新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

モデナ③ サンフランシスコ教会で出会った、壮絶な「キリストの死」の場面を描いたテラコッタ

2018-08-03 | イタリア・モデナ

 モデナ訪問にはもう1つの目的があった。たまたま事前に見た本で、モデナの教会にはいくつものテラコッタがあることを知り、それを見たいと思っていた。
 ただ、お目当ての教会が果たして開いているのかは全くの不明。しかも午後から夕方までの短時間の滞在なので、期待三分不安七分といった心持だった。


 やはり、大聖堂近くの2つの教会は閉まっており、最も見たいと思っていたサンフランシスコ教会もまた扉は固く閉じたまま。あきらめきれず、教会前を通りかかった地元の主婦に尋ねると、「そう、今日はもう閉まってるわね。でもね、夕方にミサがあるからその時なら開くと思うわ」。

 確かに。それでいったんドゥオモに戻って中をもう1度見学してから午後6時前にもう1度訪ねてみた。

 でも、相変わらず扉は閉まったまま。あきらめきれずにちょっと扉を押してみた。

 と、あれ!扉が開いた!!


 まさにこれからのミサに備えて鍵が外されていたのだ。中には信者の人たちが数人。まだミサには時間がありそう。それで中に入りテラコッタの場所を探す。
 入ったのは右隅からだったが、反対の左奥に、暗い一角がありその辺にぼんやり像が見える。 あれだ。
小走りに向かってみると、まさにあった。死せるキリストへの哀悼「DEPOSIZIONE」。
 その群像は壮大なものだった。

 十字架に吊るされて非業の死を遂げたキリストが、弟子たちに抱かれて宙に浮いている。

 その下に絶望のあまり失神して倒れる聖母とそれを支える人たち。

 右に、驚き手を広げる者

 左には呆然とひざまずく者。

 このように、キリスト教史上最悪の悲劇が繰り広げられた現場の模様を、時を止めて切り取った群像図だ。
 
 作者はアントニオ・ベガレッリ。

 しばし言葉を失って見つめていた。


 帰り際、ようやく傾いた西日が教会に差し込み、ステンドグラスの色彩が柱を赤く染めていた。

 本当に駆け足のパルマ、モデナ見学だったが、結構楽しい時間を過ごすことが出来た。これからボローニャで数日を過ごすが、そこでもいくつもの印象的なテラコッタに出会うことになる。


 
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モデナ② パバロッティの葬儀が行われた大聖堂 美しい彩色の残る聖母像

2018-07-31 | イタリア・モデナ

 モデナの大聖堂内部に入った。ロマネスク様式による半円形アーチが印象的だ。

 内陣の障壁を見てみよう。細い円柱で支えられた欄干に、細かな彫刻が施されている。
 中央を占めるのが最後の晩餐のシーン。

 隣にはキリストを裏切るユダの接吻(ここにはわずかに完成時の彩色が残っていた)とペテロの耳切りがあり、さらにむち打ちのシーン、十字架の道行き。

 反対側には弟子の足を洗うキリストの姿が彫られている。 これらはアンセルモ・カンピオーネの作品だ。


 その奥にある円柱の礎石部分が面白い。6本の円柱が内陣を支えているのだが、何と動物がその柱を背負っている。

 こちらは腰をかがめた男性が背中に柱を背負っていた。なんかかわいそうにも見える。聖書に登場する場面を象徴的にピックアップして礎石として使っているという。

 テラコッタの群像があった。これはペガレッリ作のキリスト降誕。

 生後間もないキリストを2頭の牛が見下ろすという構図が何ともユニークだ。

 さらに奥へ行くと信者のための礼拝堂があり、そこに彩色されたテラコッタの像があった。グイド・マッツォーニ作の「重湯の聖母」。この像には見事に色彩が残っていた。近年修復されたのだろうか。

 最奥のスペースは、アーチ型の仕切りがなされて美しい。

 モデナは世界三大テナーの1人ルチアーノ・パバロッティの出身地。2007年9月8日、彼の葬儀はここ大聖堂で行われた。

 数千人の弔問者らによる悲しみの声でこの大聖堂が埋め尽くされた。

 モデナの特産はバルサミコ酢、そう呼べるのはモデナとレッジョエミリア産のものだけに限られるという。残念ながら現地では味見する時間がなかった。

 


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モデナ① 大聖堂に到着。天を刺すギルランディーナ、ユーモアさえ感じる「創成期」の彫刻群

2018-07-27 | イタリア・モデナ

 モデナへはパルマからの帰り道に立ち寄った。まずはドゥオモへ。

 街の大まかな地図は持参したものの、ドゥオモまでのルートはよくわからない。そこで普段着のカジュアルな服装の女性に尋ねると、「私の家と同じ方向だから、一緒に行きましょう」と、同行してくれた。

 この日はとにかく暑い。まだ5月だというのに汗がダラダラと流れる。たまたま街頭にあった温度計は37度を指していた(写真は帰りに撮ったもの。数時間後だったがそれでも34度あった)。

 その道すがら「私たちの宝よ」と自慢げに話してくれた大聖堂の鐘楼=ギルランディーナ が見えたところで彼女にお礼を言ってさようならをした。

 大聖堂に続く道。カラフルな傘が道路沿いに一杯吊り下げられた一種のインスタレーションに出会った。

 ドゥオモ、つまり大聖堂はグランデ広場の中心にある。この街の守護聖人ジミニャーノに奉納されたロマネスク様式の建築だ。
 建築家ランフランコと彫刻家ヴィルジェルモによって13世紀に完成した。

 そしてギルランディーナ。大聖堂の横にすっくとそびえる鐘楼は、白大理石で造られ、88mの高さを誇る。

 1310年の完成で、途中まではロマネスク様式だが、最上階と八角形の塔の部分は13~14世紀のゴシック様式になっている。
 先端には青銅製の花飾り(ギルランダ)があり、そのために塔全体が親しみを込めてギルランディーナと呼ばれる。

 周囲には高い建物がないため、昔からこの塔は遠方からでも見ることが出来た。エミリア地方を旅したスタンダールは
  「果てなく続く地平線。西にそびえ立つモデナの塔だけがこれを見えなくさせる」と書いている。

 まずは大聖堂の入口の中央扉から見て行こう。ヴィルジェルモが手掛けた浮彫がすぐ目に飛び込んでくる。
ここに4つの枠に分かれた「創世記」のエピソードが描かれている。

 「左端」から見ると、まず神が土から男(アダム)を造り、「中央」アダムのあばらの骨からイヴを造る。「右」その2人は禁断の木の実を食べてしまう。
 木の実にかじりつくアダムの顔。まるでわんぱく小僧みたい!

 ここはカインとアベルの物語だ。神に対してカインは農作物を(右)、アベルは太った羊を(左)捧げものとして差し出した。 だが、神はアベルの羊だけを受け取る。

 これに嫉妬したカインはアベルを殺してしまう。人類初の殺人だ。
 この絵を見ると,アベルは棒で殴られたようだ。「右端」この結果、カインは労働と放浪の人生に追いやられてしまう。

 神はノアの箱舟を造ることを命じる。「中央」ノアたちはその箱舟に乗る。「右」そして生き延びた子孫たち。

 このように、文字を詠めない庶民たちにも一目でわかるように、教会の正面入口に聖書の物語を掲げるということが行われた。
 ロマネスク時代の代表的彫刻とされる作品だが、かなり悲劇的な内容にもかかわらず、なかなかユーモアたっぷりの絵に見える。

 正面を見上げればバラ窓も備わっている。13世紀、アンセルモが手掛けたものだ。


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