天台宗の寺・目黒不動尊は成田不動(千葉)、木原不動(熊本)と並んで日本三大不動の1つに数えられる。また、三代将軍家光が江戸を守るために江戸各所に五不動を安置したが、そのうちの1つがここだ。
入口は仁王門。ここをくぐると大本堂の石段を上ることになる。
次に見えて来るのが「独鈷の滝」。寺の開祖である慈覚大師円仁が、寺の場所を定めるのに持っていた仏具・独鈷を投げると、落ちた場所に泉が湧き出たーというエピソードが伝わる。その滝が流れ出るのは龍の口から。
流れ出た水は小さな池を作っているが、そこにお椀のようなものに乗った小さな人が。あの一寸法師の姿に姿にも見えるが、果たしてこの人は誰?
龍と反対側の池の端には不動明王が、でんと構える。水掛け不動と呼ばれ、独鈷の滝の水をこの不動様に掛けてお祈りをすると、願い事が叶うという有難い像だ。
本殿の裏の回ると黒い仏像があった。大日如来像。普通大日如来様ともなると本殿中におわしますと勝手に思っていたが、ここでは予想外の場所に・・・。
こっちにも別の不動明王が。背景の炎が派手派手だ。
ところで、不動様より怖い顔の像を見つけた。この狛犬、見るからに恐ろしい形相で、今にもかみつかれそう。聞くところでは、この狛犬は1654年に制作されたもので、東京の神社の中でも現存する最古の狛犬とのこと。さすがの貫禄だ。
一方で、母子の可愛らしい犬像も。こちらも狛犬だということで、何とも見事に対照的な狛犬に出会ったものだ。
恐ろしいといえば、社に取り付けられていた龍の彫刻。これもまた華々しく恐ろしい顔をしていた。
なお、ここには青木昆陽の墓もあった。江戸時代サツマイモの普及を図り、甘藷先生と呼ばれた学者だ。享保の大飢饉の後、飢えから江戸庶民を救うためにサツマイモの栽培を開始。繁殖能力が高くてやせ地でも育つため、関東一円に広がった。
この普及によって、その後江戸を襲った天明、天保の飢饉から庶民を救ってきた。さらに、第二次世界大戦後の東京でも、サツマイモによって無数の市民が命をつないだ歴史がある。言って見れば青木昆陽は東京都民の命の恩人かもしれない。