新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

モデナ② パバロッティの葬儀が行われた大聖堂 美しい彩色の残る聖母像

2018-07-31 | イタリア・モデナ

 モデナの大聖堂内部に入った。ロマネスク様式による半円形アーチが印象的だ。

 内陣の障壁を見てみよう。細い円柱で支えられた欄干に、細かな彫刻が施されている。
 中央を占めるのが最後の晩餐のシーン。

 隣にはキリストを裏切るユダの接吻(ここにはわずかに完成時の彩色が残っていた)とペテロの耳切りがあり、さらにむち打ちのシーン、十字架の道行き。

 反対側には弟子の足を洗うキリストの姿が彫られている。 これらはアンセルモ・カンピオーネの作品だ。


 その奥にある円柱の礎石部分が面白い。6本の円柱が内陣を支えているのだが、何と動物がその柱を背負っている。

 こちらは腰をかがめた男性が背中に柱を背負っていた。なんかかわいそうにも見える。聖書に登場する場面を象徴的にピックアップして礎石として使っているという。

 テラコッタの群像があった。これはペガレッリ作のキリスト降誕。

 生後間もないキリストを2頭の牛が見下ろすという構図が何ともユニークだ。

 さらに奥へ行くと信者のための礼拝堂があり、そこに彩色されたテラコッタの像があった。グイド・マッツォーニ作の「重湯の聖母」。この像には見事に色彩が残っていた。近年修復されたのだろうか。

 最奥のスペースは、アーチ型の仕切りがなされて美しい。

 モデナは世界三大テナーの1人ルチアーノ・パバロッティの出身地。2007年9月8日、彼の葬儀はここ大聖堂で行われた。

 数千人の弔問者らによる悲しみの声でこの大聖堂が埋め尽くされた。

 モデナの特産はバルサミコ酢、そう呼べるのはモデナとレッジョエミリア産のものだけに限られるという。残念ながら現地では味見する時間がなかった。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モデナ① 大聖堂に到着。天を刺すギルランディーナ、ユーモアさえ感じる「創成期」の彫刻群

2018-07-27 | イタリア・モデナ

 モデナへはパルマからの帰り道に立ち寄った。まずはドゥオモへ。

 街の大まかな地図は持参したものの、ドゥオモまでのルートはよくわからない。そこで普段着のカジュアルな服装の女性に尋ねると、「私の家と同じ方向だから、一緒に行きましょう」と、同行してくれた。

 この日はとにかく暑い。まだ5月だというのに汗がダラダラと流れる。たまたま街頭にあった温度計は37度を指していた(写真は帰りに撮ったもの。数時間後だったがそれでも34度あった)。

 その道すがら「私たちの宝よ」と自慢げに話してくれた大聖堂の鐘楼=ギルランディーナ が見えたところで彼女にお礼を言ってさようならをした。

 大聖堂に続く道。カラフルな傘が道路沿いに一杯吊り下げられた一種のインスタレーションに出会った。

 ドゥオモ、つまり大聖堂はグランデ広場の中心にある。この街の守護聖人ジミニャーノに奉納されたロマネスク様式の建築だ。
 建築家ランフランコと彫刻家ヴィルジェルモによって13世紀に完成した。

 そしてギルランディーナ。大聖堂の横にすっくとそびえる鐘楼は、白大理石で造られ、88mの高さを誇る。

 1310年の完成で、途中まではロマネスク様式だが、最上階と八角形の塔の部分は13~14世紀のゴシック様式になっている。
 先端には青銅製の花飾り(ギルランダ)があり、そのために塔全体が親しみを込めてギルランディーナと呼ばれる。

 周囲には高い建物がないため、昔からこの塔は遠方からでも見ることが出来た。エミリア地方を旅したスタンダールは
  「果てなく続く地平線。西にそびえ立つモデナの塔だけがこれを見えなくさせる」と書いている。

 まずは大聖堂の入口の中央扉から見て行こう。ヴィルジェルモが手掛けた浮彫がすぐ目に飛び込んでくる。
ここに4つの枠に分かれた「創世記」のエピソードが描かれている。

 「左端」から見ると、まず神が土から男(アダム)を造り、「中央」アダムのあばらの骨からイヴを造る。「右」その2人は禁断の木の実を食べてしまう。
 木の実にかじりつくアダムの顔。まるでわんぱく小僧みたい!

 ここはカインとアベルの物語だ。神に対してカインは農作物を(右)、アベルは太った羊を(左)捧げものとして差し出した。 だが、神はアベルの羊だけを受け取る。

 これに嫉妬したカインはアベルを殺してしまう。人類初の殺人だ。
 この絵を見ると,アベルは棒で殴られたようだ。「右端」この結果、カインは労働と放浪の人生に追いやられてしまう。

 神はノアの箱舟を造ることを命じる。「中央」ノアたちはその箱舟に乗る。「右」そして生き延びた子孫たち。

 このように、文字を詠めない庶民たちにも一目でわかるように、教会の正面入口に聖書の物語を掲げるということが行われた。
 ロマネスク時代の代表的彫刻とされる作品だが、かなり悲劇的な内容にもかかわらず、なかなかユーモアたっぷりの絵に見える。

 正面を見上げればバラ窓も備わっている。13世紀、アンセルモが手掛けたものだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パルマ④ コレッジョの優雅で甘美な世界。市民に慕われたマリア・ルイーザの統治がパルマに残したもの

2018-07-24 | イタリア・パルマ
 コレッジョの名作はまだまだあった。

 「聖母子と聖ヒエロニムス、マグダラのマリア」。

 コレッジョの絵に登場する人物はどれも優美で優しい。

 近寄ると、なおさら柔和な表情がクローズアップされる。

 中でもこの天使の横顔。まるで‟絵にかいたような”という表現そのもののような美少年!
 
 一瞬、映画「ヴェニスに死す」に登場したタジオ役の美少年ビヨルン・アンドレセンを連想してしまった。

 スタンダールは「イタリア紀行」の中で、コレッジョの絵についてこう記した。

「イエスに祝福される聖母は涙がこぼれるほどに私を感動させる」。

 描かれた群像の一人一人をアップしてみても・・・

 なんと甘美さに溢れていることか!

 コレッジョ以外でも、この美術館の目玉であるパルミジャーノの「トルコの女奴隷」も秀でた華やかさを放っていた。

 大きな展示空間にはマリア・ルイーザの肖像画もあった。

 マリア・ルイーザ。神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世の長女でナポレオンの2番目の妻。実はパルマとは奇妙な縁で結ばれていた。

 ナポレオン失脚後、ヨーロッパの支配関係を定めようとするウイーン会議が開かれ、そこである1つの決定がなされた。「パルマ公国はマリア・ルイーザが統治する」。
 複雑な力関係の中で出された1つの妥協案だったが、マリアはその後約30年にわたってパルマの寛容な統治を行い、市民たちからは「われらがマリア」と愛着を込めて呼ばれた。

 彼女は文化面にも力を入れた。マリアが建設を命じたテアトロ・レージョ(レージョ劇場)は今も現役の劇場として上質のオペラが上演される舞台となっている。

 駆け足でパルマを回った。次はモデナに向かう。




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パルマ③ はかなくも美しいコレッジョの「階段の聖母」。そして欧州最古のファルネーゼ劇場

2018-07-21 | イタリア・パルマ

 大聖堂の後ピロッタ宮殿に向かった。宮殿前は広場になっており、涼し気に水をたたえた空間もある。

 入口は一般通路と兼用になっている。

 従って自転車も含めた通行人が頻繁に行きかう、アーケード付きの道路のような感じ。

 宮殿内で最初に入ったのが、ファルネーゼ劇場。ヴィチェンツァにあるオリンピック劇場をモデルにしたヨーロッパ最古の劇場の1つとされ、とても美しい円形の建物になっている。

 アーチが連なる観客席のリズミックな面白さが印象的だ。

 ちょうど演奏会のリハーサルを垣間見ることが出来た。

 改めて全体を俯瞰してから、同じ敷地に中にある国立絵画館に移動。

 パルマ公ファルネーゼ家のコレクションを中心とした美術館だ。ここは、午後には入場料が安くなっており、ちょっと得した気分。一部見学ができないエリアも設置されていたが、私の目的はコレッジョなので問題なし。

 「スカラ座の聖母」など珠玉の作品はじっくり眺めることが出来た。

 中でも「階段の聖母」の美しさにはしばし息を止めて見入ってしまった。

 フレスコ画で聖母の頭の一部分が欠けてしまっているが、そんなことも気にならない。何と優雅な聖母像なのだろうか。

 同じタイトルの全く欠けていない絵もあったが,なぜか欠けた絵の方が美しさに加えてはかなさの要素が濃くなっているようで、心に深く染み入ってしまった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パルマ② 12世紀、初めて自らの名前を作品に刻み付けた記念碑的彫刻があった

2018-07-17 | イタリア・パルマ

 南翼楼に行くと、大理石の大きな彫刻作品がある。ベネッディット・アンテラーミによる「十字架降下」。
 磔刑となったキリストが十字架から降ろされる場面だ。

 中央にキリストがおり、アリマタヤのヨセフがキリストを抱きかかえている。向かって左側、キリストの右手にほほをよせる聖母マリア。 右側のニコデモはキリストの左手を十字架から降ろそうとしている。

 右端にはうつむくシナゴーグ(ユダヤ教の象徴)がいる。そして、上に文字が書いてある。

 「1178年2月 彫刻家が現れた。

         この彫刻家はアンテラーミと呼ばれるベネディットである」

 作品は1178年の制作だ。12世紀といえばルネサンスから2世紀以上も前の時代。彫刻をする人もこのころは「単なる職人」でしかなく、まだまだ芸術家として広く作品が認められる時代までには幾多の年月を待たねばならない中世。
 
 そんな時代に彼は堂々と自らの名前を作品に刻み付けた極めて珍しい作品だ。「無名の職人たち」から「美の担い手」としての芸術家へ。アンテラーミの自信と誇りが感じられる。

また、別のクーポラにも躍動する絵が描かれていた。

 こちらは黄金の祭壇と天井画。

 キリストの勝利を示す絵かも。

 また、天井画にはきめ細かな女性像が至る所で踊っていた。

 大聖堂を出て、次は奥にあるエバンジェリスタ教会へ。

 その前に、ピンクの大理石が美しい洗礼堂を1枚。

 入口の幾重にも折り重なるアーチや装飾も見飽きない。ただ、前回の訪問時に見ているので、今回は中へ入らなかった。

 大聖堂のすぐ後方に位置するエバンジェリスタ教会。

 ここにもコレッジョの作品が天井に描かれている。こちらは聖母ではなく「キリスト昇天」。またのタイトルが「福音書記者ヨハネの幻視」。ヨハネが円蓋のふちに腰掛けて、天空に展開する幻視を見ているという光景だ。

 この教会では、他にも各所に像が効果的に配置されている。これは聖母子像。

 これも聖母子像かな?

 ヒゲの聖人も。

 時間があまりないのでかなり駆け足になってしまって名残惜しいけど、先を急ごう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする