新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

アミアン大聖堂⑤ 洗礼者ヨハネの悲劇の運命。その彼の聖遺物がこの大聖堂に!

2019-04-23 | フランス・アミアン
 南側周歩廊の聖フィルマンの生涯に対して、北側周歩廊には洗礼者ヨハネの物語が群像彫刻で再現されている。

 洗礼者ヨハネとは、キリストに洗礼を施した聖者で、キリスト教の歴史上重要な人物だ。

 ヨハネが市民たちにキリスト教の教えを説いていた。

 ここでキリストに洗礼を行っている。

 多くの人々に説教するヨハネ。

 神の子の羊を示すヨハネ。

 そんな中、時の王ヘロデは自らの弟の嫁であるヘロデアを強引に自らの妻にしてしまうが、ヨハネはそれをいけないことだと批判する。怒ったヘロデ王はヨハネを逮捕してしまう。

 ヘロデ王はある時、城内で華やかな宴を催した。

 そこで、王は娘サロメの踊りを誉め、「好きなものをなんでも与えよう」と話す。サロメは「ヨハネの首が欲しい」と申し出る。これによってヨハネが処刑されてしまった。

 その首はサロメとサロメをそそのかした母ヘロデアの前に差し出された。

 この物語は、のちにオスカー・ワイルドによって戯曲化されて大評判となり、サロメ=悪女という定評が出来てしまったが、こんなドラマチックな聖書の物語もここに群像彫刻として残されている。

 この北側周歩廊には、ちょっとグロテスクなものが保管されている。その生涯の物語が描かれた洗礼者ヨハネその人の頭がい骨の一部がこの教会にあるのだ。それが、こちら。

 この聖遺物は13世紀初頭に第4次十字軍がコンスタンティノープルから持ち帰ったもので、このことがきっかけで大聖堂が建設されることになったといわれる。
 当時のアミアンは、毛織物産業などで潤っており、裕福な商人たちの豊富な資金が大聖堂建設を実現させたわけだ。



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アミアン大聖堂④ 初代司教の生涯が、見事な石の群像彫刻で再現されていた。

2019-04-19 | フランス・アミアン

 南側の周歩廊に移動する。この廊と内陣を隔てる内陣障壁には見事な群像彫刻が並んでいる。

 この障壁にあるのは、大聖堂初代司教である聖フィルマンの物語。4つの場面に分けて造られている。その場面場面が実に精巧に作りこまれていて、じっくりと眺めてしまった。

 順を追って見てみよう。一番左はフィルマンがアミアンに到着した場面。出迎える市民たちのっ興味深そうな表情が面白い。アップは冒頭の写真だが、中でも白い帽子のアミアン娘の美しい表情が印象的だ。

 次にフィルマンが市民に洗礼を施している場面。こうして次第にキリスト教が市民たちの間に浸透して行く。

 3番目は、状況が一変する。フィルマンの布教は4世紀のこと。当時はまだキリスト教は非公認の宗教。お上からは「邪教を広めた」との罪で、逮捕されてしまう。

 最後は、フィルマンが首を斬られて殉教する。この場面は、見つめる市民たちの前で、枠から外れた外側に打ち首のシーンが設置されている。

 この群像彫刻下には墓と遺体が納められており、すっかり聖フィルマンのものだと思っていたら、別の司教の墓だった。

 これらの像は柔らかな彫り具合から木のように見えたが、実は石を彫って彩色を施したものだという。16世紀の職人の確かな技量が伝わってくる。まさに後期ゴシック彫刻を代表する傑作だ。

 南側側廊には「黄金の聖母」と呼ばれる聖母像が置かれている。赤ん坊のイエスを左腕で抱き、かすかに微笑みを湛えた聖母はどこまでも麗しい。

 完成当時は黄金色に彩色され、南扉口にあった。

 しかし、保存の必要から今は扉口にはレプリカが置かれ、実物は堂内で保護されている。


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アミアン大聖堂③ 紅の衣をまとった聖母マリア、すすり泣く天使、そして234mの迷宮。

2019-04-16 | フランス・アミアン

 中に入ると、まずは初めに天井の高さに息を呑む。

 天井の高さ42.3m。数あるゴシック建築の中でも最大級の高さを誇る。交差リヴが軽やかなリズムを奏で、その天井から朝の光が差し込み、波状のアーチが明るく前後左右に広がってゆく。

 奥行きは145m、広さ7700㎡。果てしないほどの広がりを支える柱は、側面に装飾柱を加えて全く重量感を消し去っている。

 主祭壇のある内陣は鉄柵で仕切られて入れないが、上方に見える窓の青さが目に染みる。

 身廊中央まで歩くと床に描かれたラビリント(迷宮)に気付く。このラビリントは234mもの長さで聖堂床面のほぼ全体に広がっている。

 中央には石板があり、着工年と建築を指揮した大司教エブラールと3人の建築家の名前が記されている。

 北と南の交差部からは2つのバラ窓を見ることが出来る。

 後陣に回った。3つの礼拝堂があるが、中央は聖母マリアに捧げられた礼拝堂だ。赤と青の鮮やかなステンドグラスが設置されていた。

 そこにちょうど朝日が差し込み、ステンドグラスの色が周囲にこぼれ出してきている。

 側廊のあちこちに色の恵みが広げられて、幸せ感が漂っている。

 特に黄金のマリア像は、その身にあでやかな紅の衣を纏って、一層神々しく輝いていた。

 そのまま後ろを振り向くと、右手をこめかみに当てた天使像がみつかる。17世紀、ニコラ・ブッセの手になるこの天使像は、第一次世界大戦の時、戦時下の生活の苦しみ、悲しみを天使の沈痛な表情と重ね合わせたことで、「すすり泣く天使」と呼ばれるようになったという。

 聖歌隊席には約4000体もの像があるとされるが、残念ながら中には入れない。隙間から見つけた小さな像を何とか1枚。16世紀初頭、10人ほどの熟練工がこれらの像を丹念に仕上げていった。

 ジャンヌダルクの像も。フランスの教会では本当によく見かける。

 説教壇への階段も面白い。


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アミアン大聖堂② キリストが、マリアが、最後の審判が、大聖堂正面の壁には満載の物語が。

2019-04-13 | フランス・アミアン

 アミアン大聖堂はロマネスク様式だった以前の聖堂が火事で焼失してしまったことを機に、1220年にゴシック様式で着工され、主要部分は1285年に完成した。
 その後西正面の2つの塔は15世紀初め、交差部の尖塔は16世紀に完成、盛期ゴシックの代表作として現在もその威容を誇っている。

 まずは外観から見て行こう。西正面には3つの扉口がある。右扉口は聖母マリアの扉口。中央にマリアが立つ。

 脇の人像円柱を見ると、順に大天使ガブリエルが聖母マリアと向かい合っている。そう、この2人の姿は受胎告知の場面だ。天使がマリアに妊娠を告げる劇的なシーン。

 その横も似たような形だが、これは妊娠を告げられたマリアがエリザベートを訪問するところ。
 その他にもソロモン、シバの女王など旧約聖書の人びとが並ぶ。

 中央の扉口は救世主キリストの扉口。美しき神と称されるキリスト像が中央にある。

 そして左扉口は初代アミアン大司教である聖フィルマンの扉口だ。通常はこの扉口が開いており、ここから中に入る。

 中央扉口の上を見上げてみよう。ここに描かれるのは「最後の審判」。

 真ん中にカッと目を見開いたキリストがにらんでいる。広げた手には処刑の時に受けた傷跡があり、血まで流れている。とても恐ろしい!
 まさにここでキリストが下す判定で天国か地獄かが決まってしまう場所だ。

 そのアシストをしているのが、下中央に見える大天使ミカエル。秤を持って徳の重さをはかっている。
ああ、そんなもの計られたら私なんか即刻地獄だなあ。
 2層目の人びとはよく見ると、中央から左側は着衣姿なのに、右側は裸。天国と地獄で待遇が完全に別れている。
 面白いのは、ミカエルの持つ秤は天国側に重く傾いているが、右下にいるちっちゃな悪魔は地獄側に傾けようと下から引っ張っている。こんなユーモラスな像のある所も、当時の職人のウイットが感じられて滑稽だ。

 気を取り直して、さらに上を見上げた。ずらり並ぶ人物像。ここは諸王のギャラリーと呼ばれ、22人の王冠をかぶった王たちが揃っている。盛期ゴシック建築の1つのテーマとなる形だ。
 さらに上にはフランボワイアン様式のバラ窓。

 また、南扉口に周ると、こちらにもバラ窓の付いた高いファザードがある。

 扉中央には聖母子像。優しく幼子キリストを抱くこちらの聖母の方が柔和でほほえましい感じだ。

 このように外壁全体には約4000人もの聖書にまつわる像が彫り込まれており、まさに「石の百科全書」と呼ばれている。
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アミアン大聖堂① ゴシック建築の粋を見上げる。「これほど美しい大聖堂を見ることは、何という喜びだろうか」(ロダン) 

2019-04-09 | フランス・アミアン

 パリを出発してアミアンにやってきた。7年ぶりのことだ。

 初めて目にしたアミアン大聖堂は後陣の姿だった。まるで無数の刃の切っ先を突き立てたようなその姿に威圧感を感じつつ、

 中心部に突出した高さ112mの尖塔を仰ぎ見て、西に進むと、

 ようやく西正面の雄大な全体像にたどり着く。

 この大聖堂は、ロマネスク様式だった以前の聖堂が火事で焼失してしまったのを機に、1220年にゴシック様式で着工された。
 ちょうどこの時期はパリ・サンドニの聖堂を始めとして続々と新様式ゴシックの大聖堂がシャルトルやランスに立ち始めていた。

 従来のロマネスク様式の聖堂は、とても厚い壁で造られた。それは、石で造られた天井の重みを支えるにはそれだけの頑丈な壁が必要となり、強度を損なってしまう窓も小さめにしか設置できなかった。

 その問題を解決したのが、フライングバットレスという手法だった。
 ヴォルトと呼ばれるこうした天井は、石の重みを外に広げ、壁を押し倒そうとする強い力が働く。

その力を受け止めるために、外壁に新たな「控え壁」を設けて天井からの圧力を解放するという「フライングバットレス方式」が編みだされた。
 これによって、聖堂はよりスマートに、より高く、という願いを実現することが可能となった。

 さらに、大きな窓が造れるということは、ステンドグラスという新たな芸術の展開を可能にした。

 天にも届け! 天からの光よ 堂内にも差し込め!

 神との距離を縮めてしまうようなゴシックの大聖堂が、中世のヨーロッパに次々と建ち始めた。
 (もちろんそれは人間の欲望、虚栄心のなせる業でもあったのだが・・・)
 そんな中でも最も雄大で最も華麗といわれるのが、アミアンの大聖堂だ。

 青空の下でも美しいフォルムは実感できるが、夕焼けの時間になると、一層輝きを増してくる。

 見上げる姿は迫力満点。さらに石とは思えぬ軽やかさも感じ取れる。

 そして夜。ライトアップされたファザードは、濃い青の夜空を従えてくっきりと浮かび上がる。

 建物というより芸術作品だ。

 「この大聖堂は讃迎すべき女性である。聖母である。これほどに美しい大聖堂を再び見ることは、芸術家にとって何という喜びだろうか!」彫刻家ロダンがアミアン大聖堂を前にして語った言葉だ。

 最後にもう1枚。プロジェクションマッピングによって仮想復元された、建設当初のあでやかな色彩に彩られた大聖堂を。

 この連載中に改めてマッピングの模様を特集する予定です。


 

 
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