新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

階段紀行・ヨーロッパ ドイツ編③ ベルリン・森鴎外記念館の階段には、「舞姫」の文章が刻まれていた

2022-03-19 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 ベルリンの象徴ブランデンブルク門から北へ約15分のところに森鴎外記念館がある。鴎外がベルリンに留学していた時に滞在した建物が、記念館として整備されたものだ。

 通りから見えるベージュ色の建物の壁面に「鴎外」の日本語が大きく書かれているのがわかる。

 ただ、建物正面は店になっていて、記念館は横の通りにある入口から2階に上った所にあった。

 その上り階段がこれ。一見珍しい階段というわけではないが、

 左の壁を見ると、文字が書かれている。「げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず・・・」。そう、この文章は鴎外のデビュー作「舞姫」の文章だ。

 若き留学生が現地の少女を見初めながら、留学を終えた主人公は日本に帰り、その恋は実ることなく終わってしまう。ストーリーは、鴎外の実体験を色濃く反映した内容になっている。

 階段を上りながら、若き鴎外青年の心情を反芻する貴重な時間を過ごしたひと時だった。

 室内には大きな鴎外の肖像画と共に、背の高い本棚に作品や関係資料が展示されている。

 また、最愛の娘「マリチャン」へあてた直筆の手紙も残されていた。やはり作家となった少女時代の森茉莉へあてたものだ。

 管理人の日本人女性に鴎外に関する資料もいろいろ見せてもらい、貴重な時間を過ごさせてもらった。

 その夜のベルリンはプロジェクションマッピングが行われ、華やかに彩色されたブランデンブルク門の七変化を満喫した。

 

 

 

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階段紀行・ヨーロッパ ドイツ編② デザイン階段を上ると、ゲーテの執筆の跡がうかがわれるインクの染みが!

2022-03-15 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 フランクフルト市の繁華街に、ゲーテの家はある。ドイツの生んだ偉人・ゲーテは市内屈指の名家の生まれだ。第二次世界大戦で生家は破壊されたが、内部の資料は避難して無事。戦後忠実に建物は復旧されて、博物館として公開されている。

 入口にはゲーテ本人の像がシルエットになって展示され、その前を通って入場するシステムになっていた。シルエットの出迎えって、なんかいい感じ。

 中に入ると、上り階段に柔らかく照明が当たっている。

 重厚な造りの階段だ。

 その手すりには、アールヌーヴォー調のデザインされた模様が付いており、それが壁面に多彩な絵画を映し出している。

 4階に向かう階段には、また違った手すりデザインが施されていた。

それがまた、面白い影を創り出した。

 その4階には「詩人の部屋」と名付けられた部屋があった。机には、中央付近から全体に広がる無数のインクの染みが。

 ゲーテはこの机で「若きウエルテルの悩み」や「ファウスト」の初稿を書いたとされる。執筆の痕跡が実に鮮烈に残っている。さぞかし夢中になって書き進んでいたんだろうなあ。感動ものだった。

ゲーテの家のすぐ近く。家具雑貨の店のショーウインドウにこんな住宅内部の立体モデルが飾られていた。

 中央には洒落た階段が取り付けられていて、思わずシャッターを切った一枚。

 

 

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階段紀行・ヨーロッパ ドイツ編① ベルリンの連邦議会議事堂屋上では、超モダンなスロープ階段が光り輝く

2022-03-12 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 ドイツ連邦議会議事堂は、当初ドイツ帝国が誕生した1894年に創設された。日本でいう国会議事堂だ。

 ただ、この議事堂は不幸な歴史を背負っている。1933年、ヒトラー政権が樹立されたその年に、放火によって被災した。ヒトラー政権はこれを「反対勢力による仕業」との宣伝活動と共に超法規的な権限を持つ緊急命令を発令し、強圧支配を加速して戦争に突入して行った。

 ようやく不幸な第二次世界大戦が終結すると、議事堂の運命も翻弄される。ドイツは分割され西ドイツの首都はボンに移された。首都でなくなったベルリンには議事堂の存在価値はない。建物は放置状態になってしまった。

 それが1989年、ベルリンの壁が崩壊し、再びベルリンが統一ドイツの首都に返り咲いて、議事堂が再び脚光を浴びることになる。

 議事堂は本来の役割を通り戻し、大規模な改修が行われて今日の姿になった。

 特に大きな変化は、屋上部にガラス製のドーム屋根が設置されたこと。国民に開放されるスペースとなり、外国人でもネット予約さえすれば無料で入ることが出来る。

 エレベーターでドーム屋根の空間に行くと、中心部には逆円錐形の柱がそびえる。まるで宇宙に飛び立つロケットのようなガラスの柱だ。

 半円の外周に沿ってスロープのような階段が螺旋形に取り巻く。

 その階段をゆっくりと上り、円の頂上まで行くことが出来る。

 屋上広場に出れば、ガラスドーム全体を眺めることも出来る。

 上から見下ろす光景も超モダンだ。この「芯」の部分から下にある議場に光が降り注ぎ、明るい空間での審議が行われるようになっているのだという。

 

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階段紀行・ヨーロッパ スペイン編⑤ 古都ジローナの大聖堂への高い階段を這い這いで上るたくましい赤ちゃんに出会った

2022-03-08 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 スペイン北東部、バルセロナから電車で40分ほどのところにジローナはある。古くはローマ人によって築かれた城壁も残る古都だ。

川越しに見ると華麗でピクチャレスクな風景が目の前に展開する。

 その街に、1492年にユダヤ人追放令が出されて以来、数百年にわたって閉鎖されていたユダヤ人街が残っている。

今は改修されたが、中にはトンネルを挟んでどこまでも果てしなく続く迷宮のような石の階段があった。

 そのフォルサ通りをちょっと不安な気持ちを持ちながら歩いた。

 そしてたどり着いたのが、カテドラル。11世紀から18世紀にかけて断続的に改築されて完成したバロック、ロマネスク、ゴシックの混在する建築だ。

 正面には大階段。大人でも尻込みしそうな高い階段だ。

 と、そこをマンマに見守られながら這い這いして上る赤ちゃんがいた。さすが、古都に育つ子供はたくましさを備えているなあ。

 バルセロナに戻って、ガウディ設計のグエル公園。ここにドラゴンの階段と呼ばれる階段がある。

 破砕タイルで彩られたドラゴンが中心部にある所から、そう呼ばれている。この階段を上ることでガウディが構築した夢の公園に入り込んでいくことが出来る。

 ただ、この時はうっかり階段自体を撮ることを忘れてしまっていた。それで、階段がはっきりわかる写真がありません。

 スペイン編の最後に、ガウディの最も有名なサグラダ・ファミリアの全景を!

 でも、この写真を撮影したのは2009年。当時はまだこんなくらいの完成度でした。現在は相当に完成に近づいているので、出来れば完成時にはもう1度バルセロナに行ってみたい!!!

 

 

 

 

 

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階段紀行・ヨーロッパ スペイン編④ 地中海の島マヨルカ島で宿泊した旧貴族の館の階段

2022-03-05 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 地中海に浮かぶリゾートの島マヨルカ島へは、バルセロナから船で渡った。夜11時に出港して朝8時頃到着。大聖堂を中心に美しい街が広がる。

 チェックインした「ホテルボルン」は、16世紀の宮殿を改築したホテルで落ち着いた風情が気に入った。

 中でも、部屋に向かう階段には赤いじゅうたんが敷かれており、

 しばし昔の貴族の端くれになれたような錯覚に浸れる気分だった。スペースもゆったりと取られている。

 上から見下ろすと、大きな時計のあるエントランスが広がり、デザインされたドアを通ってよく手入れされたパティオ(中庭)に繋がっている。

 この街の大聖堂はゴシック建築。堂々とした構えで、手前に咲いていた可憐な花ともマッチしている。

 内部にはガウディが設計した鉄製の天蓋が設置され、一般的な教会とはちょっと変わった独特の景観になっていて面白かった。

 街を歩いていると、パントマイムの二人組に遭遇。観光客の喝さいを浴びていた。

 帰りの船のデッキから港の風景をカメラに収めて、バルセロナに戻った。

 

 

 

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