新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ベルガモ⑨ 最終日、旧市街の塔やクーポラを間近に眺める

2018-06-01 | イタリア・ベルガモ

 さて、またアルタの街に戻ろう。まだ1つやり残したことがあった。旧市街中心部のベッキオ広場にある市の塔に上ることだ。
 ラジョーネ宮右側にある、12世紀に建設された市の塔は高さが92mあり、旧市街では一番高い場所だ。この塔だと、コッレオーニ礼拝堂やマッジョーレ教会のクーポラ、鐘楼などを間近に眺められるはず。

 これは大成功だった。エレベーターの出口から、早速塔がのぞいた。

 目の前にマッジョーレ教会の屋根と塔がそそり立つ。背後にはバッサの街とロンバルディアの田園風景が霞みながら広がっている。

 1番手前にある洗礼堂の丸い屋根も、平地からだと全体を見ることは出来ないので、ここからが唯一の見学場所になる。

 そしてマッジョーレ教会の塔は狭いドゥオモ広場からは全く見えないので、ここから見ると予想以上にとんがっていることにびっくりする。

 少し広角に見てみよう。右にマッジョーレ教会、そして左にドゥオモの屋根が並ぶ。

 ドゥオモの上に立つ像はベルガモの守護聖人サンタ・アレッサンドロだ。

 サンヴィジリオの丘方面にも密集した家々が見える。

 真下を見下ろすと、洗礼堂のきめ細かな装飾を施したファザードが克明に観察できる。

 ベッキオ広場側に視点を移すと、図書館の白い建物が小気味よい。

 カッラーラ絵画館のある東方面には、坂に沿ってブラウンの家並みが続いてる。

 アルタの街が、そして遠くロンバルディアの山々が一望できる絶好のスポットであることが実感できた。

 ベルガモの街は滞在中ずっと高低差を意識しながら歩き、眺め、カメラを向けることが続いてきた。そんな街もまた印象的で、忘れられない場所の1つになった。


 帰りがけ、広場のカジュアルなレストランでビールとフジッリのパスタで腹ごしらえを済ませ、

 ドニゼッティの生家の前を通って宿に戻った。

 ドニゼッティ家の標識を1枚。

 これでベルガモ滞在は終了。最後にもう1度そそり立つ塔の風景を。

 次はロンバルディアのもう1つの街マントヴァに移動しよう。

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ベルガモ⑧ バッサの街から見上げるアルタの建築群 奇抜な彫刻いろいろ

2018-05-29 | イタリア・ベルガモ

 カッラーラ絵画館でたっぷり名画に浸った後、バスでバッサの街に向かった。アルタに戻るには急坂を上らねばならないので、どうせバスに乗るなら下の街経由で行こうと思ったからだ。

 バッサの街は20世紀初頭に新しい都市計画に基づいて開発された都市なので、公園がゆったりと広がったりして、アルタの旧市街とは対照的。
 ジャコモ・マッティオッティ広場からはアルタの建築群が、まるで2階に陣取ったかのように高く並んでいるのが眺められる。

 バッサの建物があるために隠れてしまっているが、2つの街の間は城壁で仕切られている。

 少しアルタの街をアップしてみる。やはり迫力ある眺めだ。

 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りは道幅の広いメインストリートだ。

 公園を散策していると、変わった彫刻を見つけた。逆さ吊りの人をもう1人の人が見つめている。

 また、パリ・ルーブル美術館にあるニケの像に似た、顔のない翼だけ像も。

 その隣には、自転車レーサーーのような姿。現代的な作品がいろいろある。

 公園では市民たちがベンチに座ったりしながら談笑する姿もあちこちで見かけた。まさにここは憩いの場として機能しているようだ。

 近くに教会も見つけた。

 そのファザードにはかなり細かな彫刻」が施されていいた。


 さらにその扉を見ると、キリストとマリア像とみられるレリーフもあった。

 あまりちゃんとは見られなかったが、バッサの街もなかなか魅力的なのかもしれない。





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ベルガモ⑦ ヴェネツィアから派遣された悲劇の王妃カテリーナの最期 カッラーラ絵画館

2018-05-26 | イタリア・ベルガモ

 カッラーラ絵画館で惚れ惚れするような聖母に出会った。

 この日の第一の目的地はカッラーラ絵画館。その前まで到着したものの、前庭部分が大規模な工事中で、入口が見つからない。向かいの近代美術館で係員に聞くと、庭の右端に細い通路が出来ているとのことで、ようやく入ることが出来た。

 その時一緒になった子供たちの団体。

 ここはジャコモ・カッラーラ伯爵のコレクションを中心に陳列された美術館だ。主として15-18世紀のヴェネツィア派絵画が充実している。我が国ではあまり知られていないが、非常に高い内容が評価されている。長年にわたって改修のため休館していたが、ようやく再開された。

 早速作品を見て行こう。ロレンツォ・ダ・ヴェネツィアーノの「キリストの物語と聖母子」。キリストの誕生から復活までが丁寧に描かれている。

 マンテーニャ「聖母子」マンテーニャの聖母はとても知的な表情が特徴的だ。

 一方、ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子」は彼のお得意のテーマ。ヴェネツィアを旅した時は至るところで彼の聖母に出会った。

 そんな彼の聖母像の中でも、この聖母は珍しくふくよかな母性を感じさせる。

 この美術館の至宝といわれるラファエロの「聖セバスティアーノ」。聖母の画家といわれるラファエロが描いた、初々しささえ感じられる若者の表情をした聖人像だ。

 一方、ボッティチェリが描いた男性は聖人ではなく、メディチ家の悲劇の主人公「ジュリアーノ・メディチの肖像」。3点あるジュリアーノの肖像のうちの1点。どこか孤独の影を宿した印象だ。
 
 ジュリアーノは1478年、バッツィ家の陰謀によってフィレンツェのドゥオーモ内で暗殺された。その直後に描かれた作品とみられている。


 これはちょっと怖い。「祈るキリスト」。ボッティチェリはこんな作品も描いていた。

 ロレンツォ・ロット「若い男の肖像」。彼の代表作の1つとされる「聖カテリーナの神秘の結婚」は、ローマへ貸し出し中とのことで、見られなかった。

 サッソ・フェッラート「祈る聖母」。この絵の前でしばらく立ち尽くしてしまった。美しさ、慎ましさ、神々しさ。出会えてよかった。

 女性の肖像画。作者がだれか調べられなかったが、見事。

 ほぼ順路の最後で見つけたのが、この絵だ。「キプロスの玉座を降りるカテリーナ・コルナーロ女王」フランチェスコ・アイエツの作品。18世紀のロマン主義画家で、代表作「接吻」で有名だ。

 妙にこの絵が気になって、カテリーナ・コルナーロのことを調べてみた。

 カテリーナは元々ヴェネツィアの貴族コルナーロ一族の娘だ。それがなぜキプロスの王女になったのか、またどんな生涯をたどったのか。塩野七生が著した「ルネサンスの女たち」に従って概略をたどってみよう。
 1472年、カテリーナは14歳でキプロス王ジャコモ2世のもとに嫁いだ。といっても当時のキプロスはイタリアのヴェネツィア、ジェノヴァ、ミラノ、ナポリに加えてトルコという列強に囲まれて不安定な国家状態だった。

 そこでジャコモ王はヴェネツィアに対して商売の特権を与える代わりに、対トルコで同盟を結ぶことなどの提案を行った。対してヴェネツィアはコルネール家の娘と結婚することを条件に、連携に同意した。

 そもそも初めからこの結婚は政略結婚だった。

 ただ、ジャコモ2世はその翌年急死。その時カテリーナは7か月の身重だった。ヴェネツィアはどうしたか。数か月後、誕生間もないジャコモ3世に戴冠させた。完全なリモ-トコントロール態勢だ。

 これによって名目上はカテリーナの統治時代が始まったが、彼女には全く権限は与えられなかった。立法、司法、行政すべてを、ヴェネツィアから派遣された人間が取り仕切り、一切の公文書にも関与できない傀儡王妃。

 結局1488年にはキプロスのヴェネツィア併合が決まり、カテリーナはヴェネツィアへ帰還することになる。

 サンマルコ聖堂で行われた式典でも、あらかじめ作成された証書「大きな喜びとと共にキプロス王国をヴェネツィアに贈る」と読み上げさせられただけだった。

 全く自らの意思を表すことが出来ないままに過ごした生涯。悲劇の王妃の遺体はいま、サンテ・アポストリ教会に葬られている。


 そんなカテリーナが、翻弄され続けた末に玉座から追われる日の、無念の心情。

 ヴェネツィアの権力を象徴するような男性の、非情な追放宣告。

 そして、身の回りを世話してきた女たちからも冷たい視線を浴びせられる。

 全く救いのない、ピンと張り詰めた空気を、この絵は冷徹に描き切った。心に深く突き刺さる作品だ。


 カッラーラ絵画館は、実に充実した宝石のような美術館、という印象を抱いたこの日だった。

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ベルガモ⑥ ビアンコ教会に残るロレンツォ・ロットの素晴らしいフレスコ絵画に見入る

2018-05-22 | イタリア・ベルガモ

 どんどん急な坂道を下って行く。

 前方に1つの教会が見つかった。あれが確かビアンコ教会。正式名はサン・ミケーレ・アル・ポッリオ・ビアンコ教会という長い名前だ。 ここにはロレンツォ・ロットの描いたフレスコ画があるということで、予定していた場所。
 
 ロレンツォ・ロットはヴェネツィア出身の画家だが、1513年にベルガモに招かれたのを機にここに居を移し、13年間滞在し、人生の充実期にここで腕を振るった。

 住まいは、この教会前の小広場にあったという。

 教会に入った。外観ではわからなかったが、中は予想以上に凄かった。内壁の大部分がフレスコ画で埋め尽くされている。

 まず、入るとすぐ聖母子像が出迎えてくれる。

 内部正面には多彩な絵の残る主祭壇。

 その中でも左礼拝堂はレレンツォ。ロットの手掛けた聖マリアの礼拝堂だ。

 受胎告知の絵が左壁を飾る。

 右壁には三王礼拝。

 上部クーポラを見上げると、父なる神が。

 そんなロットの作品群だけでなく、室内至るところにフレスコ画が見事に描かれている。

 これは聖母子像。

 聖マリアが死せるキリストを抱く「ピエタ」。

 後方、入口側の壁は、だいぶフレスコ画がはがれてしまっているが、それでも面白い絵が見られる。

 こちらは諸聖人の群像か。

 また、最後の審判も。そこで罪を課せられた人たちだろうか。鎖につながれている。

 この絵には鮮やかな衣服の赤がしっかり残されている。

 何か良いことがあったんだろうか、聖人がほほえんでいた。

 とにかく多彩。バラエティに富んだ人物像が真剣に、ときにはユーモラスに、生き生きとした表情で見る者に語り掛けてくるかのようだった。
 
 思いもかけずに素晴らしいフレスコ画の教会に出会えて、ちょっと幸せな気分になった。



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ベルガモ⑤ サンヴィジリオの丘からアルタの教会群のシルエットを見下ろす

2018-05-19 | イタリア・ベルガモ

 翌日はサンヴィジリオの丘から旧市街を見下ろした。

 朝、散歩の途中に城壁からバッサの街を眺めた。かすかにもやがかかっていて、街が霞んで見える。そんな中をジョガーたちが何人も通り過ぎる。異邦人の存在とは無関係に市民たちの日常が展開されている。

 途中のトンネルで見かけた母子連れ。

 午前10時、やっとケーブルカーが運転を開始したので、これに乗ってサンヴィジリオの丘に上った。

 実は前日も丘に上ったのだが、午後だったのでチェントロの教会群にまともに光が当たっていた。

 それはそれで美しかったのだが、後方のバッサの街を背景にシルエット気味となるアルタの教会群の姿も見たいと思い、再度の挑戦を試みたというわけだ。

 午前中だと確かに教会群はシルエットになっていた。理想は霧に包まれたバッサを背景にアルタが浮かび上がる風景を見たかったが、なかなかそうはいかないものだ。

 少しアップで撮ってみた。ここからだとベッキオ広場周辺のチェントロ全体の形がよくわかる。

 思い切りアップに。こんな具合に時間帯によってかなり印象が違ってくることがよくわかる。

 サンヴィジリオの丘では城壁を利用した岩登り(ボルダリング?)を楽しんでいる若者たちにも出会った。

 そこに咲いていた黄色い花がきれい!

 丘の上で記念写真を撮っている女性たちにも出会った。

 丘から降りて、今度は旧市街を横断して東側にある教会やカッラーラ絵画館を目指した。

 石畳の道は本当に歴史を感じさせる。

 途中の店のショーウインドウには、なぜか動物の顔が並んでいた。どんな意味があるのかは不明のままだった。

 帰り道でも思わず1枚。

 名物店だというドルチェの店にはずらりとスイーツが並んでいた。

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