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日々の出来事 5月27日 バルチック艦隊

2018-05-27 08:00:00 | A,日々の出来事_








  日々の出来事 5月27日 バルチック艦隊







 今日は、日本海海戦が開戦した日です。。(1905年5月27日)
日露戦争で、東郷平八郎が率いる日本海軍連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊と対馬沖で激突しました。
 この海戦は、蒸気船のよる主力艦隊同士が正面から激突したものとしては史上初の海戦でした。
結果は、ロシア艦隊は戦力の大半を失った一方、日本側の損失は軽微で、海戦史上極めて稀な完勝となりました。
 当時、後進国と見られていた日本の勝利は世界を驚かせました。
この海戦で有名なのが、T字戦法です。


ロシア海軍

「 お~、正面からやって来よった。
すれ違いざまに砲撃する気やな。
ええ根性しとるやないけ。」
「 あれっ、回転し始めたぞ?
バカか、こいつ等、無防備になるやろが!
バコバコに砲弾を撃ち込んでやっからな。」
「 バコ~ン、バコ~ン、バコ~ン。」
「 当たった、当たった、ザマーミロ!」
「 おかしいな、沈まないぞ?」
「 うわっ、廻り込まれて、行く手を遮られた。」
「 こら~、後ろの味方の船、砲弾を飛ばすな!
この船に当たるやろが、ボケ!」
「 ゲゲッ!
敵の一斉砲撃が始まった。
うわぁ~、弾の嵐や。
逃げろ~!
先頭の船から、順番に沈むぞ~!
もうダメ、かんにんやァ~。」
「 沈むぅ~。
ブク、ブク、ブク。」


 T字戦法は、敵艦隊が縦に前進したとき、その正面を側面方向から横切って敵艦隊の航路を遮り,T字形の体勢を作った上で、敵の先頭艦に対して全艦艇から集中攻撃を行う戦法です。
軍艦は前後に細長いので、敵に対して横を向いた方が使える大砲の数が多く、T字形を作れれば圧倒的に有利になります。
 でも、欠点は、船を廻したとき無防備になること、また、回転地点に順番に後ろの船は進んできますので、敵艦隊から言えば、その地点だけに砲撃を続ければ、射的のように順々に船を沈めることが出来る危険な戦法でもあります。
 この海戦の日本海軍の勝利は、ロシア艦隊の有効射程範囲のギリギリの所で船を回転させることが出来たことにあるでしょう。
実際、先頭艦の“三笠”は、突き刺さった砲弾の重みで、かなり右舷側に傾いていたと言います。









  参考 T字戦法



日本艦隊
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  ロシア艦隊
























☆今日の壺々話












披露宴



 ある披露宴、新郎が海自の方でした。
同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
 一通りの祝いの言葉の後に、

・自分が海軍にいた事。
・孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
・自分達の世代の不甲斐なさのせいで、今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。

たとたどしくですが、話されました。

 同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり、高砂の席の一人が、

「 何に乗っておられたのだ?」

と尋ねると、新郎は小声で、

「 大和です。」

 それを聞いた海自組一同、すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。

 私は、その後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は、不思議そうな顔をしておりましたが・・・・。





















沈没しかけている船から乗客を救う方法






「 あ~、眠いなぁ~、うつら、うつら・・・・。」

“ ガコ~ン!!”

「 うわっ、何だ?」
「 船長、氷山でっせ!」
「 ホントだ、エライコッチャ!」
「 居眠りしていたら、氷山に当たってしまいましたがな!」
「 うっ、ヤベ~、海水が入ってきたぞ!」
「 船長、こりゃ、沈みまっせ・・・。」
「 救命ボートを用意しろ!」
「 わかりやした!」
「 ワシは、乗客を避難させる。
国ごとに部屋が分かれているから、順番に連絡してくる!」

機関長が救命ボートを下ろしている間に、船長は各国の乗客に海に逃げるよう指示を出しました。

イギリス部屋 「 紳士はこういうときに飛び込むものです!」
ドイツ部屋  「 規則では海に飛び込むことになっています!」
イタリア部屋 「 さっき美女が飛び込みましたよ!」
アメリカ部屋 「 海に飛び込んだらヒーローになれますよ!」
フランス部屋 「 海に飛び込まないで下さい!」
ロシア部屋  「 最後のウオッカのビンが流されてしまいました、
今追えば間に合います!」
中国部屋   「 おいしそうな魚が泳いでましたよ!」
北朝鮮部屋  「 共和国に帰らなくて済みますよ!」
ポリネシア部屋 「 ・・・。」(黙ってても喜んで海に飛び込む。)
日本部屋   「 もう、みんな飛び込みましたよ!」
大阪部屋   「 阪神が優勝しました!!」

「 よし、これで全員飛び込んだ!
じゃ、我らも逃げるか!」
「 あいあいさぁ~!」

“ どっぼ~ん!!”
























冷戦下のロシア








 ポールとワッツは貧しい炭鉱夫だった。
貧乏な暮らしに業を煮やした二人は未開の国であるロシアに移住し、働こうと決めた。

ポール
「 決めたはいいが、僕たちはロシアのことを何も知らない。
もしロシアがこの国よりも貧しい国だったらどうする?」

ワッツは頭を捻った。

ワッツ
「 そうだな・・・ポール、君には妻も子供もいる。
君にとってはリスクが大きい話だ。
だからまず僕がひとりで向こうへ行き、あちらの事情を手紙に書く。
君はそれで判断すればいい。」

ポール
「 しかし、悪口を書いた手紙を検問官に見られたら君はタダでは済むまい。」

ワッツ
「 じゃあこうしよう。
僕はロシアがどんな国だろうと、ロシアを褒めて書く。
手紙が黒のインクで書いてあれば、ロシアは素晴らしい国だと受け止めたまえ。
逆に赤のインクで書いてあったら内容とはかけ離れた貧しい国という意味に取ってくれ。」

 ワッツはそういうとロシアに旅立っていった。
それから3ヵ月後、ポールの元に手紙が届いた。送り主はワッツである。
手紙には黒のインクでこう書いてあった。
黒のインクということは・・・素晴らしい国なんだ!とポールは喜びながら読んだ。

『 親愛なるポール。この国は素晴らしい!
向こうに着いてすぐ割りの良い仕事を紹介してもらい、広くてきれいな住処を与えてもらった。
食料と酒はふんだんにあるし、何より国自体に活気がある!
仕事はすこぶる順調で、来月にはクルーザーを買って貸し別荘で余暇を過ごすつもりだ。
 一部のマスコミが『ロシアには物資が何もない』なんて書いてるが、それは大きな間違いだ。
この国では欲しい物は何でも手に入る!
手に入らないのは赤のインクくらいのものだ。』






















プーチンとスターリン






ロシアを統治するのに疲れ果てたプーチンは、あの世のスターリンに電話をかけた。

「 プーチン君、効果的に統治するには2つのことをしなくてはならない。
まず閣僚を全員銃殺すること、そしてクレムリンを緑色に塗ることだ。」
「 はい・・・?
なぜ、クレムリンを緑色に塗る必要があるんですか?」
「 やはり君はわしの睨んでいたとおりの男だ。
1つめの提案には疑問を持たないとは。」























プーチン伝説







・プーチンの視線が露軍のレーダーに反応してしまうので就任中は警戒されていた。
・いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める少年にトカレフを買ってあげたことがある。
・「今から交渉に行く」と伝えただけで相手国首相が泣いて謝った(心臓発作を起こす高官も)。
・一喝しただけでイージス艦撃沈したのはあまりにも有名。
・「チッ」と舌打ちしただけで、反対派が5人くらい死んだ。
・エルニーニョの原因は、プーチンが観衆に手を振ったせい。
・プーチンのスーツは上下合わせて80キロの重さである。
・ノストラダムスの予言が当たらなかったのはプーチンが「そんなモノは認めない」と発言した為。
・執務室に乱入してきた数匹のゴリラと素手で乱闘し勝利、何故かSPまでKO。
・プーチンのおかげで、身長が3センチ伸びました。
・お気に入りのあの娘にウインクした瞬間、ロシア全土が大停電、未だに原因不明。
・書類の誤字を指摘しようとした書記官が口を開いた瞬間シベリアにワープした。
・絞め殺した相手が崩れ落ちるのを見て万有引力を発見した話は教科書でおなじみ。
・力加減を間違えると外交問題に発展する為、外国首脳と握手するのをすごく嫌う。
・一度加減をせず思い切りくしゃみをして爆発した事があるが、これが後の宇宙の始まり、ビッグバンである。
・体調が良い日は3人に見える。
・タンスに小指をぶつけた瞬間、北極点の位置がちょっとズレた。
・あと2回変身を残している。





















モスクワ2010年8月





金曜日 やや曇. 最高気温 40 °C . 風 ほぼ無風.
金曜日の夜 晴. 最低気温 23 °C . 風 ほぼ無風.
土曜日 晴. 最高気温 39 °C . 風 ほぼ無風.
土曜日の夜 晴. 最低気温 23 °C . 風 ほぼ無風.
日曜日 晴. 最高気温 38 °C . 風 ほぼ無風.
日曜日の夜 晴. 最低気温 13 °C . 風 ほぼ無風.
月曜日 晴. 最高気温 38 °C . 風 ほぼ無風.
月曜日の夜 晴. 最低気温 20 °C . 風 ほぼ無風.


ヤバすぎるな。


日曜日 晴. 最高気温 38 °C . 風 ほぼ無風.
日曜日の夜 晴. 最低気温 13 °C . 風 ほぼ無風.
月曜日 晴. 最高気温 38 °C . 風 ほぼ無風.


25度のジェットコースター。


法律だか条例だかで、エアコン付けるのが難しいらしいね。


扇風機もない家で過ごし、窓も開かないバスや電車に揺られました。
2回熱中症気味になりました。
幸い、郊外に逃げ、川や湖で過ごして生き返りましたが、中心部は脳天がオーバーヒートするわ、煙くさいわで、1日とて過ごせないと感じました。
真昼でもオレンジ色の太陽が肉眼で見れましたよ。
























  イジニエフ・アリスコビッチ






「 我、死す。 されど、屈せず。 さらば、祖国よ。」

 1941年6月22日、独ソ開戦から1ヶ月にして、ワルシャワとモスクワの中間都市ミンスクは、ヒトラーの電撃作戦に敗れ、陥落。
 イジニエフ・アリスコビッチは、この遺書をしたため、戦闘に参加した。
そして、皮肉なことに、遺書をしたためた彼だけが生き残った。

 1945年のドイツ降伏まで、彼は捕虜として過酷な収容所生活を送り、やっと祖国に帰国した彼を待っていたのは「ソビエトも負けた所がある」ことを認めたくなかったスターリンによる、「イジニエフは対ドイツ協力者、裏切り者である」としてシベリア送りにする陰謀だった。

 やがて、時は流れ、スターリンは失脚。
後に立ったフルチショフによるスターリン批判により、「ナチス・ドイツに対して勇敢に戦った者達」として、ミンスクとブレスト要塞が「英雄都市」として、祭り上げられると同時にイジニエフは「ソビエト最大の裏切り者」から、一日にして「ソビエト最大の英雄」に成る。

 ソビエトという国家は手の平を返したようにイジニエフを賞賛し、数多くの勲章を送る。
だがイジニエフは、英雄に成ったからといって奢るでもなく、シベリア送りに成っていたからといって、いじけるでもなく、

「 私は単なる共産主義者。単なる労働者に過ぎない。」

と、言って、数多くの「英雄」としての名誉職をすべて断り、一人の労働者として、鉄道整備をしながら人生を過ごした。

 そして、晩年を迎えようとする彼の人生に一つの事件が起きる。
チェルノブイリ原子力発電所の事故である。

「 私がいなかったら、誰が列車を動かすんだ?」

 彼はただ、それだけを言うと、次々と逃げ出した同僚を尻目に避難者で満員の列車を一人で動かしつづけた。
汚染地域の上を何往復も…。

 やがて、すべてが終わった時、イジニエフは血を吐いた。
放射能症である。
 医者すらも、「イジニエフを治療すると自分が危ない」として、治療を断わる始末。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は、崩壊しつつあったソビエトという国家そのものを象徴していたとも言える。
 「一人の労働者」として働き続け、ようやく稼いだイジニエフの持つ「ルーブル」は、インフレにより一夜にして紙クズと変り、貰った数多くの勲章は、何の価値も無いガラクタなっていた。
そして、イジニエフは死にかけていた。
病床のイジニエフが、同じく死にかけていたソビエトに対して、遺した言葉がある。

「 我、死す。されど、屈せず。 さらば、祖国よ。」

 1991年12月21日。
イジニエフ、放射能症により死去。
それは奇しくも、彼が別れを告げた祖国・ソビエト連邦が消滅したのと同じ日であった。




















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