新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ヴェネツィアあちこち② サンマルコ広場で遊ぶ子供たちを中心にちょっぴり人間観察

2019-07-30 | イタリア・ヴェネツィア

 サンマルコ広場全体を見下ろす絶好の場所がある。それは大聖堂と対面するコッレール美術館。2階カフェからだとこんな風に広場と大聖堂、鐘楼がすんなりカメラに収めることが出来る。

 ようやく式典が終わり広場が一般に開放された。ちょっとここで人間観察。

 母子でスマホの写真撮影中。

 ちょっと暑くなってきたわねえ。

 家族4人でゆったり散歩。地元の人たちかしら。

 高いところからなら、建物や壁の像などよく見えるだろう。

 まるで絵本から抜け出してきたかのようなかわいい子。

 ふむふむ、今日も広場の治安は保たれているな、よしよし。

 広場近くの停留所にバポレットが着いたらしい。すさまじい数の人達が押し寄せてきた。

 大聖堂横のライオンは格好の遊具。乗ってはしゃぐ女の子。

 その付近はメルチェリエ通りから広場への入口。観光客で大賑わいだ。

 ぼちぼち昼近くなり、広場のカフェクワドリにも客が入ってきた。

 頭上の時計台にも日が当たり、ライオンも心地よさそう。

 大聖堂の丸屋根を別角度から見られるのは、リアルト橋隣に新しくできたショッピングセンター屋上が最適だ。

 

 

 

 

 

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ヴェネツィアあちこち① サンマルコ広場 厳粛な式典の後方で3組の男女カップルが・・・

2019-07-27 | イタリア・ヴェネツィア

 

 「イタリアの誘惑」というタイトルなのに、しばらくイタリア以外が続きました。久しぶりにヴェネツィアを歩いてみます。

 

 晴れた日の朝、散策初日はやはりサンマルコ広場から、ということで広場を訪れた。メルチェリエ通りから広場へ。入口から大聖堂やサンマルコの円柱が見える。

 大聖堂正面には聖マルコ像と有翼のライオン像が輝く。

 その下にはコンスタンティノープルから運び込まれた青銅の馬が居並ぶ。

 小広場の2つの円柱がマッジョーレ教会を挟んだ形でそびえている。いつ来ても変わらず私たちを歓迎してくれているかのように見える。

 広場で、何やら式典が始まっていた。

 実はこの日はイタリアの共和国建国記念日だった。

 第二次世界大戦後の1946年6月2日、それまでの王政を廃止し、共和制をとることを国民投票によって決定した。それを記念する式典だ。

 陸海空軍の兵士たちが勢ぞろい。

 壇上には軍関係者などが勢ぞろいして、いかめしい雰囲気。

 晴れ上がった朝日の中で、改まった式典の模様を生で見ることが出来た。

ちょっと厳粛な気分を味わったと思っていたら・・・

 式典後まもなく3組のカップルが広場に出てきて踊り出した。

 あるカップルは花束を持ってにっこり。

 さらに別カップルは優雅にひと踊り。

 これは雑誌か何かのグラビア用の写真撮影のようだった。その意外な組み合わせにびっくり。

 

 

 

 

 

 

 

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ケルンの街歩き⑤ ライン川の悠久の流れを挟んで、大聖堂の輝ける夜景に見惚れた。

2019-07-23 | ドイツ・ケルン

 夕方、大聖堂の夜景を撮影しようと出かけた。朝から降り続いた雨は一向に止む気配がない。

 ビュースポットはライン川に架かるホーエンツォレルン橋を渡った向こう岸だ。

 橋に差し掛かった時、駅の向こう側の建物が青く輝いているのを1枚。

 対岸には、大聖堂と正面から向かい合うトリアングルパノラマという高層ビルがある。そのビルに上がって大聖堂を眺めるところだったが、この霧雨状態ではよい展望が望めないだろうと断念した。

 でもどうにか夜景は見ておきたいので、対岸の一角にある小さな公園でライトアップを待った。

 午後7時50分ころ、やっとライトアップが始まった。尖塔は次第に輝きを強める。圧倒的な姿だ。せっかくなので、カメラ側のホワイトバランスを調整しながら色彩具合を変えてみた。灰色の空がスクリーンの役割をするのか、空の色が変化する。これはピンクの空。

 こちらは青い空。

さらに赤い空にも変化してくる。

 この悪天候の中でも様々に変化する姿を見ることが出来た。気分が高揚してきたので、回り道をして帰ろう。対岸の堤防沿いを歩きながら、大聖堂方面の夜景を眺めた。

 対岸から見る大聖堂と隣には聖マルティン教会のロマネスク様式が見える。

 だいぶ歩いた。ライン川越しに聖堂がそびえる。ホーエンツォルレン橋の奥の青い照明はミュージカルドームという建物だと、道行く人が教えてくれた。

 ズームして対岸を見る。白く見える大聖堂と聖マルティン教会のオレンジとがコントラストを演出しているみたい。

 1つ先の橋に差し掛かったので、橋の上に立って眺めた。角度の関係で、大聖堂と聖マルティン教会との位置が変わってみえた。

 聖マルティン教会に近づいてきた。尖った屋根の家並みが美しい。

 最後に教会のピンショットを撮ってホテルに戻った。

ケルンの街を縦断して流れるライン川は、スイスアルプスに源を発し、フランス、ドイツ、オランダを経て北海に注いでいる。全長1320キロ。

 この川を巡って幾多の戦いが繰り広げられてきた。一方、文化面でも多くの人に創作の意欲を掻き立てた。ハイネはこの川に触発されてローレライの詩を詠み、人生の終わりにこの川に身投げしたシューマンは交響曲「ライン川」を作曲している。 さらに、ワーグナーは「ラインの黄金」という歌曲を残し、ヴィクトル・ユゴーもこの川を旅して作品を残した。

 そのライン川が今もなお悠々と流れ、ケルンの大聖堂が川面に雄大な姿を映している。ケルン滞在の最終日、そんな歴史のただなかに一瞬たりとも身を置いたことに、何か特別な感慨を抱く心があった。

 

 

 

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ケルンの街歩き④ 中世の素朴な木の彫像が印象的な聖マルティン教会

2019-07-19 | ドイツ・ケルン

 ホテル近くまで戻ってきた。今度の教会は聖マルティン教会。10世紀に建てられたもので、その規模は今までの2つの教会より大きく、そばを流れるライン川の対岸からもよく目立つ建物だ。鐘楼の周りに八角形の塔がついている変わった形をしている。

 内部は比較的広いイメージ。すっきりとしている。

 死せるキリストを見守る「ピエタ」の構図だが、素朴な感じ。でも、中世の作品と思われるが、衣服の色彩が残っているのは素晴らしい。

 こちらはキリスト磔刑図。

 その傍らにあった祈るマリア像に、悲しみを秘めた思いがあふれている。

 ここにも現代的なステンドグラス。第2次世界大戦の空襲で破壊されたために1985年に再建された教会だけに、思いっきり新しい。

 聖ゲレオン教会のステンドグラスもここも同じ作者のもののように見える。

 わーお、とっても素朴。

今回は3つのロマネスク教会を巡ったが、ケルンにはもっといくつかのロマネスク教会があり、それぞれに特色を持っているという。

 この後ケルン市庁舎に寄った。ここにも外壁に特徴的な彫像がみられる。

 みんな髭もじゃの老人たち。

 教皇のような帽子や洒落たボタンなど、なかなかスタイリッシュ。

 これからイベントでもあるのか、髪飾りをしたお嬢さんがスタンバイ中だった。

 

 

 

 

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ケルンの街歩き③ 1万人もの大虐殺の悲劇の女王、聖ウルスラの教会は骨で埋め尽くされていた。

2019-07-16 | ドイツ・ケルン

駅近くまで戻り、次のロマネスク教会を目指した。聖ウルスラ教会。

 路地に入ると、石畳の道がしっとりと雨に濡れていい感じ。

ところで、聖ウルスラってどんな人?ウルスラ伝説を調べてみた。

 ウルスラはブルターニュの王女。イングランド王から「息子の嫁に」と要請され、彼女は3つの条件を出した。①結婚まで、3年間の猶予②王子はキリスト教に改宗すること③ウルスラと10人の乙女、そして各々100人の侍女を従えてローマに巡礼が行われること。

 これらの条件が認められ、ウルスラはローマ巡礼への旅に出た。しかし帰途フン族の襲撃に遭いウルスラと王子、そして1万人もの御供たちが皆殺しになってしまった。

 その惨事の現場が実はケルンだったということらしい。古代ローマの墓地遺跡の上に立てられた4世紀ころの墓石に8歳の少女の名前としてウルスラの名が記されており、以来この地が巡礼の場として信仰を集めるようになったという。

 堂内で最初に目に入ったのが、いかにも現代的なステンドグラス。

 このデフォルメ感がなかなかだ。

 別のステンドグラスも面白い。

 対して、器に刻まれた人物像は相当に中世的。

 高い空間のてっぺん付近にキリスト像が吊り下がっている。

 このマリア像はなんとも美しい。

 こんな群像もあった。

 堂内を一通り見た後、入口右にある金の小部屋と名付けられた特別室に入った。ここだけは有料になっている。2ユーロを払って中に入ると、とんでもない光景が目前に現れた。

 四面の壁という壁がすべて人骨によって埋め尽くされている。

  この骨だらけ壁面には圧倒される。殉教者の人びとの骨を用いて造られたのだという。14世紀から17世紀にかけての聖遺物胸像が120体あった。

 その中で中心に置かれているのが聖ウルスラ像だと、係員が教えてくれた。

 いわゆる「骸骨寺」というものがヨーロッパにはいくつかあるが、とてもその感覚にはついて行けそうにもない。

 

 

 

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