日々の出来事 12月28日 ボレロ
今日は、ジョゼフ・モーリス・ラヴェルが亡くなった日です。(1937年12月28日)
ラヴェルは、ピアノ曲“亡き王女のためのパヴァーヌ(1899年)”、バレエ音楽“ボレロ(1928年)”などで知られたフランスの作曲家です。
ラヴェルは、フランス南西部にある町シブールで生まれました。
家族と共にパリへ移住した後、音楽の道へ進むことを決意しパリ音楽院に入ります。
パリ音楽院で14年間学ぶ中、質の高い作品でローマ大賞に応募しますが、年齢制限により最終選考から外され、ガブリエル・フォーレやロマン・ロランなどの抗議によりパリ音楽院院長のテオドール・デュボワが辞職に追い込まれるラヴェル事件が起こります。
その後、何回か応募はしますが、結局、ローマ大賞受賞には至りませんでした。
それでも、この過程でラヴェルの作品群は高い評価を得てヨーロッパで広く名前が知られるようになりました。
1928年には、ラヴェルはピアノ演奏旅行で初めてアメリカに渡ります。
このときのラヴェルの演奏旅行は各地で非常に好評で、ニューヨークではスタンディングオベーションの絶賛を受け、オックスフォード大学から名誉博士号を受けました。
晩年は不運で、1932年にパリでタクシーに乗っているとき交通事故に遭い、記憶障害や言語障害を起こして不自由な生活を強いられました。
そして、このことが原因で徐々に体調が悪化、1937年12月28日に亡くなりました。
ジョゼフ・モーリス・ラヴェル
☆今日の壺々話
ボレロ
モーリス・ラヴェルの代表作の“ボレロ”は、同じリズムとフレーズが楽器を変えながら何回も繰り返され(フルート→クラリネット→サックス→トランペット)、段々と強く大きくなり最後には全楽器による壮大なフィナーレを迎える名曲です。
ラヴェルはこれを“音楽のないごく単純な譜面”と表現していました。
ボレロの初演は1928年11月22日にパリのオペラ座でありました
演奏を聴き終わった女性が“作曲者は狂っている!”と言ったとき、ラヴェルはニヤッと笑って“彼女こそ、この曲の真の理解者だ!”とコメントしました。
オシャレして舞台を観に行った
昔、舞台を見に行ったら山賊の手下役と自分の着てる服が丸被りしてた事があった。
一張羅だったのに!
どんな服なんだよ。
山賊の服装?
イメージ的に金正男みたいな感じかな?
結婚式の二次会とかに若い女が良く着ていってるような、半袖で丈の短いファーボレロとかじゃね。
陰で「マタギ」と言われる格好。
物語に感情移入できて一石二鳥だな!
どんな一張羅。
毛皮のチョッキかジャンバーみたいなやつか。
斧を持たせたい。
なんかこう、毛皮のおしゃれっぽいチョッキ(わざと)みたいなのを着てたんじゃなかろうか。
毛皮のベストだな。
俗に木こりとかマタギと呼ばれている。
しかし、女なのにそれを嬉々として報告するなよ。
あぁ、たぶんファーベストとかの「マタギ」ファッションだったんだろうな~。
さっき昼食からの帰りに、マタギベストに加え、ファーでモサモサしたブーツ履いてる女学生をみた。
ワイルド~。
カットソーに紐の編み上げが付いてるやつじゃね?
しまむら、とかに売ってるやつ。
あれは・・・、ブルーザー・ブロディ!?
わろた。
面接でドアをノックした時
面接の時、トントントトントトトントトゥントゥン!ってノックしたら、
向こうからトトントトトントトントトトゥントゥクトゥン!って返ってきて、
そのあと壮絶なセッションになった。
結局ドアは開けずに帰った。
つっかえ棒ポールがしてあったんじゃね?
モールス信号だと思った。
ボレロのリズムで再生されたのは私だけではないはず。
一週間後、合格通知が届いたというオチを期待してた。
ノックがすぐに返ってきた、とは書かれてないんだな。
ちょっと間が空いてから返ってきたのかもよ。
普通に歩いてドアの前まで来たんじゃね。
トゥントゥクトゥンの打ち方が気になる。
気さくに立ってドアまで来てくれたのか、いい会社な気がする。
面接受けろよ~。
トラウマ
「 フィギュアスケートって、すげ~なァ。
安藤美姫、氷の上でクルクル回ってる。」
「 そ、そうだな・・・。」
「 ん・・、おまえ、何ソワソワしてんだよ。」
「 こ、これ、ラヴェルのボレロだ。」
「 それがどうかしたのかよ?」
「 これ中学の掃除の時の音楽。」
「 そうなのか~。」
「 ホ、ホウキ持たなきゃ・・・。」
「 ホウキ?」
「 ホウキ持てば、セーフ。」
「 持たなければ?」
「 アウト、担任のゴリラにやられる。」
音楽室
中学校の頃の音楽室での話。
音楽室の後方の壁に食器棚のような棚があって、普段はカーテンがかかっているんだが、中を覗くと、すごい古い誰かの手書きの楽譜とか、完全に色が変色した古い教科書、日付を見ると昭和34年とかの資料といった、どうやら授業ではもう使わないけど、捨てるに捨てらんない系らしきものが色々入っていた。
右下が引き出しになっていて、中にはやはり古いカスタネットや笛のようなもの、あとボロッボロに錆びて完全にこげ茶色になっているトライアングルが入っていた。
この音楽室には噂があり、6時を過ぎてからこの音楽室でこの茶色のトライアングルを3回鳴らすと、壁に貼ってある作曲家の肖像画の目線が一斉に凝視してくるというものだった。
ある日、友人のAが女子達とこの話で盛り上がり、すっかりテンション上がったAが、これを試して、どうなったかあとで報告してやると言い出した。
一人でやっても証拠が無いからっつって、Aと同じくバスケ部だった俺がどうしても一緒に行ってくれと言われ、ついて行くことになった。
この音楽室には普通の教室と同じくドアが2つある。
黒板側と後ろ側。
後ろ側のドアのところは、木琴と鉄琴が置いてあって足の踏み場があまり無いんで、授業で出入りする時も生徒は黒板側しか使わない。
後ろ側のドアは常時鍵がかかっている。
放課後、音楽の先生が黒板側のドアは必ず鍵をかけてチェックするが後ろ側はしない。
コーラス部の人に頼んで後ろのドアの鍵を開けといてもらえば、先生のチェックを逃れて後ろ側のドアを開け、木琴とかもちょっとずらせば中に入れる。
そんなわけである日、練習終わったあと中に進入。
初夏の頃だったので、6時でもまだ結構明かるかった。
俺ははっきり言って怖かったので他の部員も誘いたかったが、Aはそれをやると反対する奴が居そうでヤダというから結局2人っきり。
引き出しからトライアングルを取り出し、Aが鳴らす。
チーン、チーン、チーン。
おそるおそる肖像画を片っ端から確認する。
どうやら変化は何もない。
3打目のトライアングルの残響も止み、黒板のところの時計の秒針しかきこえない。
俺はこの雰囲気だけでなんか怖い。
音楽室の空気が一気にずっしり重くなったような気がした。
Aは全然怖がってない。
“何も起こらないのかなー”と顔に笑みを浮かべ、さらにトライアングルを鳴らす。
チーン。4打目。
チーン。5打目。
俺はびびりつつAの様子をずっと見てた。
チーン。6打目。
6打目は唐突にAがトライアングルを手で握って音を止めた。
「 出よう。」
Aがトライアングルを席に置き、俺の袖を引っ張りドアのところに引っ張って行く。
その顔に笑みは無い。
「 どうした?」
「 いいから。」
Aはそこそこ強い力で俺を音楽室から廊下につれ出した。
“ こいつは一体何を見たんだろうか?”
音楽室からは出たので、もういいかと思って、
「 えっ、何、何、なんか出・・・。」
「 ちょ、(ヒーッ)。」
Aは俺の『出た』という単語を止めたかったのだとわかった。
が、取り乱していて呼吸が整わず、(ヒーッ)と息で音を立てただけだった。
“ 怯えている。
まじで、Aが怯えている。”
様子が尋常じゃないので、俺は“だいじょうぶ、だいじょうぶ、どうってことねー”ってとか励ましつつ、一緒に学校を出た。
そのままAには何も説明させず、とにかく公園まで行った。
ベンチに座り、Aが落ち着くのを待つ。
ここからは学校は見えない。
俺は、音楽室にトライアングルを放り出して来てしまったことを思い出した。
Aはしばらく顔面蒼白で、俺もどうしたらいいのかわかんなかったけど、犬の散歩のおっさんが一人通り過ぎたのをちらっとAが見たので、これをきっかけに聞いてみた。
「 俺、何も気付かなかった。
どの絵が動いたの?
ベートーベン?」
「 ・・・ビタワン。」
「 え?」
「 だから、ビタワン。」
黒板側の窓際には、何やら書類の入った袋がいくつかあり、そのうちの一つが何故かペットフードのビタワンの一番大きなサイズのビニール袋だった。
それにプリントされた犬の絵が目が真っ赤で、じ~~っと視線を動かしAを凝視していたらしい。
これを聞いて、家に帰ってから疑わしくなった。
Aは俺を怖がらして、その様子を笑いにするために演技してんじゃねーかと思った。
次の日学校に行ったら、俺がびびっていた様子を言いふらしてネタにするパターンか? と。
しかし次の日、どうもAは誰にもこの話をしていなかった。
同行した俺のほうが、女子から昨日どうなったのと訊かれる。
やがてトライアングルを放置したことから侵入がばれた。
と言っても俺が一緒だったことはバレず、職員室にAだけ呼ばれて怒られた。
その際、音楽室で見たことを全てAが話した上で、Aの頼みで先生はビタワンの袋をやめて別の袋にした。
あれはもしかするとマジだったのかも知れない。
今も俺は、ビタワンのデザインがちょっと怖い。
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