日々の出来事 11月11日 淀川長治
今日は、映画評論家の淀川長治が亡くなった日です。(1998年11月11日)
淀川長治は、1966年から始まる“日曜洋画劇場”の映画解説を、死亡する間際まで32年間に亘って務め、印象に残る語り口で人気がありました。
特に、語り終えた後に言う“さよなら、さよなら、さよなら”は流行語になり、物まねの演目や子供のギャグとして広く使われました。
この“さよなら”は、番組当初は放送終了まで言い続けたので、回数が不安定でした。
そして、“さよなら”を言った回数が、一時期、子供の賭けの対象になったため、淀川長治はこれを憂慮して、三回言うことに決めました。
淀川長治の映画解説は、、映画の演出に監督や演者の思い入れを読み取り、それを分かり易く噛み砕き、語り口も格調が高い解説でした。
そして、淀川長治が亡くなった後の日曜洋画劇場の解説は、担当者が何回も入れ替わりました。
32年間と言う時間の重みは、淀川長治だからこそのものであったと言えるでしょう。
淀川長治
☆今日の壺々話
てつこのへや
「 横浜市鶴見区に自宅があると聞いていますが、東京全日空ホテルで普
段は暮らしているんですね。」
「 日曜洋画劇場の収録を行っていたテレビ朝日アーク放送センターの近
くです。」
「 他にもホテルはありますが、そこに決めた理由は?」
「 棺桶がちゃんと入るかどうか、エレベーターの大きさを調べて決めた
んです。」
「 へぇ~。」
「 アハハハハハ。
怖いですねえ、恐ろしいですねえ。
それでは次週を、ご期待ください。
さよなら、さよなら、さよなら・・・・・。」
黒柳徹子(徹子の部屋より)
さよならさよなら
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうしてお小遣い減らしたのに文句一つ言いませんか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうして交代でやると約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうして子供ができないのは私のせいなのにあんたが謝りますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して会社へ行くくせに、私が倒れると会社を休んでまで看病しますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
おまけにもって半年とはどういう事ですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
長期出張だと嘘言って、知らない間に手術受けて助からないとはどういう事ですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどういう事ですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
こっちの気持ちは無視ですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんていませんよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
それと私みたいな女を嫁にすんのはあんた位ですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
そんな状態じゃ言い出せないじゃないですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱き締めますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうして側にいてあげたいのに、一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
どうしていつも自分の事は二の次なんですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの嘘を言いますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ
(゚Д゚)ゴルァ!!
死ぬ一週間前に、俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか
(゚Д゚)ゴルァ!!
あんなに苦しそうだったのに最期は私の手を握りしめて逝きやがりましたね
(゚Д゚)ゴルァ!!
何で死に顔まで微笑みやがりますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
そんなのはいいから起きて下さい
(゚Д゚)ゴルァ!!
生まれてくる子供を抱いて下さい
(゚Д゚)ゴルァ!!
子供に微笑みかけて下さい
(゚Д゚)ゴルァ!!
頼むから神様何とかして下さい
(゚Д゚)ゴルァ!!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
そんなあんたが死んで5ヶ月…
子供が生まれましたよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
元気な女の子ですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
目元はあんたにそっくりですよ
(゚Д゚)ゴルァ!!
どこかで見てますか
(゚Д゚)ゴルァ!!
私はこの子と生きてますよ
あんたも遠くから見守っていて下さい
さよなら、青い鳥
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく見える髪の毛。
猫背。
生気のない瞳。
ただその存在そのものを見下してたね。
将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢にも思わなかったよ。
中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。
あの内何人が法政以上の大学に行けたというのだろうね。
毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。
生きるって本当に大変。
何をやっても後悔が待ってるもんね。
特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと分かりました。
あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
花火
母は、僕を女手一人で育てた。
僕の幼かったころに、亡くなった父は、マンションの10階を母に残した。
そのマンションからは、夏に花火をみることができる。
父と母が過ごした街の花火。
毎年花火の時には、窓際にテーブルを移動して、母と一緒に父を偲んだ。
花火はいつもきれいで、母はうれしそうだった。
父は、母に素敵なものを残したなっと思った。
でも、それは長くは続かなかった。
僕が高校の時に、うちのマンションの前に、もっと高層マンションが建設されたのだ。
僕は、景観が悪くなるなぁって、思ってた。
その年の花火の日、いつものように、テーブルを移動して準備してた。
花火みれるかな?って、心配だった。
花火みれなかった。
見事にマンションで見えなくなってる。
音だけの花火。
あんなに悲しそうな母の横顔を見たことがない。
僕は、母を連れて、川辺に歩いていった。
母と見上げた初めての花火。
父さん、心配するな。
これからは僕が母さんを笑顔にする。
恐怖“さよなら”
五年間、付き合った女性がおりました。
五年という月日は、今思えば長いようであり短い期間でした。
四年目が過ぎたあたりから、彼女は結婚を口にするようになりました。
付き合い始めた当初から、私も将来は結婚しようと言っておりましたし、いつかは結婚するものと思ってはいたのです。
しかし、当時の私は大学を卒業したばかりで、就職難民と呼ばれる身でした。
我が身一つの未来も見えず、どうして結婚などできますか。
彼女は自分も働くからと言っておりましたが、彼女といずれ出来るだろう子供を、私一人で養っていける自信が付くまでは、結婚するつもりにはなれません。
私の気持ちも分かって欲しいと何度も説得しましたが、互いの意見は食い違うばかりです。
愛しているから結婚したい、護りたいから待って欲しい。
皮肉なことに、それが別れる原因となりました。
愛を紡いだ口で互いを汚く罵りあい、彼女の二度と顔も見たく無いという捨て台詞で、二人の関係は終わったのです。
それから半年ほど経った時です。
彼女から電話がありました。
やりなおしたいと、忘れられない愛していると、泣きながら訴えるのです。
しかし、薄情と思われるかもしれませんが、最後の大喧嘩で私の気持ちはすっかり覚めていました。
寄りを戻すつもりは無いと告げて電話を切りました。
三日後に再び着信がありました。
今度は、会って欲しいと言うのです。
会って話せば寄りが戻ると思っているのでしょう。
優柔不断で流されやすい私は、付き合っていた頃は彼女に決断を任せていました。
そんな私の性質を知っているからこその誘いなのです。
もちろん断りました。
次の電話は二日後でした。
三度目ともなるとウンザリしてきます。
着信表示を見るのさえ嫌な気分で、クッションの下に携帯を押し込んで居留守を使うことにしました。
設定通りに20コールで切れたかと思うと、またすぐに掛かってきます。
何度も何度も何度も何度も・・・。
耐え兼ねて出る決心をして携帯の画面を見ると、履歴は30を越えていました。
ここまで来るとイヤガラセとしか思えません。
ひとつ説教でもしてやろうと、受話ボタンを押した時です。
『 なんで出ないのよ!!!!』
耳に当てなくとも聞こえるような絶叫でした。
情けない話ですが、私の怒りは彼女の声で萎んでしまいました。
怒りを鎮めなければ、それだけを考えました。
フと思いついた嘘を口にします。
携帯を忘れて出かけて今帰ってきた所である。
そして出来るだけ優しい声で、どうしたのか訊ねました。
ククク・・・という押し殺した声に、泣いているのかと思いましたが違ったのです。
彼女はケラケラと笑い出しました。
『 そこから自販機見えたよね。今も見える?』
私の部屋から数十メートル離れた先に自販機があります。
何を言っているのだろうと眺めて、手から携帯が滑り落ちました。
彼女が鬼の形相で涙を流しながら笑っていました。
付き合っていた五年の歳月の中でも、一度も見た事がない顔です。
いや、一度でも見たら即座に別れを決めていたと思えるような恐ろしい顔でした。
その夜は恐怖で一睡も出来ませんでした。
朝日が部屋に差し込むのを感じて、救われたような気持ちになりました。
清々しい空気と明るい日差しがそう思わせるのでしょう。
薄くカーテンを開けて自販機を見ると、もう彼女はいませんでした。
ほっとして勢いよくカーテンを開けました。
窓の真向かい、細い路地の電柱にもたれるようにして彼女は座り込んで、窓を見上げていました。
私を見つめて微笑みます。
おはよう、と口が動くのが見えました。
開けた時と同じ勢いでカーテンを閉めました。
面倒な事になった。
溜息を付かずにはいられません。
気付かれないように外を見ると、彼女は座り込んだままコチラを見上げていました。
うちには1週間ほどの食料の貯えがあります。
彼女だって飲まず食わずで、トイレにも行かずにいる訳にはいかないでしょう。
隙をみて部屋を出て、当分友達の家を回る計画を立てて、荷物を纏めました。
しかし、彼女は動きません。
もしかしたら、丁度私が覗いていない時に用を済ませているのかもしれませんが、
見ている間はずっとそこに居ました。
4日目の夜。
彼女の姿がありませんでした。
私は嬉々として部屋を出ようとドアを見て背筋が凍りました。
新聞受けが奇妙な形で開いています。
造りが新聞を受け取る程度にしか開かなかったのが幸いです。
90度開くタイプだったら、私はそこに彼女の目を見ていたでしょう。
もっと開けようと指がもがくのも見えました。
「 ねえ、入れてよ。話をしようよ。
あんなに愛し合ったじゃない。もう一度話をしようよ。」
脳裏に浮かんだのは、長年見てきた笑顔ではなく、先日の恐ろしい形相です。
私は布団を頭から被り、みっとも無いほど震えていました。
それでも何時しか眠ってしまったようです。
恐る恐る布団から顔を出して、音を立てないようにドアの様子を伺いました。
新聞受けから赤い筋がいくつも垂れていました。
カタン、と鉄の板が小さく開いて、何かが投げ込まれました。
赤い筋がひとつ増えます。
それが何なのか理解できると同時に、警察に電話を入れました。
肉片でした。
彼女は小さくなって部屋に入って来るつもりなのです。
ほどなくして部屋の外が騒がしくなり、男性の「救急車!」という叫び声が聞こえました。
サイレンの音が聞こえて騒がしさが増し、少しして「開けて下さい」という男性の声に扉を開けました。
本当は開けたくありませんでしたが、男性は警察でしょうから仕方がなかったのです。
私の部屋のドアも床も真っ赤になっていました。
彼女の姿はありません。
既に救急車に運ばれていて、警察の方の配慮で会わないようにしてくれたようです。
発見した時、彼女は自分の指を食いちぎっていたそうです。
部屋はすぐに引き払いました。
新しい住まいは、新聞や郵便物が、建物の入り口にあるポストに入れるようになっている所を選びました。
引っ越した当初は、カーテンを開けるたびに嫌な汗をかいたものです。
あの事件から数ヵ月後、彼女が自殺したと風の便りで聞きました。
ほっとしました。
悪いとは思いましたが、安堵の気持ちが強かったのです。
いつしか私の気持ちも落ち着き、暫くして新しい彼女ができました。
その頃からです。
“ カタン、ぽとん、カタン。”
不規則な音が聞こえるようになりました。
音は玄関の扉の方からします。
“ カタン、ぽとん、カタン。”
別な所に越しても音は付いてきます。
ノイローゼ気味になり、彼女とは別れました。
そうすると音が止んだのです。
また時間が経って、あれは気のせいだと思い始めた頃に、女性と付き合う事になりました。
“ カタン、ぽとん、カタン。
カタン、ぽとん、カタン。”
私は今ひとりです。
結婚は一生できないでしょう。
いや・・・厳密に言えば、私は一生一人になる事ができなくなったのです。
彼女が扉の前で、自分を小さくし続けているのですから。
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