新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

サンマルコ広場鐘楼にも芸術的彫刻がたくさん!…ヴェネツィア

2016-05-31 | イタリア・ヴェネツィア

 サンマルコ広場の中でも、周りに気を取られて、注意せずに通り過ぎてしまう場所がある。鐘楼入り口のゲートだ。
 鉄製のゲート装飾だが、よく見るとかなり細かく細工されており、一種の芸術品。

 扉の右側部分を見てみよう。前を見つめる兵士のような人と、

 その後ろには子供がいて、

 さらにその後ろに、聖書を持った獅子が続いている。これは聖マルコを象徴する獅子像だ。

 一方、左の扉にも同様な彫刻装飾がなされている。

 また扉の下側を見ると、右側にはこんな女性像が。

 左側扉下にも同様にな彫刻があった。この二人はお互いに逆の方向を向いている。
 次に鐘楼入り口の上部壁面を見てみよう。いくつかのレリーフが施されている。

 天使と、後ろにはここにもライオンが。

 ここにも天使。なんかふっくらして柔らかそう。

 この兵士は凛々しい。それより、持っている盾の顔が恐ろしい。

 このように、ふと見過ごしてしまうようなところにも結構面白い素材があちこちにあるのが、サンマルコ広場のすごいところだ。

 かつてはこの広場にライオンが何頭いるかを調査したことがあった。その模様はこちらからご覧ください。
 http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-b86c.html
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サンマルコ聖堂正面には聖人強奪の絵が!

2016-05-27 | イタリア・ヴェネツィア

 ヴェネツィアのシンボルであるサンマルコ聖堂は、コンスタンティノープル(現イスタンブール)の聖使徒聖堂を模したビザンチン建築だ。

 向かいの鐘楼に昇って見下ろすと、ドームがいくつも重なった、まさに特異な形が圧倒的な存在感を誇っている。

 また、正面扉上のアーチ部分にも独特のフレスコ画が描かれている。ファザードはいわば教会の「顔」の部分。そこに描かれるものは、教会を象徴しているわけだが、驚くべきことにサンマルコ聖堂正面の絵は、人の遺体を盗み出して、ヴェネツィアに持ち帰るという‟聖人強奪”の物語なのだ。


 聖堂の前に立って、右側の絵から見てみよう。最初はアフリカの古代都市アレキサンドリアでサンマルコの遺体を持ち出すヴェネツィア商人たち。

 遺体がヴェネツィアに到着した。

 (1つおいて)ヴェネツィア総督(ドージェ)が、その遺体を受け取る場面

 その遺体を教会に運び込む。
 と、こんな順序で描かれている。

 なお、2番目と3番目との間(つまり、5つ並んだフレスコ画の真ん中)だけは、物語と無関係に、キリストの復活の場面が置かれている。


 また、これらの上の段のアーチにはキリストの生涯のフレスコ画があり、これはその1つ、十字架降下図だ。


 ファザードの上には聖マルコの立像が青空をバックに高々と立ち上がる。

 そもそも、なぜこのような物語が掲げられるようになったかは、この教会の成り立ちと深く関係している。
 もともとヴェネツィアの守護聖人は聖テオドーロだった。だが、この聖人は聖人としてのレベルはあまり高くない。例えばローマなら、キリストの一番弟子の聖ペトロ。フィレンツェならキリストに洗礼を施した聖ヨハネ。 何とかもっと上位の聖人を守護聖人として迎えたいと望んでいた。

 その結果、ヴェネツィア商人は非常手段に打って出た。
 アレクサンドリアに出かけて、聖マルコの遺体を豚肉を積んだ荷車に隠してヴェネツィアに持ち出してしまった。
 聖マルコはキリストの教えを広めた四大福音書記者の一人だ。こうなれば、それに見合った立派な教会を創るしかない。

 そんな経緯で造られたのが、このサンマルコ聖堂だったというわけだ。


 その姿は、夜になると一変する。両脇の行政館などに光が灯り、石畳にもその明かりが反射して広場全体が輝きを持って沸き上がる。

 その姿は夜明け前にも面白い形を見せてくれる。暗い空の中でわずかな明るさをもらって見えてくる造形。

 サンマルコ像と天使たち

 ドームにつけられた装飾も面白い。

 大きなクーポラの後方から少しずつ光が差してきた。そして、やがて朝がやってくる。
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サンマルコ広場ーヴェネツィアの祝祭広場

2016-05-09 | イタリア・ヴェネツィア


リニューアル第1回目は、やはりタイトルにふさわしくイタリア・ヴェネツィアの表玄関であるサンマルコ広場からスタートしよう。


ナポレオンが「ヨーロッパで最も美しい大広間」と賛美したこの広場は、その多様性、歴史、華麗さなど様々な点から見ても傑出した場所だといえる。

この付近はもともと疎らに木が生える小さな島だった。しかし、商才に長け、卓越した航海術を持つヴェネツィア人がアドリア海の支配者として富を築くと、


広場には政治を司る場としてドゥカーレ宮殿が築かれ、


信仰の中心であるサンマルコ大聖堂が建設された。


また、平行に並んだ2つの新旧行政長官府の建物が広場を囲んで、


様々な祝祭の行事がここで行われるようになり、まさに共和国の表玄関としての存在感を増していった。


広場のランドマークは1515年に完成した鐘楼。高さ98.5m、頂点には金色の天使が備え付けられている。
この鐘楼は、1902年7月14日朝、突然に倒壊したが、今はエレベーター付きの塔が再建されている


広場の空間は、奥行157m、幅82mもの広さを誇り、大聖堂側が奥より広い変形四辺形になって、より遠近法が強調される形を形成している。

大聖堂を背にして左側(海側)には、有翼の獅子像と、サンマルコの前まではヴェネツィアの守護聖人だった聖テオドーロの像が円柱の上に載っている。

また、右側には時計塔。


その屋上には2人のムーア人が鐘を突く役目を担って立っている。


ドゥカーレ宮殿は、軽快でエレガントなヴェネツィアンゴシックの美を誇っている。


そして、大聖堂はビザンチン様式をたっぷりと取り入れた唯一無二の華やかなファザードに彩られ、その正面が夕日に照らされる時刻、また鮮やかにライトアップされる頃は、表現しがたい美しさに圧倒される。

 チャールズ・ディケンズは「非現実で、幻想的で、荘厳で、どんな想像も及ばない」と、絶賛している。


ブログ「イタリアの誘惑」を連載してきましたが、掲載容量がほぼ一杯になったため、新しいブログを開設しました。従前同様にご訪問いただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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