り込んで「あなた事故おこしましたよ。わかってるでしょ?」って呼んだら素直に降りてきた。
ドライバーは20歳になるかならないかの若い兄ちゃんだった。
 とりあえずドライバーを確保した後(ナンバーはその場でメモ)に、警察が来るまでおばあちゃんの話相手したり、保険屋さん呼ぶように促したりしてたら、警察より先に向こうのドライバーの雇い主か責任者みたいな人が到着。
おばあちゃんに向かって開口一番、

「 あなたが避ければ問題無かったですよね?」

リアルでコーヒー吹いた。

 なんということでしょう。
いくら説明しても埒が開かないレベルで日本語が通じません。
 面倒になったんでおばあちゃんに「大丈夫。自分が警察に説明します」とだけ伝えてラノベ読んでたら、30分くらい経ってやっと警察が来た。
向こうとこっちで事情聴取してたんだけど、兎に角向こうはおっちゃんが大騒ぎ。
ドライバーの兄ちゃんにしゃべらせないようにしてるのが見え見えで警察に怒られてた。
 こっちの事情聴取まで口挟んで来てたんで、「おっちゃん黙ってな」って凄んだら、逆に自分が怒られる始末。
警察の人にも「もう帰っていいよ」って言われたんで、携帯番号だけ伝えてそのまま帰った。

 ムカムカしながらバイク飛ばしてたら携帯に電話あって、警察の人から「おばあちゃんがお礼言いたいそうだから」との事。
どう見ても当て逃げで向こうの過失になったらしいんで、「おばあちゃん良かったねー」って話してたら「是非お礼を…」って事だったんだけど、めんどいのもあって丁重にお断りした。
 その後、信号待ちしてたら、横断歩道待ちのミニスカ女子高生がおもむろに前屈して、

 縞  パ  ン  だ !!

嗚呼、神様はいるんだなぁ。
人助けはするもんだなぁと実感しました。

















カーブミラー




 6月の半ば頃の話。
当時俺はバイク買ったばかりで、大学が終るとしょっちゅう一人でバイクに乗ってあちこちを走り回っていた。
その日も特にする事がなかったので、次の日休みという事もあり神奈川方面へ結構な遠出をした。

 で、その帰り道、たしか夜の12時過ぎくらいだったと思う。
道とかも適当で、標識を頼りにあまり車通りの多くない道を世田谷方面に向かって進んでいると、急に前を走っていた車が急ブレーキを踏んで蛇行し、ガードレールにぶつかった。
目の前で事故を見たのは初めてだったのでかなりびっくりしたが、そうも言ってられないので、ひとまずバイク路肩に停めて車のほうへ駆け寄った。
 車の窓から中を覗き込むと中には女の人がいて、両手でハンドルを持ったまま頭を項垂れてガタガタ震えている。
え?これヤバくね?と思い、とりあえず窓越しに「大丈夫ですかー?」と声をかけたのだが、女の人から返事は無い。
結構パニック気味だった俺は、ここで警察に電話しないととふと気付いて110番をした。

 警察を待っている間、俺が何度か「大丈夫ですかー?」と聞いていると、女の人はやっと車から降りてきた。
見た感じ怪我は無さそうだが、顔色は真っ青で何かぶつぶつと呟いている。
少し呟きが気になったので、「どうしたんですか?」と口元に耳を近付けると、震えた声でとんでもない事を呟いていた。

「 子供轢いちゃった…子供轢いちゃった…子供轢いちゃった…子供轢いちゃった…。」

俺はかなりギョっとした。
 事故の瞬間を見てはいたが、子供なんていたか?記憶を思い返しても道路に人影があったようには見えなかった。
慌てて道路の方を振り返ったが、どこにも子供の姿はない。
俺は女の人を路肩に座らせて、あちこち歩いて見て周ったのだが、子供なんてどこにもいない。

 そうこうしているうちにパトカーがやってきて、警官が2人降りてきた。
警官に俺が事情を話し、警官もかなりあちこち探してみたのだが結局子供はいなかった。
俺も色々事情を聞かれたのだが、少なくとも俺は、女の人の乗る車が急ブレーキを踏んでガードレールにぶつかったところしか見ていないし、道路に人影も見ていない。
俺は自分の記憶にあるとおり警官に伝えた。
 再度警官が女の人に事情を聴きに行き、俺もいっしょに聞いていたのだが、女の人が言うには、急に道路わきから子供が飛び出してきて、衝突する音も聞いたという。
でも、現実にはどこにも子供の人影は無い。

 警官の一人がパトカーに戻り無線で何か話し始め、もう一人の警官が女の人に、怪我はないかとか痛い所はないかとか聞いていたとき、急に女の人が道路わきにあったカーブミラーを見て、

「 ぎゃあああああああああああああああ!」

と物凄い絶叫を挙げた。
 びっくりして、俺と色々聞いていた警官もカーブミラーを見た。
カーブミラーには俺が一番手前に、歩道の路肩に女の人が座り、その横に警官が屈んでいたのだが、女の人と警官の後ろ、本来誰もいないその場所に子供が写っている。
年は4歳か5歳くらい。
ちょっと良いところの幼稚園児が着る様な服を着て、無表情に鏡越しに俺たちを見ていた。
 俺と警官はたぶんほぼ一緒に後ろを振り向いたと思う。
しかし、そこには誰もいなかった。
もう一度ミラーのほうを見ると、そこには俺たち3人しか写っていなかった。

 女の人はこれで完全にパニックになって、とても話が聞けるような状態ではなくなってしまい、警官が呼んだ救急車でそのまま運ばれていった。
そして、俺には、

「 一応あとでまた事情を聞くかもしれない。」

と住所や電話番号を聞き、最後に、

「 ああいうのはさっさと忘れたほうが良い、気にしないほうが良いよ。」

と言ってきた。
が、そう言っている警官もかなり顔色が悪かった。
 その後、警察からは特に連絡など何もなかったし、後日談とか真相とかいわくとか、そういうのは全くありません。














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11月8日(木)のつぶやき

2018-11-09 02:58:33 | _HOMEページ_
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