日々の恐怖 8月3日 八重咲きの桜(2)
ぎょっとした祖父が近づこうとすると、祖母の隣にすうっと人影が浮かび上がった。
若い男だったという。
涼やかな目元の美男子だった。
それが、まるで恋人のように祖母の傍らに立ち、そしてすうっとその下腹部を撫でた。
祖父は、その男が人間ではないと直感したらしい。
その上で、自分の嫁に馴れ馴れしく触ったことに激怒した。
同時に、なにかおかしなことをされたのではと恐怖した。
怒鳴り付けて庭に降りると、男は現れた時と同様に、すうっと消えた。
後に残されたのは、ぽかんとした顔で立ち尽くす祖母だけだった。
「 大丈夫か!」
と聞くと、祖母はなぜ自分は庭にいるのかと祖父に聞いたそうだ。
祖母は布団から出た覚えもなく、庭に降りた記憶もなかった。
気がついたら庭にいたのだという。
祖父が今しがた見たものを説明しようとすると、祖母は突然、腹痛を訴えた。
下腹部を押さえてしゃがみこみ、痛い痛いと訴えた。
祖父は慌てて祖母を部屋まで連れていき、寝かせたそうだ。
もっとも、痛みはごく短時間で、部屋に戻った頃にはほとんど治まっていたという。
騒ぎを聞き付けた曾祖父母が起きてきて、医者を呼んだりしているうちに、祖父は自分が目撃したものを話すタイミングを見失った。
祖母の身体に異常がなかったこともあり、そのまま話すことなく現在に至る。
「 それで、なんでばあちゃんが桜を産んだなんて話になるんだ?」
「 桜が咲いてるのを見つけたのが、その翌年の春だったんだよ。」
「 それだけ?」
「 いんや。
あの晩、母ちゃんが立ってたのが、今、桜がある場所なんだ。」
祖父はあの夜、祖母が桜を産み落としたと考えていた。
産み落とした桜の成長した姿が、今ある桜の木なのではないか。
祖母が訴えた腹痛は、陣痛だったのではないか。
あの男は、祖母の腹に桜を宿したのではないか。
そんな風に、考えていたそうだ。
「 つまり、庭の桜は君の伯父ってことになるのか?」
話を聞き終えた私のしょうもない冗談に、友人は大真面目な顔で、
「 伯母かもしれないだろ。」
と答えた。
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