マネはサロン初入選の2年後、1863年にパリ画壇を揺るがす大事件を引き起こす。彼がサロンに出品したのは、当初「水浴」と題された作品。 のちに「草上の昼食」とされたその絵には、洋服を着た2人の青年の横に全裸の女性が座っている。
女性の裸体は、ヴィーナスなどの神話のテーマとしてしか描かないという不文律が、何世紀にもわたって続いていた。それが、全くの日常風景の中に、堂々と鑑賞者に視線を向けた全裸の女性が・・・。
サロンはこの作品を即座に落選としたが、落選作品だけを集めて開かれた「落選者展」には、初日だけで7千人もの観客が押し寄せるという大騒動となった。
この年のサロンで絶賛を浴びたのはカバネルの「ヴィーナスの誕生」。
こちらも官能的とさえいえる女性の裸が描かれたが、タイトルは「ヴィーナス」つまり神話という衣に包まれた‶理想化された”姿。それに対して、‟現実の世界に現れた生々しい女性像”という、当時の画壇の観念的な区分けに挑戦する、マネの大胆な試みだった。
古い慣習(アンシャン・レジーム)への挑戦はさらに続く。
2年後の1865年、マネは「オランピア」を出品、前作以上の物議をかもした。今度はストレートな高級娼婦の登場だ。
首に結ばれた紐飾りと腕輪
たった今届けられた花束
脱げかかったサンダル
そして、興奮したネコ
すべてが娼婦を現していた。サロンに展示された時、観客による破壊から守るためにこの絵の前には特別に専門の守衛が配置された。
スキャンダルになったが、それと同時に既成の概念を打破し、新しい時代の旗手として、マネを師と仰ぐ若手の画家たちも自由への扉をこじ開けて行く。
ところで、この2作は「日常に登場した裸体」という衝撃が語られるが、個人的にもっと刺激的なものがあると感じる。それは女性の視線だ。
なんの衒いもなく、強烈な熱を持って真っすぐ鑑賞者に向けられたまなざし。その視線を受け止めるとき、描かれた光景が、まさに現実の世界であることを容赦なく認識させられる。
目と目が合ってしまえば、そこに「今」が存在するのだから。