今、新型コロナウイルスによる感染爆発のニュースが世界を席巻している。ついに日本でも7日、緊急事態宣言の発令となった。天然痘、チフス、マラリア、スペイン風邪、ペスト・・・。思えば人類の歴史はある意味疾病との闘いでもあった。
そんな闘いの跡は、イタリア・ヴェネツィアにもはっきりと残っている。もう10数年前、初めてヴェネツィアを訪れた時、最も優雅で雄大な教会=サンタマリア・デッラ・サルーテ教会の美しさにみとれた。
そして教会の歴史をガイドブックなどで読んでみると、私にとってはとても意外な建立の理由が記されていて驚いた。
教会の建設が決まったのは1630年の事だ。実はこの年、ヴェネツィアを黒死病とも呼ばれた感染症、ペストが襲っていた。その猛威は死者数万人、都市の人口の3分の1が命を落とした。
元老たちは願いを込めて聖母マリアに祈りを捧げた。「この病から街を救ってくれた暁には、聖母に捧げる大教会を建立します」。そして数年後、疫病が治まった時に建設が始まり、約50年後の歳月を費やしてこのバロックの大教会が完成した。疫病撲滅に対する人々の願望が形となって存在するのが、この教会なのだ。
願いは教会の各所に表されている。特徴的な丸屋根の周囲にある渦巻き模様の装飾は、聖母の冠を象徴したものだ。
毎年行われるサルーテの祭りには、改めて聖母への感謝の祈りがささげられる。
普段は運河で隔てられたサンマルコ地区と教会との間に、祭りの日限定の橋が架けられる。
僧侶たちは堂内に集合して一斉に祈りを捧げる。
その対象は、主祭壇にある群像だ。正面に3つの像が並んでいる。
中央に立つのは、聖母像。
右には、逃げ出そうとする老婆の姿。これはペストを象徴したものだ。
そして左にはひざまづいて聖母に感謝する女性。こちらはヴェネツィアそのものを象徴している。
つまり。この教会は疾病の悲惨な歴史を刻みつけた主祭壇によって存在しているのだ。
ヴェネツィアでは、ジュデッカ島にあるレデントーレ教会もまた、ペスト終焉を記念して建てられたものだ。
レデントーレの祭りでは、感謝の花火が打ち上げられている。
話は変わるが、今も盛んに話題になる「検疫」は英語で quarantine というが、この語源はヴェネツィアで始まった検疫制度に由来する。
14世紀、世界中でペストが流行した際、当時のヴェネツィア政府は通商等で外国から訪れる人々に感染症がないことを確認するため、当ペストの潜伏期間と考えられていた40日間船を港の外に停泊させる法律を実施した歴史がある。イタリア語で40日間を意味する quarantina がそのまま「検疫」として今も使われている。
また、ボッカチオの名作「デカメロン」も、1348年のペスト流行を逃れるためにフィレンツェ郊外に逃れてきた男女がそれぞれに物語を語るという内容。疫病がきっかけで生まれた小説だ。トーマス・マンの「ベニスに死す」も疫病チフスに襲われたヴェネツィアが題材になっている。
さらに、ニュートンの万有引力の法則と疫病との関係。1664年ケンブリッジ大学奨学生試験に合格したニュートンだが、その年のペストの流行によってやむなく実家で避難生活を送ることになった。 実家にあったのが、リンゴの木。これの観察の中で万有引力の法則が導き出されたという。疫病とのかかわりはさまざまな場面で見ることが出来る。
疫病との闘いは終わることのないものかもしれないが、その中でも人は英知を振り絞って一つ一つ克服してきた。今回の新型コロナウイルスに対しても必ず、遠からず勝利する日が来ることを信じて、日々を過ごしていきたい。