日々の出来事 12月31日 初代 引田天功の回転ノコギリ
今日は、引田天功(初代)が亡くなった日です。(1979年12月31日)
引田天功は、脱出マジックを得意としたマジシャンです。
日本テレビの特番として1968年から1975年まで毎年放送された“引田天功の脱出イリュージョン”は毎回高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こしました。
しかし、引田天功は日本のマジック界をリードする存在であったのですが、中年期より心筋梗塞など重度の心臓疾患に苦しみ、新たな脱出イリュージョンを構想していたにもかかわらず、1979年大晦日、志半ばともいえる病没を遂げました。
また、引田天功は心臓病死なのですが、“引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした”と言う都市伝説が世の中に流れています。
初代 引田天功
☆今日の壺々話
引田天功の人体切断マジック
1973年12月29日(土)19:30~20:00(日本テレビ)の出来事です。
引田天功は最初に色々とマジックをして、最後にトリネタとして人体切断マジックを披露しました。
それは、横たわった女性に白い大きな布を被せて、回転ノコギリで腹部を切ると言うマジックです。
この映像は、結構、トラウマとなるほどの強烈なものでした。
始めはマジックとして見ているのですが、ノコギリの回転にしたがって臓物が飛び散り、スタジオがシーンとなる中、白い布が掛けられた女性の顔がアップになり、鼻の辺りから白い布に血が染み出して来るのです。
最後には女性は起き上がってニコニコだと思って見ていると、そうはならず、暗い雰囲気のまま司会者が“今回はこれで終わります”と挨拶し、“あらっ、これって、どうなったの?”と思ったまま、マジックが失敗したように終わってしまうのです。
このスプラッター映像は、子供が見れば“恐怖のトラウマ”が心に残っている筈です。
マジシャン
体育の時間ジャージに袖を通したら、洗濯の時に母ちゃんのパンツが入ってたらしく勢い良く飛び出た。
お陰で中学のときのあだ名はパンティーマジシャンだった。
仕事納め
廊下の角でおっさんと肩がぶつかり、俺は舌打ちしながら、おっさんをちょっと睨んだ。
席に戻り仕事をしていたら、上司が“社長が視察しにくるよ”と言って、初めて社長を見るのでどんな人かと思ったら、さっきのおっさんだった。
俺は気づかれないように、目を大きく見開き、口はアントニオ猪木のマネをして仕事を続けた。
大晦日
今年の大晦日もまた独りぼっちだった・・・orz
俺・・・バイト後、2chでガキの使い実況
友・・・彼女と合体
親・・・高級料亭で食事
姉・・・年越し合コン
弟・・・彼氏とディズニーでお泊り
また、お正月に家で一人お留守番する仕事が始まるお・・・。
弟アッ~~!
俺も話するわ。
ちょっと切なくなってしまうけど。
あれは、二年後の事だった・・・。
全米が泣いた。
ワロタwwwwwwwwwwwwww。
除夜の鐘
6年前、わたしは現在の家に引っ越してきた。
家の隣はお寺で、敷地を隔てる塀の向こうは墓地になっている。
隣が墓地なので平日は静かで良い所だ。
小さな寺ではあるが地域住民とのふれあいを大切にしているらしく、大晦日には近所の人たちがみんなで除夜の鐘を突きに訪れる。
5年ほど前の大晦日、もうじき新年という時刻になって隣の寺へ出かけてみた。
境内の鐘突き堂には10人くらいの人が並んで鐘を突く順番を待っていた。
住職の奥さんらしき女性が長テーブルの前で訪れた人たちに甘酒をふるまっていた。
わたしも甘酒をもらおうとした時、不意に横から初老の男性が手を伸ばして先に甘酒を受け取った。
順番くらい守ってほしい・・・そんな考えが頭をよぎり、わたしは何気なく男性を横目でにらんだ。
ところが、男性は受け取った甘酒を飲む様子もなく、鐘付き堂の片隅に祭られたお地蔵さんの前へ供えた。
よく見ると、小さなお地蔵さんの前には甘酒の入った紙コップが沢山供えられている。
この辺の風習なのだろうか、とにかく年齢層の高い人たちは皆このお地蔵さんに甘酒を供えているようだった。
境内にはそれほど大勢の人はいなかった。
だが人波が途切れることもなかった。
鐘を突く数が108つという決まりもないらしく、ポツリポツリとやってきては甘酒を飲み、あるいはお地蔵さんに供え、鐘を突いて帰って行く。
そんな光景を本堂の階段に座って眺めていると、隣の家に住む旦那さんがわたしに声をかけてきた。
しばらくその旦那さんと世間話をして、家に戻ったのは午前2時過ぎ。
その時間にもまだ鐘を突く人がいて、わたしは除夜の鐘を聞きながら隣家の旦那さんと一緒に帰路につき、玄関の前で別れた。
正月が終わっていつも通りの生活に慣れてきた頃、隣家の奥さんと偶然玄関先で行き会った。
奥さんはわたしの顔を見るなり、
「 ちょっと待ってて下さい。」
と言って自分の家に駆け戻り、すぐに慌てた様子で戻ってきた。
そしてわたしに“おとしだま”と書かれたポチ袋を差し出したのだ。
この年令になって、おとしだまをもらえる訳はない。
わたしが不思議そうな顔をしていると彼女は言った。
「 ごめんなさいね、お子さんがお産まれになったなんて主人から聞くまで知らなかったもので。」
当時、わたしに子どもはいなかった。
そう告げると奥さんは首をひねって答えた。
「 でも、主人が大晦日にお寺でお子さんを連れたあなたとお会いしたって言ってましたけど。」
あとで隣家の旦那さんに会った時、ことの詳細を聞いた。
わたしが本堂の階段に座っていた時から、わたしの隣にはんてんを着た2才くらいの子どもが一緒にいたらしい。
その子はわたしと旦那さんが帰る時もずっと着いて来て、わたしと一緒に家に入って行ったという。
大晦日になる度にその気味の悪い話を思い出すのだが、去年の大晦日、やっとその子の正体が判明した。
寺の鐘突き堂の片隅にあるお地蔵さん。
実は無縁仏の母子の霊を弔う為に祭られたものだという。
昭和の初め頃、この土地に貧しい母子がやって来て寺の鐘突き堂で死んだ。
どういういきさつかは判らないが、そこで行き倒れたのだ。
仕方なく無縁仏の塚に葬ったのだが、それからというものこの辺で悪いことばかりが続いた。
そこで母子の亡骸を鐘突き堂の片隅に移し、お地蔵さんを祭って手厚く葬ると悪いことは起こらなくなった。
その話しを知っている近所の年寄り達は今でも、このお地蔵さんに様々な御供物を捧げるのだと言う。
行き倒れた母子の子どもの年令はちょうど2才ぐらいだったという。
ちょっと信じられないが、あの時隣家の旦那さんが見た子どもはきっとその子に違いない。
女性添乗員の話
(1)大分県Y温泉
会社の上司から聞いた話です。
この温泉郷のある老舗旅館には、
10年以上、毎年12月30日~1月3日まで逗留される
初老のご夫婦がいたそうです。
ご夫婦は毎年チェックアウトされるときに翌年の予約を入れ、
毎年同じ部屋で仲睦まじく年末年始を過ごされていたそうです。
ある年の事、
30日の4時頃、ご夫婦が旅館に到着されたんです。
顔馴染みのご夫婦という事で、女将がお部屋にお通したそうです。
しかし、
夕食時、仲居さんがお膳を持って部屋に行ったときには、
部屋には誰もおらず、ご夫婦の荷物も無かったのです。
女将が入室時に入れたお茶も手付かずのまま、
まるで初めから誰もいなかった様な部屋の様子なのです。
ご夫婦にいつもと変ったところは無く、
また、勝手に帰るような方々でもないので、
何かの事故、事件にでも・・・と思い、
旅館はご夫婦のご自宅に連絡を入れてみると
ご夫婦のお通夜が行われていたのです。
29日に夫婦して旅行の買物に出かけ、交通事故にあったというのです。
翌年12月30日・・・。
ご夫婦がいつも利用していた部屋には、
当然の事ながら別のご夫婦が宿泊していました。
その夜、
彼等は部屋の隅に立つ、
仲睦まじい初老の夫婦の霊を目にすることになったんですが、
その後も、
1月3日までの5日間の毎日、昼夜を問わず、
その部屋に宿泊した全てのお客様が、
初老の夫婦の霊に出逢う事になったんです。
時には部屋の片隅に立つ姿、
時にはテーブルでお茶を飲む姿、
そして窓際で楽しげに談笑する姿と・・・。
何ら害を加えてくるわけではないのですが、
いつも部屋の中にいるというのです。
その翌年、
十分なお祓いをした上で、
年末年始のシーズンを迎えたのですが、
やはり毎日のように初老のご夫婦の霊が現れたのです。
以来、
この老舗旅館では毎年12月30日~1月3日の間、
初老のご夫婦が利用したこの部屋は開かずの部屋となっています。
それ以外の日にご夫婦が現れる事はないと言います。
(2)宮城県N温泉郷
婦人会の旅行会で、お客様に伺った話。
今から20年近く昔の話だそうです。
そのお客様(奥様)が30才の年末年始。
高校時代の同級生3人と宮城県のある温泉旅館に来たそうです。
他の友人たちは早々と結婚して子供もいるのに、
彼女達3人は未だ独身。
当時では行き遅れの部類だったんですって。
(私・・・現代人で良かったぁ。)
・・・で、
クリスマスもお正月も誰も相手してくれないというので、
女3人の旅になったんだそうです。
のんびり温泉につかって、
美味しい食事を頂いて、部屋でくつろいでいると、
押入れの襖がガタガタと・・・。
「 風かしら?」
・・・と、
窓を確認したのですが、窓はちゃんと閉まってます。
「 おかしいわねー?」
でも、
しばらくすると、
ガタガタ・・・。
「 ちょっと・・何かいるんじゃない。」
「 ねずみ・・?」
で、
襖を開けてみたのですが、何もいません。
なのに、
襖を閉めて、しばらくすると、
ガタガタ・・・。
もう一度、襖を開けて確認。
「 やっぱり、何もいないわね。」
「 ちょっと、気持ち悪いわね。」
「 うん・・。・」
そう話しながら、襖を閉めると、また
ガタガタ・・・
今度は・・・と、
そぉ~っと、そぉ~っと、襖に近づいて、
一気に襖を、
バタァーン!!
すると
子連れ狼の大五郎みたいな5才位の男の子が
体育の三角座りをしていたんです。
「 イヤー!!」
彼女達3人は悲鳴を上げ、押入れと反対の壁際に逃げました。
すると
男の子が押入れから出てきて、
彼女達の目の前で、
楽しそうにスキップをしながら部屋の中を3回ほど回ると、
彼女達の前で立ち止まり、ニコッと微笑むとスゥーと消えたのです。
彼女達は
スグにフロントに電話して事情を話して部屋を代えてもらったそうです。
そして、
旅行から帰った彼女達・・・。
なんと、
1月中には全員に彼氏が出来て、
年内には全員結婚してしまったんですって。
3人共それまでほとんど男性と交際した事がなかったにもかかわらず
後になって、
あれは良縁を呼ぶ座敷童子だったのね・・と3人で感謝したそうです。
私も・・年末年始、
その旅館に泊まりに行こうかと・・・。
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