新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

バルセロナ建築巡礼⑱ モンジュイックの丘でミロのアートを楽しみ、バルセロナ五輪の思い出に浸る

2020-03-13 | バルセロナ

カタルーニャ美術館のあるモンジュイック地区を少し歩こう。

 モンジュイックの丘へはスペイン広場からスタートする。ここの目印はミロの「鳥と女」。巨大な像だ。

 旧闘牛場のスタジアムを見ながら進む。

 美術館を通り過ぎてさらに上ると、オリンピックスタジアムに突き当たる。ここは1992年に開かれたバルセロナ五輪のメイン競技場となった場所。あの岩崎恭子が14歳で200m平泳ぎで金メダルを獲得、「今まで生きてきた中で一番幸せ」という名文句が飛び出した大会だ。また、有森裕子のマラソン銀メダルはこの競技場にゴールした思い出の地だ。

 観客席もそのまま残り、スポーツ競技以外にも各種コンサート会場としても活用されている。

 すぐ近くにはミロ美術館がある。

 この辺りは結構な高台にあるので、市内を見下ろす絶好のロケーション。広場も広くとってあり、憩いの場所としても人気だ。

 テラスにはユーモラスなオブジェが。

 あちこちに点在していて、思わず笑ってしまう。

 館内にも明るい日差しが入り込み、ミロ独特の作品が陽に映える。

 また、ここまで紹介しきれていなかった建築をもう少し取り上げてみよう。

 プッチ・カダファルクの作品「ラス・プンシャス」。カサミラから約5分、ディアゴナル通りに面している。

 高い三角屋根を持つ外観は、ドイツのノイシュバンシュタイン城をイメージして設計されたという。3つの通りに囲まれた土地で、普通はデザインしにくい条件だったのだが、カダファルクはその条件を逆手にとってそれぞれの通りに高い塔をつけることで特徴的な建物に完成させた。

 窓も結構凝った造り。

 下から見上げると、その工夫が鮮明になる。

 同じ通りの先に、こんな不思議なものを見つけた。ロケットが柱に突き刺さっている!それとも巨大な弾丸?これも作家によるオブジェだろうか。

 ガウディの作品で、その前まで行ったのに入れなかった建物はサンタ・テレサ学院。日本総領事館方向の新市街にあり、女子カトリック教育の学校として現在も使用されている。

 前任の建築家がやり残した部分をガウディが引き継いだものという。写真で見ると、館内のアーチ型の廊下が美しく、期待して行ったのだが、入場不可ということで外観だけしか見ることが出来なかった。

 

 

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑰ カタルーニャ美術館はイタリア絵画も充実。すっかり時間を忘れてしまっていた。

2020-03-10 | バルセロナ

彫像にも負けず劣らず、絵画部門にも傑作が並んでいた。

 まずはエル・グレコ。

 続けてもう1枚のエル・グレコ。のっけから大作が登場した。

 また、ヴェネツィア絵画の巨匠ティツィアーノの作品もしっかり。

 さらに、ジャンドメニコ・ティエポロ。彼もヴェネツィアや北イタリアで活躍した画家だ。

 そのヴェネツィアの海の玄関口サンマルコ広場に通じる大運河を描いたカナレットの作品。

 この受胎告知もイタリアの画家っぽい感じ。

 これも確かティエポロだったような。

 こちらはすっかり誰だったか度忘れ。

 美術館のクーポラにも鮮やかな絵画が描かれていた。まるで大聖堂の天井画みたいだ。

 モデルニスモの椅子が展示してあった。

 いずれもガウディのデザインかも。

 帰りがけ、学生たちの団体が全員集合中だったので、1枚パチリ。

 カタルーニャ美術館は、沢山の楽しみを与えてくれたところだった。

 

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バルセロナ建築巡礼⑯ 喜怒哀楽。バラエティに富んだカタルーニャ美術館の彫像たち

2020-03-07 | バルセロナ

カタルーニャ美術館にはロマネスク美術以降の作品も多く収蔵しているので、それらを見て回ろう。

 

 最初に目についたのが、この作品。慎み深さにあふれた聖母マリア像。

 こちらも聖母像だが、あでやかさの方が際立つ。

 対して、高い徳を積んでいそうな聖人像。

 こちらはちょっと愛らしい感じ。

 迫力十分。激しい表情をみせる哲人たち。

 特に、この表情はいいなあ。

 とても理知的で穏やかな兄弟像。

 ダンサーなのか、見事なバランスでポーズをとる。

 かと思えば、対照的にゆったりと、ほれぼれするようなヴィーナス。

 あなたは何をそんなに悲しんでいるんですか?

 まだあどけない女の子は純真無垢。

 馬上の騎士。シルエットが様になっている。

 スペイン版考える人?!

 このように彫像もバラエティ十分。このコーナーだけで満腹になるほど充実していました。

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑮ ピレネーの住民たちが戦いの報酬で生み出した美術品は、長いパリ避難の末にバルセロナに帰還した

2020-03-03 | バルセロナ

 「十二使徒」の板絵。赤、黄の暖色に青を混じらせた、豊かで柔らかい色彩に溢れた絵。 中央のキリストは「全能のキリスト」と比べると、もっと優しく人々を受けいれてくれそうな表情だ。

 ここでもキリストは円に囲まれている。アーモンド形の2つの光の輪は、天と現世の両方を支配していることを表しているという。

 両脇には6人ずつの使徒、計12人が全員キリストに顔を向けている。その中で、向かって左側の一番キリストに近い使徒は、カギを持っているので一番弟子のペトロであることがわかる。

 これもタウル・サンタマリア教会の祭壇パネル。ここにもキリストと12使徒が描かれる。

 像の代表格が「ヘルの聖母像」。高さ50cmという小さな木像だが、大きな目でしっかりと前を見つめる聖母のまなざしは、これから襲いかかるであろう我が子キリストの苦難の将来に思いを馳せているかのようだ。 元々は母子とも王冠をつけてたが、今は取れてしまっている。

 洗練された衣服の襞や曲線など、高度な技術を思わせるものだ。ジェルのサンタ・コロス教会の守護神だ。

 こちらも同様の木彫りの聖母子像。いずれも高い水準を保った作品が並んでいる。

 ところで、このような高度の美術品が、なぜわずか900人ほどの小さなポイ谷の村に残されていたのか、という疑問が沸き起こる。調べてみると、その理由は千年もの昔にさかのぼることがわかった。

 12世紀ころ、スペインはイスラム勢力に支配され、対抗する国土回復運動(レコンキスタ)が叫ばれていた。その戦いのため、ピレネー山脈に住む住民たちが参戦したが、日頃から過酷な環境に鍛えられていた住民たちは、こうした戦いでも大活躍。多額の報酬を得ることになった。

 元々信仰心の強い住民たちは、その富を元手に教会を建て、高度の技術を持つ職人を他地域から呼び寄せて壁画を描かせた。そうして残されたのが、ロマネスク美術群だった。

 さらに、もう1つのエピソードがある。20世紀になってこれらの美術品をバルセロナに集中し、再現することに決まった。そして1934年11月美術館開館。だが、間もなくフランコ軍によるスペイン内戦が勃発した。

 フランコ軍の傭兵であるモロッコ兵がキリスト教会への破壊略奪を繰り返し、美術館も空襲を受ける事態となった。

 そこで美術館は一旦美術品をピレネー山脈玄関口のオロット町に避難。さらにパリで展覧会を開くという名目で、2千点もの作品を国外に移動させた。こうしてロマネスク美術品たちは1年半もの海外生活の末に、内戦終了を待ってようやく、無事に里帰りを果たしたのだった。

 

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バルセロナ建築巡礼⑭ カタルーニャ美術館 ロマネスク美術を絶滅の危機から画期的な手法でよみがえらせた場所

2020-02-28 | バルセロナ

 カタルーニャ地方最大の都市、そしてアントニ・ガウディ、ピカソ、ミロと建築美術の世界にスーパースターを輩出した都市・バルセロナ。この都市を見下ろすモンジュイックの丘に、カタルーニャ美術館はある。

 街の中心部カタルーニャ広場から西に進み、スペイン広場に至ると、南に幅広のマリア・クリスティーナ通りがモンジュイックの丘に向かって伸びている。

 通りの左右両脇には高さ30mの2本の尖塔が立ち、奥に「国民の宮殿」と称される、堂々たる建築物がそびえている。そこが美術館だ。

 1929年のスペイン万博パビリオンを改装して1934年にオープンした。

 長い上り坂階段を上り後を振り返ると、バルセロナの街が一望のもとに見下ろせる。その中にはあのサグラダファミリアも見つけることが出来る。

 まずは、この美術館の目玉であるロマネスク美術を見てみよう。何といってもカタルーニャのロマネスク美術最高傑作と称される「全能のキリスト」から入らなければならないだろう。それは部屋の壁一面を使って展示されている。

 この巨大壁画は全長8m。聖母マリアや弟子たちの上に、キリストが描かれる。

 カッと目を見開いたキリストは、ゆるぎない自信と威厳を漂わせて正面をみつめる。

 周りは虹が取り囲み、右手は天を指さし、左手に持った聖書には「我が世の光なり」と記されている。そして周囲には4人の福音書記者。

 制作年は1123年。その力強さ、、躍動感は抜群のレベルに達している。

 また、こちらは「荘厳のマリア」。タウの教会にあったものだ。保存状態が良く、聖母と幼いキリストの姿がはっきりと捉えられる。

 一方、かなり劣化が進んでしまった者も多い。エル・ブルガルの壁画は上部に描かれたキリストの姿が失われてしまって、下部の人物像だけが残った。

 この絵もマグダラのマリアと聖ペテロだけが残った。

 このように見てきて気付くのは、壁画がそれぞれ美術館の壁にそっくり描かれているように見えることだ。元々はこれらの絵はすべて、ピレネー山脈の山あいであるポイ谷にある18の教会の壁に描かれていたものだ。例えば「荘厳のキリスト」はタウル村にあるサンクリメン教会にあったものだ。

 多くは12世紀ころに、それぞれの教会に描かれたのだが、数世紀を経て作品は老朽化していた。また、村々は過疎化の波に襲われていて、保存修復どころかそのままでは貴重な作品群がすべて失われてしまうという危機に瀕していた。

 教会の壁に直接描かれたものだけに、作品は自由に移動が出来ない。そこで、20世紀に入って行われた大規模調査を踏まえて、それらをそっくり万博パビリオンの建物の壁に貼り付けて再現するという画期的な試みが実践された。

 これによって現在、元々の教会空間の姿をそのままこの美術館で一挙に体験できることになったわけだ。それはある意味消え失せる寸前だった貴重な作品群の、奇蹟的な復活劇でもあった。(なお、元々の教会にはレプリカが設置されている)

 ロマネスクの作品は、キリスト教の信仰世界表現が主体なので、理念や象徴は優先される。従って写実性は前面に出てこないが、それだけに心に訴える力強さを感じさせるものだった。

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