日々の出来事 11月25日 参加することに意義があるらしいもの
今日は、クーベルタン男爵がオリンピックの復活を提唱した日です。(1892年11月25日)
1892年11月25日、クーベルタンはフランスのソルボンヌ大学で“ルネッサンス・オリンピック”と題した講演を行いました。
この講演の中でオリンピック競技大会の復興を提唱し、後に賛同者による国際オリンピック委員会 (IOC) の設立、1896年のアテネオリンピックへの開催へと繋がっていきました。
クーベルタンは、近代オリンピックのシンボルである五輪のマークを考案し、パリのディドン神父の“より速く、より高く、より強く”という標語のもとに、“オリンピックは、参加することに意義がある”の言葉を残した人物です。
クーベルタン男爵
☆今日の壺々話
北京オリンピックの疑問
「 あ、ジミーペイジだ。」
「 ギターの電源入ってる?」
「 電気のコードは見えないけど・・・?」
「 これも口パク臭いな・・・。」
「 あ、ベッカムも出た!」
「 これはCGだろ。
しかも中身は漢民族!!」
「 ジミーペイジは、着ぐるみかなァ?」
「 背中のファスナー見える?」
「 う~~ん?」
体育教師1
俺の中高では登下校時は革靴で、校内は上履きとしてスニーカーを履くことになっていた。
しかし高2くらいになると、面倒だから校内でも革靴で過ごす奴が増えてくる。
教師によってはそれをうるさく注意する奴もいた。
ある期末テストの日、試験監督としてコワモテの体育教師が俺のクラスにきた。
試験が始まると、教師はさっそく教室を回りながら革靴を履いてる奴を指摘して回った。
「 革靴、革靴、はいお前も革靴、革靴、お前も、…。」
しかし、その日、友人Mは前もって極上のネタを仕込んでいた。
オランダ土産の木靴を履いていたのである。
童話にでてくるような、デカくて先がクルンと丸まった木靴。
教師はMの席に近づいていく。
「 はい革靴、革靴、お前も革靴、革靴、木靴、革靴、革靴、…。」
教師は伝説となった。
体育教師2
弟が高校時代、沖縄に修学旅行へ行った時の話。
有名な戦没者の碑の説明を受けてたが、騒いで落ち着きない生徒達。
学校一怖い体育教師がブチ切れて一喝、
「 お前らっ!いい加減にしろよ!!」
シーン・・・・・。
「 いいか、この ひまわりの塔 はなっ!」
ひめゆり、ひめゆり、ひめゆり・・・・・・。
皆、必死で肩を震わせて堪えていたが、屈伏した者は次々と、気付かぬ教師の制裁の餌食になっていったらしい。
体育教師3
体育大学での出来事。
ハンマー投げの模範演技を披露した先生。
回転中に足を滑らせ自分の側頭部に鉄球直撃。
倒れた先生を見て“あっ 死んだな”と思ったが、
彼は数分後にムックリ起きあがって、
「 今のは悪い例です。」
と平然とのたまい、すぐに再び模範演技を再開したのだった。
上級生に聞いてみると、その先生は以前にも同じようなことをしたのだという。
“体育教師は脳味噌まで筋肉で出来てる”という逸話を裏付けるような出来事だった。
体育教師にありがちな特徴
運動できないやつにやたら厳しい。
何故か受験生の学年部に所属。
雨降ったら体育館でドッヂボール。
なんでも二人組にしたがる。
自分も参加して本気になっちゃう。
鉄拳制裁。
あだ名が「タックルベリ男(お)」
通称「べりお」。
口で言って分からない奴は暴力で教える。
脳筋。
ムキムキ。
暴力。
白いシャツ。
教育委員会の定めた規律を勝手に捻じ曲げる。
豪快=爽やか(清々しい)と思ってる。
わざとか知らんけど太陽がある方に立ち「まぶしいと思うがこっち向け」
だけど自分はサングラス。
非合理的な持論を生徒に押し付ける。
はい、四角く円を作って~!
教官室が無法地帯。
体がほぼパッション。
水泳の時ブーメランパンツ。
嫌われる教師って8割は体育教師だよな。
何か1つ必殺技を持ってる。
ピザな自分は体育座りが苦手
封印してた記憶が甦った。
昔、学年集会があり体育館で体育座りをして話を聞いてたんだけど、
チビのうえピザな自分は体育座りが苦手で、
前で組んでた手がプルプルして、そのうち限界を迎えてしまい、
後ろにひっくり返って、自分の列がドミノ倒しみたく、
みんな後ろに倒れちゃって、学年集会が一時中断してしまった。
しかも、ひっくり返ったときにブブブオォォッて盛大にオナラまで出た。
あの日、あれからどう過ごしたのか記憶にない。
ただ、あの日から私のあだ名は爆心地になったことだけは覚えてる。
土蔵
俺が中学二年のときの話。
体育祭の日の朝、体操着を着て弁当の入った袋を提げて、きげんよく通学路を学校へ向かっていた。
途中に、住宅街には似つかわしくない白壁の土蔵が一軒建ってる。
入口は、道路がわからは見えない中庭に面していて、白壁のずっと上のほうに明かり取りの小さな窓が一つあるだけ。
何気なくその窓を見上げると、無表情な男が中から道路を見下ろしていて、俺と視線が合った。
変だなと思ったのは、ふつう人間が知らない人とうっかり視線が合ってしまったら、反射的に目をそらすか、人によっては微笑むか睨みつけるかするだろうと思うのだけれど、その人はまったくの無表情で、じっと俺の目を見つめ続けていたのだ。
すごく色白で、きれいに頭を散髪した、30前後の男だった。
20秒ほど見つめ合っていた。
やがて俺のほうから視線を逸らして、なにごともなく学校に着いた。
ふつう土蔵の明かり取りの窓の内側には、階段も何もない、ということを知ったのは、ずっとあとの事だ。
もしも暗い夜道で同じことがあったら、たぶん悲鳴を上げて逃げ出していただろう。
そのていどの不気味さは、そのときも感じていた。
実際には、雲一つなくよく晴れた明るい朝で、人通りもないわけではなかった。
だからそのまま登校したのだ。
しかしいま思い出すと、明るい街並みとあの無表情な顔との対比に、かえって寒々しさを感じてしまう。
シャワー棟
うちの学校はプールに併設して古いコンクリートのシャワー棟があった。
入り口はひとつで、中に入ると左右に男女別の扉があって、その奥は脱衣所みたいなロッカー室、さらにもうひとつ奥がシャワー室(敷居がなくてノズルだけがずらっと並んでいる)という構造。
男女のロッカー室・シャワー室はちょうど左右対称になっていて、天井のところの20センチぐらいだけ男女で吹き抜けになっていた。
その男子シャワー室の中に、夜一番最後まで残っていた水泳部の奴らが深夜まで閉じ込められた。
そいつら曰く、いつの間にかシャワー室と脱衣所の間の引き戸が開かなくなっていたらしい。
部活動終了の報告は先に帰った部長がやっていたため、しばらく後に当直に電源が落とされて真っ暗になった。
運悪くみんなタオル一枚持ち込んでいなかったので濡れた体を拭くことも出来ず、シャワーの温水はやがてタンクの備蓄を使い切って水に変わり、晩秋の夜を震えながら過ごしたとか。
で、真っ暗になってから数時間後、10時~12時ごろのいつかに突然女子シャワー室のほうからガラガラと引き戸を開ける音がした。
そしてペチペチとタイルの床を人が歩く気配。
当然、閉じ込められた男子たちは大声で助けを求めたわけだが、どういうわけかその足音の人物はそれに全く反応することなく蛇口をひねってシャワーの水を出し始め、真っ暗闇の中で3分ほどシャワーをばしゃばしゃと浴び続けたんだとか。
さすがに不気味になった3人がそこにいるのは誰だと素性を聞いても無視し続けて、最後はキュッと水を止めて、入ってきたときと同じように水音を立てながら引き戸を開け閉めして、その場からいなくなった。
それでも、続くロッカー室の扉や、建物自体の扉を開け閉めする音はいつまで経っても聞こえなかった。
結局そいつらは深夜の2時ごろに家族の通報から始まっていた捜索で助けられたんだが、 女子シャワー室の一件から救出までの間に2回もしくは3回、引き戸を隔てた自分たち(男子)のロッカー室からロッカーの扉を閉めるような金属音が聞こえたという。
引き戸は救出時にはちょっと引っかかっただけで特に問題なく開いたらしい。
立て付けが悪かったのでは、とのこと。
しかし出入り口の扉はというと建物、男子ロッカー、女子ロッカーのすべてが閉じて鍵がかけられており、扉の音を立てずに出入りすることはちょっとありえない状態だった。
そして、その鍵束は男子ロッカー室内のベンチの上と、職員室の2箇所にしかなかった。
この話が出てからというものシャワー棟は気味悪がられるようになり、それまで唯一女子シャワーを使っていた女子バスケ部はシャワーを浴びずに帰るようになった。
しばらく後になって別の場所にシャワー付きの部活棟が出来上がり、古いシャワー棟は取り壊され始めた。
今後「メディアセンター」という建物が出来るということで、俺たちの卒業時には更地になっていたが、
それから10年近く経った今も、何故かそこには何も建っていない。
ジョージアの謎
うちの高校は校内の裏手に小川っぽく水が引いてあるんだが、そのある特定の位置のレンガの上にいつも仏花1本とジョージアが置かれていた。
さてはそこで誰か死んだりしたのかと思いきや、その花とジョージアを毎週木曜日の朝に置いているのは野球部で、その費用は野球部のOB会から寄付されており、そのOBたち自身も事情はよくわからないらしく、ただ昔からの伝統で置いているようだった。
俺は校内新聞部だったので、みんなで、わが校最大のミステリー「ジョージアの謎」についてOBを当たって調べたんだが、40代50代の古参OBが知らない一方で1980年代半ばにはもう習慣があったらしい。
ただ、その頃は仏花を添える習慣はなく、木曜日だけではなく毎日で、飲み物はレンガの上ではなく水中に沈めており、品目もジョージアではなくポカリスエットであり、そして1本ではなく野球部の人数分が用意されていたという。
そう、どうやら最初は「美味しく飲めるように清流で冷やしておく」ってだけだったようなのだ。
それが途中、小川が汚くなって来たために人気が無くなって需要が数本だけになり、飲みたい人だけが自前で買ってきて冷やし、いつかのタイミングで勝手に飲むようになった。
結果、縁の薄い一般部員からは「あの缶は誰かに捧げている物」という誤解が加わってしまった。
そして1994年度、おそらく最後まで飲んでいたであろう人物が卒業したことにより缶が設置されなくなったわけだが、それに気付いた新部長が危機感を抱いて部費から缶代を落として設置するようにした。
いつしか、缶の横には仏花が追加され、OB負担や木曜設置といった慣習もできあがり、あのミステリアスな「ジョージアの謎」が完成されたのだった。
ちなみに、発端の94年度部長によれば、
「それまでいつも缶コーヒーが置かれていたのでその通りにした」ということで、
「ポカリの謎」ではなく「ジョージアの謎」になった原因は93年度卒業生の嗜好だったようだ。
こうして「献花」という誤解が晴れたこの習慣だが、その結果途絶えることになってしまったかというとそうではなく、野球部の長い歴史に対する敬意とユーモア、そして願掛け的な意味が加わり、花の種類をもう少し楽しげなものに変えてその後も続いている。
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