新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

フランス・メッス② ジャン・コクトーのステンドグラスは、見る者の感覚を快適に刺激してくる

2020-11-28 | フランス・メッス

メッスで最初に入った教会はサン・マキシマン教会。建物は特別変わっているわけでもなく、うっかり見逃しそうなたたずまいだが、中に貴重な作品が収まっている。

 それが、ジャン・コクトーが制作したステンドグラスだ。全体が青を基調としたスッキリとした色調。ただ、よく見ると教会ではあまり見慣れないアフリカの仮面や迷路、植物、さらに平和を象徴する鳩などが巧みに配置されている。

 このステンドグラスは、じっと見ていると人の顔が浮かび上がってくる。

 吹っ切れたような明るいトーンが、見る者の感覚を快適に刺激してくる。

 おなじ青でも微妙に変化が付けられている。この右側の顔はまるで般若の面のように見える瞬間がある。

 こちらは赤も使った鮮やかさが際立つ色彩。

 その右側下部に、ジャン・コクトーと自らのサインが刻んであった。

 教会のステンドグラスといえば、聖書の物語などが展開されるのが一般的だが、コクトーはそうした常識を覆して、独自の世界を作り上げているのが興味深かった。

 

 

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フランス・メッス① ドラゴンが空を舞っている! この街はちょっと面白そうだ。

2020-11-24 | フランス・メッス

 今回からは、フランス北東部にあるメッスという街への旅をリポートします。

 メッスはロレーヌ地方の都市。人口13万人の中都市だ。ドイツやルクセンブルグとの国境に近く交通の要所だったことから、1871年から1918年まではドイツに併合されるという歴史を持っている。従って、市内にはドイツ風の建物や文化も残る街。そんな街並みを歩いてみた。

 パリを出発して約1時間30分、メッスに着いたのは早めの午後だった。駅近くのホテルにチェックインして早速街歩きを始めた。

 まず駅舎の立派さに感心する。1908年完成というから、まさにドイツ時代の建物。ネオロマン様式で、グレーの砂岩が使われており、まるで城のような重厚さを誇っている。ライン川沿いの城を連想してしまった。この駅前周辺はインペリアル地区と呼ばれている。

 壁面には働く人々の彫刻が各所に刻まれている。

 クリスマスが近いということで、構内にはキリスト誕生を待つ馬小屋のシーンが造られていた。

 一方、こんな現代的なデザインもなされていて、面白い造りになっている。

 街を歩いてゆくと、あれあれ、道路中央に大きなドラゴンが吊り下げられていた。

 由来を聞くと、3世紀に街をドラゴンが襲った。これに初代司教の聖コルタンが立ち向かい戦いの末に退治した、という伝説があり、今ではこのドラゴンが街の守り神になっているという。退治した敵なのに、今では守り神。変わってるかも。

 道路上には道標がはめ込まれており、そこにもドラゴンのイラストが描かれていた。

 また、別の道標には人の顔のイラストが・・・。この街はなかなかユーモラスなセンスが感じられる。

 

 

 

 

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寺社巡り・東京⑮ 浅草寺 東京の一大観光地 五重塔の夜景にしびれ、羽子板市のあでやかさに酔う。

2020-11-21 | 寺社巡り・東京

 浅草寺の創建は628年。以来1400年もの歴史を刻んでおり、毀誉褒貶を経ながらも東京の一大観光地の地位を保ち続けている。

 今年こそコロナ禍で観光客は減っているが、昨年までは年間3000万人という客数を数えていた。

 正面入り口の雷門を過ぎると、そこから仲見世通りが続く。

 次に宝蔵門が控える。ここから斜め方向を向くと、東京スカイツリーがバッチリ見通せる。

 そして手水舎で清めの水を使う。ここにある龍神像は高村光雲の作品だ。

 階段を上がって本殿へ。参拝する善男善女はひきも切らない。

 参拝の後天井を見上げれば、堂本印象作の「天人散華の図」が目に入る。

 祭壇を拝見した後は、回れ右。

 ライトアップされた五重塔に、しばし見とれる。1945年の東京大空襲で炎上したが、1973年に再建された。地上からの高さは53.3m。

 ちょうど年末の羽子板市の日に訪問、派手やかな羽子板を求める人達で賑わっていた。

 じっくり見てみると、本当に美しい女形の姿がデザインされている。

 しばし足を止めて品定めをした。(といっても、購入はしなかったのだが・・・。)

 改めて本殿の夜景をカメラに収めて家路についた。

 

 

 

 

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寺社巡り・東京⑭ 水天宮 スタイリッシュに衣替えした境内に、子供河童が3体も

2020-11-17 | 寺社巡り・東京

 水天宮は子授け、安産を願う人々に厚く信仰されてきた神社だ。

元々は九州久留米藩の水天宮を江戸上屋敷内に分社して開かれたもの。以来「なさけ有馬の水天宮」として江戸庶民の信仰を集めてきた。この言葉は、久留米藩の藩主が有馬家だったからだ。

 境内になぜか河童の像があった。その体の胸、肩、足元に3体の赤ちゃん河童がしがみついていて、それも人気者になっている。

 一方手水舎には龍。こちらはかなり怖そうな顔つきで、人気があるとかいう話は聞かない。

 この提灯の紋は、有馬家の家紋とかかわりがあるのかどうか、そこまではわからなかった。でもよいデザイン。

 本殿とは別に弁財天を祀った社がある。華やかな朱色が目を引く。この弁財天は日本橋七福神巡りの1つとなっていて、参拝者も多い。こちらは学業、芸能、財福の御利益があるという。

 2016年に大規模な改築を行っていて、なんか神社とは見えそうにないスタイリッシュな階段もあった。

 夕方、その階段下から見上げた水天宮は、洒落たホテルの入口にも思えた。

すぐ横の通りは人形町。2基のからくり櫓が設置してあり、江戸火消しと江戸落語のの内容を描いたからくり絵が、毎時飛び出す仕組みになっている。

 

 

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寺社巡り・東京⑬ 根津神社 強運の神社で千本鳥居をくぐり、「吾輩は猫である」を生んだ石で二人の文豪を思う。

2020-11-14 | 寺社巡り・東京

 根津神社を目指して表参道を行くと、まず大きな鳥居に出会う。ここが正面入口だ。

 次に総檜造りの立派な楼門が待っている。

 そして社殿が現れる。これらは徳川五代将軍綱吉が敷地を寄進、権現造りの神社大造営を実施して1706年に完成したもの。その時の本殿、拝殿、楼門など7つの建築物がそっくりそのまま現存しているという。

 つまり、関東大震災や東京大空襲など、他の歴史的建造物が軒並み破壊された中で、奇跡的にそっくり残された、現存する最大規模の江戸神社建築ということになる。「強運の神社」とされる由縁だ。

 楼門に入ってすぐのところに、平べったくて長い石が置いてある。これは「文豪の石」と呼ばれる。

はて!どうして?

それにはこんなエピソードが伝えられている。

1890年、この神社の近く、明治の住所でいうと本郷区千駄木57番地に、2年前にドイツから帰国した森鴎外が住み着いた。そして1年3か月、散策の折に根津神社に立ち寄り、この石に座って憩いの時を過ごした。

 また、13年後イギリスから帰国した夏目漱石が、奇しくも鴎外の住んだ同じ家に引っ越してきた。彼も神社に来てはこの石に座り、作品の構想を練ったという。「吾輩はねこである」はまさにこの時期に発表された作品だ。

 そんないわれから、この石が「文豪の石」と呼ばれている。この2人が住んだ家は現在犬山市の明治の館に移築されている。

 境内では乙女稲荷神社の参道に並ぶ千本鳥居が有名だ。

 社殿の横に長く長く赤い鳥居が連なる。

 これを北から南に通り抜けると邪気がきれいに取り払われるとされる。この日は曇り空。蒸し暑い日だったが、何人もの人が鳥居くぐりに挑戦していた。もちろん私も。邪気がはらわれたかな・・。

 

  

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