日々の恐怖 2月27日 道迷い
登山をしていた頃、北アルプスのとある場所で道迷いした。
もう日も暮れてしまって、どうにもならない状態に陥っても歩き続けた。
“ 稜線を歩いているし人気のある山だから多分、しばらく歩けばどこからか光が見えるはずだ。
なんてことは無い、朝を迎えた時は、あの時はやばかったなあ、なんて思えるぞ。”
と信じて、ひたすら稜線を歩いた。
今考えれば、道を失って夜になったのにビバークしない時点で、自分はまともな精神状態じゃなかったんだと思う。
20時を越えると、秋口の山でも風が吹くととても寒くなる。
体感温度は零下、稜線を諦めて下降して樹林帯に入った。
険しい道が続き、いつ気づかない斜面で滑落するかわからないという状況を、暗闇の中歩き続ける。
ふと樹林の中から呼ばれる不思議な声がした。
自分の名前を呼んでると分かって、怖いよりもなんだか嬉しくて、その声のするまま険しい道を進んでいった。
暫くして地図としっかり照合できる山道に出た。
助かった、まさに九死に一生だった。
そこでツェルト出してビバークして、翌日無事下山した。
あとから思い出すと、その声は、
「 ○○、そこだ!いまだ!あー!」
「 ○○走れ!いけー!」
「 もう少しだから最後まで諦めないっー!」
みたいな掛け声だった。
無論、道のない山の中だから走ったりできず、ただ黙々とその声のする方に歩を進めるだけだったわけだけど、不思議と声を怖いと思う気持ちはなくて、じわりと心が温まって、自分を応援してくれてる、尽きた気力を振り絞って頑張ろうと思えた。
やがて年月が過ぎて、母が50代の半ばで死に、葬式の後に父親から昔のビデオを渡された。
そこには、中学時代の自分がバスケ部の試合に出ていて、それを母が応援しながら撮った映像があった。
その応援はまさに、あの遭難の時の声そのものだった。
中学の時は反抗期も伴って、母親が試合の応援に駆けつけるのがとても嫌だった。
それで何度も喧嘩したこともある。
でも、母親はいつも応援に駆けつけてくれていた。
実家を出た後も、ちょくちょく連絡をくれた母、生きている頃からずっと陰ながら自分を心配して助けてくれていたんだと思うと、涙が溢れてきて止まらなかった。
今もすごくめげた時、とても仕事に追われて辛い夜など、母のビデオを再生して母の若い時の声を聞く。
それで一泣きすると、頑張れよと天国から励ましてくれるようで、翌日から頑張れます。
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