日々の恐怖 7月24日 空き地
俺のうちは親父が地元企業に勤めていたから、生まれてから一度も引っ越しをしたことがなく、生まれた時から高校を卒業するまで18年間、同じ所に住んでいた。
(大学は東京の私大だったのでそれ以降一人暮らし)
家と同じ並びで4軒ほど離れた家に、おじいさんが一人暮らしをしていた。
俺が地元を離れる時もぴんぴんしてたから、実際はそれほど年じゃない初老の人で、子ども目線だから年寄りに見えたのかも知れない。
近所づきあいはあまりしない人だけど偏屈ということもなくて、普通だった。
おじいさんの家は敷地の奥まった所に建ってて、前は小さな空き地みたいになっていた。
駐車スペースみたいな感じだが、車はなかった。
あとコンクリートやアスファルトで固めてもないから、夏は雑草が伸びて、たまにおじいさんが草刈りしてた。
親からは、
「 ご近所の人には挨拶しろ!」
と言われてて、おじいさんも挨拶すれば返してくれた。
でも一つだけ普通じゃないことがあった。
1ヶ月に数回の割合で、家の窓や、あるいは家の前に立って、誰もいないその空き地に向かって、
「 出て行け!」
とか、
「 出て行きなさい!」
と怒鳴っていることがあった。
しかもその時は一回じゃなく何度も怒鳴るし、普段はマトモで、たまに変になる人かと思っていた。
小学校の高学年にはなってたある日、学校帰りに角を曲がって、あとは家まで一直線という時、その、
「 出て行け!」
と怒鳴ってるのに出くわした。
その家の前を通って4軒目が俺の家。
出くわしたことは前にもあったし、
” またか、やだな・・・・。”
と思いつつ通り過ぎようとした。
そしたら何故かその時だけ、あの空きスペースにたくさん人がいた。
大人じゃなくて、その時の俺くらいの子どもばかり。
男の子も女の子もいた。
みんな道路に背を向けて、おじいさんのほうを見て微動だにしなかった。
残念なことに、俺はその場を離れず見ていたらしいのに、子ども達がどうしたかは何故か記憶がない。
覚えているのは、おじいさんが、
「 見えたんだろう、すまんな。」
と言ったことだ。
その時は、もう子どもたちはどこへ行ったのかいなくなっていた。
その時の会話はこんな感じ。
「 あの子たちはなんですか?」
「 わからない。
俺も見えるだけでどうにも出来ない。
ただ、ああやって強気で怒鳴りつけないと、家の中にも入ってくる。」
そう言われた時、ちょっとぞわっとした。
子どもたちは別に半透明とかぼんやりではなく、その場に存在しているようにしか見えなかった。
家に帰って話したら、お袋も知ってたし、仕事から帰ってきた親父も至って普通に、
「 見ちゃったか。
気にすんな。
この辺に住んでる人は、みんな見てるから。
なんかの加減で見えたり、見えなかったりするんだけどな~。」
と言ったんでびっくりした。
だからおじいさんの奇行にも見える怒鳴り声を、誰もおかしいと言わず普通に接してたんだ。
でもうちの近所も、もっと広い範囲の地域でも、いっぱい子どもが死んだ事件とかはまったく聞いたことはないし、誰もそんなことがあったと知ってる人もいない。
思い出すと、長髪で天パの子とか確かいたような気がして、当時も子ども達と普通に思って、それ以外の違和感はなかったように思う。
俺の出身地は工業都市で港や鉄工所、造船会社もあるし、戦時中は空襲の激しい地域だったのは間違いないけど、服装も古くさくはなかったと思う。
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