朝の散歩を兼ねてザンボーニ通りを歩く。ホテルがこの通りに面しているので、寝ぼけ眼でも迷う心配がない。
この通りは16~18世紀の重厚な館が続き、大学、教会、美術館などが立ち並ぶ。そのため若者も多く、活気が感じられる。
すぐ近くの小広場にはオープンカフェがあり、若者たちでにぎわっていた。
また、通りの片側にはボローニャ名物のポルティコ(アーケード)が続く。
天井のアーチの連続は視覚的にも魅力が一杯だ。
マルティーニ音楽院が見つかった。少し中を見せてもらっていいですか、と受付で尋ねると、心地よく中に入れてくれた。
中庭に入るとすぐに、日本人女性がベンチに腰かけているのを見つけた。
聞くと、この音楽院に留学中とのことだった。
この音楽院は歴史的にも重要なところだ。1770年には少年のモーツアルトがボローニャを訪れ、この音楽院を受験、マルティーニから様々な音楽理論を学んだという。
また、ベルガモで生家を訪れたドニゼッティもここで学び、教鞭も執った。
そんなエピソードに加えて、ロッシーニもまたこの音楽院の学生だったと聞いていたので女性に聞くと、「私はよく知らないので・・・」と答えを濁されてしまった。
単なる噂話なのかも。そう思いながら入口に戻ると、実は正面入り口の上方の壁にプレートが掲げられていた。
そこには「ここでロッシーニが学んだ」としっかり記されていた。
音楽院の隣りは、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会。左右に35もの礼拝堂を持つ大規模な教会だ。
大小様々な彫像が並ぶ。
これはキリストのむち打ちの光景か?
いずれも水準以上のレベルに見える。
尼僧の像もあった。
アントレ・ガレアッツォ・ベレティヴォーリオの墓。15世紀にボローニャの政権を担っていたベレティヴォーリオ家の礼拝堂だ。
また、音楽院近くの路地のポルティコ天井にも古い年代のものと思われるフレスコ画が残されていた。
帰り道、マンゾーリ館やマンテーニャ館といった邸宅の並ぶ街路の美しさに見とれながらホテルに戻った。