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日々の出来事 12月25日 怪僧ラスプーチンとボニーM

2018-12-25 10:07:11 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月25日 怪僧ラスプーチンとボニーM





 今日は、ラスプーチンが暗殺された日です。(1916年12月25日)
ラスプーチンは20才のとき、畑仕事をしているとき聖母マリアの啓示を受け“巡礼の旅に出る”と父親と妻に言い残し、十数年間ロシアを放浪します。
その間に、説教のうまさからシベリアの農民に信者を増やし有名になります。
 その後、1904年、ペテルブルクに進出、神秘的な占星術や呪術を利用しながら上流階級に信者を増やし、“奇跡を行う神の人”と称されるまでになりました。
 この噂は、ロシア皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラの耳にも届きます。
そして、血友病の持病があったアレクセイ皇太子を祈祷で治療するなどして、皇帝夫妻に“我らの友”と言われるほどの信頼を得、政治に介入し始めます。
この頃の様子は、皇帝夫妻に影のように寄り添う黒装束の異様な風貌のラスプーチンの姿が数多く写真に残されています。
 皇帝の側近たちの多くはラスプーチンの政治からの排除を望みますが受け入れられず、一方ラスプーチンに取り入り宮廷内の勢力を得ようとするものもおり、宮廷内は分裂の危機に瀕していました。
この状況の中、皇族であるユスポフ公を中心とした貴族たちでラスプーチンの暗殺が計画されます。
 1916年12月25日、ユスポフ公は友好的な雰囲気を装ってラスプーチンを晩餐に招待し、青酸カリを盛ったワインと食事で持て成します。
でも、ラスプーチンは平然と食事を終え祈りを捧げます。
これに驚いた貴族たちは、短剣でラスプーチンを刺しますがダメで、次に背中から拳銃で2発撃ちます。
ここでラスプーチンは反撃に出ようとしましたが、さらに拳銃で2発撃たれて倒れます。
 貴族たちが様子を見ると、ラスプーチンはまだ生きているので恐くなり、棍棒で撲殺しようとしますがなかなか死なないので、次は窓から道路に投げ落とします。
それでも、息が残っていたので貴族たちはラスプーチンをむしろに巻いて、ネヴァ川の氷を割り、開けた穴に放り込みました。
翌朝、ラスプーチンの遺体は発見され検死の結果、死亡原因は肺に水が溜まっての溺死となります。
つまり、ラスプーチンはネヴァ川から脱出しようとしましたが、溺れてしまったと言うことです。
ネヴァ川の氷が無かったら、復活していたのかも知れません。

( おまえは、ターミネーターかァ~~~!!)

暗殺前に、ラスプーチンはニコライ2世に予言します。

「 私は殺されます。
その暇乞いに参りました。
私を殺す者が農民であれば、ロシアは安泰でしょう。
 もし、私を殺す者の中に陛下のご一族がおられれば、陛下とご家族は悲惨な最後を遂げる事となりましょう。
そしてロシアは長きにわたって、多くの血が流されるでしょう。」

そして、予言通りロシア革命が起こり、ニコライ2世と家族は悲惨な最後を遂げることになりました。

 それではここで、ボニーMの“怪僧ラスプーチン”でも聴いてみて下さい。
すごく懐かしい気分に浸れます。
( この曲の言っている“ロシア最大のラブマシーン”は、ラスプーチンの女性信者との淫らな関係を指しています。)

ついでに、プーチンの先祖の名はラスプーチンです。
ラスプーチンの名前は、ロシアで評判が悪く改名しました。










  ラスプーチン


















☆今日の壺々話








     ミッシング・ペニス




 怪僧ラスプーチンのペニスについては色々な伝説が存在しています。
ラスプーチンは悪魔祓いの儀式の後、不特定大多数の女性と肉体関係を持っていました。
そのとき、ラスプーチンの巨大なペニスは多くの女性に目撃され、世間に広く知られることとなりました。
 1916年12月25日、ラスプーチンは首謀者のユスポフ皇太子に暗殺されるのですが、ラスプーチンの遺体からその巨大なペニスが切断され放り投げられた、もしくは、死亡以前にペニスが切断されていたと言う話があります。
 そして、暗殺が世間に知られるにつれ、何者かがペニスを切断し持ち去ったと言う伝説が広がります。
後に、ラスプーチンの実の娘であるマリア・ラスプーチンは父親のペニスは勃起時は長さ13インチ(約33cm)であったと語っていますが、一説ではこの人が所持していたと言う説もあります。
その後、ラスプーチンのペニスは時を経てヒョッコリと出現します。

 1920年、フランスのパリに突然ペニスは現れました。
ロシアから移民してきたラスプーチン崇拝者の女性カルト信者が、これを本尊として奉っていたと言う話が残っています。

 次に現れたのは、アメリカのカリフォルニアです。
1994年、古物商のマイケル・アウグスチヌスが、サンタモニカのロベルタ・リップルが所有していたマリア・ラスプーチンが残したと言われる三つの原稿とペニスを引き取ります。
これらは、イギリスのロンドンで1994年3月10日、マイケルにより競売に掛けられ売却されましたが、落札者は公表されておりません。

 翌年の1995年、再度、ペニスは三つの原稿と共にロンドンに現れます。
このときは、ロンドンのデイリー・テレグラフ紙がこれを取り上げ、科学者の調査の結果“ナマコ”と判定されたと報じ、この影響でペニスは世間から消え失せます。

 最近では、ロシアのエロチカミュージアム(名前からして怪しい)で、ガラス瓶に封入されたホルマリン漬けのラスプーチンのペニスが展示されました。
この展示されたペニスは、ホルマリンで縮んでいますが約29cmほどの長さがあります。

 これらの真偽は不明ですが、まあ、怪しいと思う方が普通でしょう。
でも、世界中で知られた有名な巨根伝説ですから、この展示が終了し、ラスプーチンのペニスが行方不明になっても、また、別の所でこいつはヒョッコリと出現すると思われます。

ここで、弓削道鏡とディック・ミネが一言。

「 僕達も忘れないでね!」


















ロシア人の日本人分析






・外国の批判に傷つけられやすい国民性。外国人からの風評に過敏に反応し、動揺しやすい。

・諸外国を一つの「外」に見立て、また常に1国VS1国で見る。海外の国々を「ひとつ」に単純化するため、互いが互いに対立する複数国の中でバランスをとるという考え方が不得意である。
「全体」VS「日本」という図式の中で、自意識過剰な反応や被害妄想になりやすい。

・戦争中は非常に攻撃的で強硬だったのに、戦後はお人好しなまでに従順でおとなしくなるなど、外国に対するコンプレックスが大きく、外国人は特殊であり、同国人へとは違った反応をする。

・自国の連続性という意識が希薄で、歴史はあまり重んじられず、変わり身が早い。

・日常の生活術として「交渉術」を必要としない国民性で、幼い頃か ら交渉術を学習する諸外国と違い、外交交渉はいつも後手に回り、交渉下手さが著しい。

・年一回おさい銭を放るのと葬式仏教だけで宗教を 片付ける現実主義。来世という考え方が理解できない。

・清貧の思想。質素を好み、「穢れ」を取り払う「浄化」嗜好から清潔を心がける。 たたみマットの清潔さは明治の欧州各国使節団を驚かせた。


















    世界の最先端



 アメリカ人、日本人、ロシア人の3人が、一緒にサウナに入っていた。
すると突然、どこからか、“ピー、ピー”という音が聞こえてきた。
やがて、アメリカ人が右の肘あたりを軽く押すと、その音は止まった。
他の二人が怪訝そうな顔をしてアメリカ人の顔を覗き込むと、アメリカ人はこう言った

「 これはポケベルなんだ。
肘の皮膚の下に極薄の最新チップが埋め込んであるのさ。」

 それから数分後、今度は“プルルル、プルルル”という音が聞こえてきた。
やがて、日本人が手のひらを耳に当てて話し始めた。
ほかの二人が怪訝そうな顔をして日本人の顔を覗き込むと、日本人はこう言った

「 これは電話なんです。
手に世界一小さなチップが埋め込んであるんですよ。」

 ロシア人は自分が何も持っていないことに悔しくてならなかった。
やがて、彼は何かを思いついたらしく、サウナを出てトイレへと入って行った。
 しばらくして、ロシア人はサウナに戻ってきた。
しかし、お尻にはトイレットペーパーの切れ端がぶら下がっているではないか。
アメリカ人と日本人はびっくりしてロシア人の顔を覗き込んだ。
そして、ロシア人は言った。

「 おお、ファックスを受信したみたいだ。」
















稚内




 日本最北稚内に住んでいる者だが、すぐ近くに日本海オロロンラインがある、通称「地平線ロード」。
毎日というわけではないが、いつも通っているとさすがに飽きてしまう。
もっとも本土のライダーにとってはここが聖地のようで、パーキングに集結している彼らの笑顔を見るとこっちも嬉しくなる。
 で、稚内でよくみるロシア人について。
港に停泊中、彼らは必要な物資を稚内で買い揃えるんだが、向こうは景気がいいせいか金使いはハンパじゃない。
それでいて背はでかいが態度がでかいわけでもなく、もうすっかり稚内の風景に溶け込んで同化している。
北方四島と違って領土問題がない所為もあるけどね。

でかい図体の男がコンビニのレジで、

「 スミマセン ニクマン クダサイ。」
「 ココ(かばん)ニ 日本円 アル 必要ナ分 トッテ オツリ クダサイ。」
「 ドモ アリガト。」

こういう光景が日常的に見られるというプチ和みですた。



そういえば、コンビニに中華まんを買いにきた外国人二人組との間で、

外A「 Pizza。」
外B「 Me too。」
店員「 はい、ピザまん二つでよろしいですね?」
外B「 No no、Meet。 M E E T!ニクマンね。」

というのを思い出した。















事件





 おれはとある殺人課の警部なんだが、聞いてくれよ。
今回の事件はまったく奇妙奇天烈なんだぜ。

 とある豪邸が、仕掛けられていた爆弾によって突如爆発した。
そして四散した瓦礫の中から、粉々になって焼け焦げた男の死体が発見された。
この事件、訳がわからないのは自称「犯人」が五人も自首してきたってことなんだよ。
しかも全員が自分の単独犯だと言い張るものだから、訳がわからない。


A「俺がやりました。あいつはソファで寝る癖があるから、前もって家に仕掛けておいた時限爆弾で吹っ飛ばしてやったんです。」

B「犯人なら俺だよ。あいつはいつもソファで寝る癖があるんだ。その日俺が近づいた時は、気分が悪いのか、ソファで白いマフラーを首に巻いた格好で、何故かびしょ濡れの状態でガクンと首を項垂れて俯いてるから、血まみれになるまで腹を滅多刺しにしてやったよ。」

C「あいつを殺したのは俺。いつものように、白いシャツをだらしなく着た状態でソファでふんぞり返ってびしょ濡れで寝てるから、
 背後から近づいて、前もって用意していた白いマフラーで絞め殺してやりました。」

D「あいつには結構前前から恨みがあってさあ。遠くのビルから狙撃してやったよ。白いマフラーに赤いシャツを着てソファで項垂れながら寝てるところらしいのがファインダーから辛うじて見えたから、銃弾を頭に撃ち込んでやったさ。」

E「あいつは白いシャツ姿でふんぞり返って寝てたから、丸出しになっていた首筋にスタンガンを当てて感電死させてやった。あいつ、風呂上がりなのか全身びしょ濡れだったから電流が良く通ったのか、即死だったぜ。
  あれだけの高圧電流を流してもピクリともしなかったんだからな。」


 俺は部下の刑事を呼び出した。
「犯人は誰だと思う? 誰が毒――いや、殺したんだろうな。」
危ない危ない、つい「毒殺」というところだったぜ。そう、実は犯人は俺なんだ。
遅行性の毒物を、奴が常用するカプセルにすり替えておいたからな。うっかり口を滑らせるところだったぜ。
でも鈍い部下は、俺のそんな失言にも気付かずにのんびりと答えた。
「そうですよね。誰が被害者を溺死させたんですかね~。」















    12月25日はクリスマスですね



クリスマス


 俺が小学生だった頃の話。
近所の小さな珠算塾に通ってた俺は、毎年クリスマスの日の塾を楽しみにしてた。
クリスマスの日だけは授業をあまりやらずに、先生が8ミリフィルムの映画を子供たちのためにかけてくれるからだ。
 アニメが主体で、『がんばれタブチ君』とか、ディズニー映画、チャップリンの映画などを見せてもらう。
それが終わったら、先生がお菓子をみんなに分けてくれる。
毎年すごく楽しかった。

 しかし、俺が小学6年だったその年はいつもと様子が違っていた。
10畳ぐらいのスペースの小さな教室で、生徒は13人くらいいただろうか。
先生が映写機に8ミリをセットすると、教室の照明を全部消し、映写が始まる。
 シャーーッ、という機械の音。
手製のスクリーンに光が映る。
ところが、いつまで経ってもお目当ての『がんばれタブチ君』が始まらない。

「 あれ?おかしいなぁ、ちょっと待っててくれよ。」

と先生が言って、何か道具を取りにいくのか教室を出て行った。
 まだ回りっぱなしの映写機は、真っ白な画面からしばらくすると突然何かを映し出した。
女の子。
俺らと同年代くらいの女の子が、元気いっぱいに公園らしきところで遊んでいる。
 俺らもよ~く知っている女の子。
それは、先生の娘さんだ。
趣味の8ミリカメラで撮ってあげたものだろう。
 俺たちは急に怖くなった。
なぜなら、その女の子は1年程前に病気で亡くなっているからだ。
いつもはバカ騒ぎばかりしている俺たち生徒は、一言もしゃべらず、なにかスクリーンから目をそらすように俯いている。

 3分くらい経っただろうか。
ようやくフィルムが終わって、映写機が自動的に止まった。
レンズからの光も消えて、教室内はまた真っ暗に。
 一番前の席に座っていた生徒が暗闇に耐えられなくなったのか、席を立って、

「 スイッチ、どこかな?」

と照明のスイッチを探し始め、こちらを振り返ったその時、後ろの席のほうに指をさして、泣き声とも叫び声ともつかない声を出しながら教室を走り去った。
それで、堰を切ったように、教室の全員が無言で出口に向かって走り出した。
 集団ヒステリーってやつだと今になって思い込むようにしてるが、それでも未だに腑に落ちないのは、あの時、最後に教室を出た生徒(仲のいい友達だった)は、塾の出口でものすごい力で先生に腕をつかまれて、

「 逃げるんじゃない。」

と、すごい形相で言われたらしい。
それをきっかけに俺は塾はやめましたが、その塾自体はまだ営業中。
















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