新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

心ふるえる風景 パリ編㊽ 名作の現場を訪ねて別の名作の場面に遭遇 二十歳の興奮が蘇った

2025-03-08 | 心ふるえる風景 パリ編

 滞在していたホテルの近場に モネの代表作「サンラザール駅」を

 橋の上から見下ろせる場所が あると聞いて出かけた

 クリシー広場からペテルスブルク通りを南下して行くと トゥリン通り クラペロン通り

 モスクワ通りという3つの通りが一か所で交差する 大きな交差点に差し掛かった

 

 台形状の2つの大きなビルの先端がこちらに向いて その2つのビルによって

 道路が放射状に分かれた形になった風景が 目の前に現れた

 「あれ そうだ この風景はカイユボットが描いた絵にそっくりじゃないか」

 

 慌ててスマホでその絵を呼び出すと まさに絵とほぼ同じ構図の作品がそこにあった

 正式タイトルは「パリの通り 雨」(ヨーロッパ橋)

 カイユボットは 19世紀印象派グループの画家

 上流階級の子息で 自らも作品を世に出すとともにドガ ルノワール モネらと交流し

 彼等の作品を買い上げて 資金援助も惜しまなかった

 後にオルセー美術館開館の際 これらの絵が提供され中心的なコレクションとなっている

 

 絵は傘を差したファッショナブルな 紳士淑女の二人が街を散策しており

 その奥に広がる 都市改造によって整備されたパリの街並みの

 都会的な雰囲気にあふれた 自由で広々とした風景が印象的だ

 

 この絵を画集で初めて見たのは 大学生の頃だった

 フランス パリへの憧れが湧き上がった 初めての経験だった

 その後ジヴェルニーのモネの家でも この複製画に出会った

 その場所が 今ここにある

 まだ外国のことなど何も知らなかった 二十歳の興奮が蘇る瞬間だった 

 

 

 

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心ふるえる風景 パリ編㊼ パリの重要な2つの教会がドッキングする 奇蹟的な場所を見つけた

2025-03-04 | 心ふるえる風景 パリ編

 サクレクール聖堂を見学した後 マネの遺作ともいうべき作品の舞台となった

 フォリー・ベルジェール劇場に向かった

 初めてのルートだったので 何度も地図を見ながら進む

 9区に入って 北東から南西に伸びるラファイエット通りを歩き

 東西に続くオスマン大通りとの 交差点に達した

 

 少し行き過ぎたかもと後ろを振り向いた時 意外な光景が目に入った

 手前にある教会に 後方にそびえるサクレクール聖堂がすっぽりと乗っかったように重なっている

 言ってみれば奇跡的な2つの教会のドッキングが 実現していたのだ

 手前の教会は ノートルダム・ド・ロレット教会

 ここは印象派の画家たちにとって 忘れがたい教会だ

 ドガの両親が結婚式を挙げた場所であり モネが洗礼を受けたところでもある

 さらにカイユボットの葬儀もここで行われ ドラクロワもすぐ近くに住んでいた

 

 サクレクール聖堂は パリ北部を見上げれば だれもがうっとりと見入ることになる

 モンマルトルの白いランドマークでもある

 そんなパリの重要な2つの教会が ぴったりと重なる光景を偶然にも見ることが出来た

 パリという街から 素敵なプレゼントをもらったような 幸せ気分に満たされた

 

 

 

 

 

 

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心ふるえる風景 パリ編㊻  モンマルトルに住んだゴッホもロートレックも なぜあのサクレクール聖堂を描かなかったのか

2025-03-01 | 心ふるえる風景 パリ編

 サクレクール聖堂  モンマルトルの丘にそびえる高さ83mの教会は

 青空を背景にパリの市街を睥睨するかのように  純白の雄姿を誇っている

 エッフェル塔やオペラ座など パリ中心部にある建築物とは一味違って

 3本の円形尖塔を持つビザンチン様式の建物は 温かい雰囲気で人を迎え入れてくれる気がする

 

 それはモンマルトルという地区が 高き志を抱いてパリを目指した

 異国からの若者たちが 修業し語り合い花開いて世界に飛び出した場所であるという

 事実と重ね合わせてしまうからかもしれない

 

 実際イタリアからモディリアニ ロシアからシャガール オランダからゴッホなど

 多くの若者が この地で青春の血を燃やした

 また地元フランスでも ルノワール ロートレック ユトリロらもここから羽ばたいた

 

 近世パリの芸術文化の 大きな基点となったモンマルトル

 その地のシンボル的な建築がサクレクール聖堂ともいえそうだ

 

 ただ 意外なことに気が付いた

 サクレクール聖堂が完成したのは 実は1919年  第一次世界大戦が終わった翌年のこと

 永い歴史を誇るパリの中では 相当に新しい建築なのだ

 

 改めて 先ほど列挙した画家たちの没年を調べてみると

 ゴッホ1890年 ロートレック1901年 ルノワール1919年・・・

 ゴッホもロートレックも サクレクール聖堂の完成を見る事もなく他界してしまっている

 ルノワールは晩年は南仏に移住していたし わずかに1920年に亡くなったモディリアニだけが

 ぎりぎりで今のサクレクールを見ていたのかもといった感じだ

 

 道理で時代を代表する彼らの作品に なぜサクレクール聖堂が残っていないのか

 思えば当たり前のことに やっと納得した

 

 

 

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心ふるえる風景 パリ編㊺ サンルイ島に 激情の女流彫刻家カミーユ・クローデルの足跡をたどる

2025-02-25 | 心ふるえる風景 パリ編

 大聖堂のあるシテ島は 紀元前200年ころにケルト民族パリシイ人が集落を築いた

 パリ発祥の地として 今も多くの観光客が集う場所となっている

 だが隣に位置するサンルイ島については あまり語られることが少ない

 そのサンルイ島に 一つの悲しい物語を訪ねて訪れた

 

 繊細で印象深い作品を残した女流彫刻家 カミーユ・クローデルの物語だ

 カミーユは若くしてその才能を 当時の彫刻界第一人者ロダンに認められ彼に師事した

 まもなく二人は相思相愛の仲となり 同棲生活をスタートさせた

 

 しかしロダンには既に 実質的な妻(ローズ・ブーレ)が存在していた

 劇場型のカミーユにとって 自分一人だけを愛してくれない

 優柔不断のロダンは 許せないものに映った

 次第に心を病み ロダンの元を去って引きこもったのがサンルイ島のアパルトマンだった

 彼女の心は張り裂けたまま アパート内で作品を制作しては完成途中で破壊し

 部屋中に投げ散らすという 生活に陥ってしまった

 

 心配した兄ポール・クローデルがアパルトマンを訪れ 悲劇的な姿を目撃する

 「カミーユが壊れた 朝4時に自宅から脱走して行方知れず・・・」 

 1913年3月10日 二人の看護人がドアを壊して部屋に入りカミーユを病院に連れ去った

以後30年間 カミーユは南仏の精神病院で 一度もパリに戻ることなくその人生の幕を閉じた

華やかにパリの美術界に登場した若き彫刻家が パリに残した最後の足跡は

ここサンルイ島の アパルトメントの一室だった

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心ふるえる風景 パリ編㊹ 男女の右手と左手 「祈り」に通ずるロダンの作品に出会った

2025-02-22 | 心ふるえる風景 パリ編

 右手と左手が そっと組み合わされている

 離れもせずきつくもなく 肌のぬくもりがかすかに伝わるかもといった

 ほんのわずかな接触だけで 留まっている

 

 この手は一人の手ではない よく見ると大きさが異なっている

 たぶん一人の男の右手と 一人の女の左手

 二人がお互いの一方の手を差し出して 出来上がった形だ

 その形は 何を意味するのだろうか

 

 彫刻の作者は オーギュスト・ロダン

 彼が名付けたタイトルは 「カテドラル」(=大聖堂)

 そう この二つの手が一つになって出来上がったテーマは「祈り」だ

 

 大聖堂(カテドラル)の存在は 人が為そうとしても成し遂げえない目的 望み

 思いもかけずに 陥ってしまった過ちや苦悩

 そんな人生の節々にたたずむ場所 としてあるのかもしれない 

 

 なら 自分にとって祈りとは何なのだろうか

 ロダンが具象化したこの作品が 意味するものを見出せないままに

 ロダン美術館の閉館時間を 迎えてしまった

 

 

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