法隆寺の最後の建物・夢殿に向かった。途中見事な桜並木を通り抜ける。
夢殿は、聖徳太子が亡くなり荒廃した斑鳩宮を悲しんだ奈良時代の高僧・行信が、738年に東院伽藍を復興したもので、その一環として夢殿も建てられた。八角円堂になっている。
(法隆寺ホームページ より)
ここには秘仏である救世観音が納められている。
1400年ほど前に建立されたが、13世紀以降は秘仏とされずっと公開されていなかった。しかし、1848年に国の委託を受けたフェノロサが公開を求め、ようやく公開されることになったもの。
ただし、公開期間は限定されていて、私が行ったときは非公開期だった。
夢殿の先には中宮寺がある。法隆寺に隣接して「ひっそり」とした感じで存在していた。飛鳥時代聖徳太子が母の穴稲部間人皇后のために創建したと伝わる門跡寺院だ。
本堂は1968年に再建され、すっかり近代的な建物になっている。しかし、中に安置された菩薩半跏像は1300余年の時を超えてなお、清らかさ気品にあふれた姿で私たちを迎えてくれた。
靴を脱いで室内に上がり、正座をして正面から像を拝観する。
(仏像に会う 西山厚著 より)
切れ長の目は伏し目がち。すらりと通った鼻筋の下には、わずかに口角を上げたアルカイックスマイルが広がろうとしている。
唇近くに中指が触れる右手は、ひじから手首までの直線とは対照的に指先が柔らかく動いている。全体の印象は静寂。でも、醸し出す気配は神々しく、しかも日本的ともいえる美しさに満ちている。
飛鳥時代に造られたと伝えられるが、他の飛鳥彫刻の特徴である図式的な造形や緊張を強いる硬い表情などから完全に開放されて、全身で寄り添う優しさを発散しているように見えた。
本堂の正面に歌碑があった。
みほとけの あごとひざとに あまでらの あさのひかりの ともしきろかも
会津八一の歌だ。1920年のある日、午前中にここを訪ねた。差し込む朝日が柔らかく菩薩にかかる様を見て、心惹かれた心境を表現した。
その模様を追体験しようと思ったが、聞くと、今は建物の再建とともに、像に朝日がかかる形はなくなったということだった。
私は数年前、フランス・アミアンの大聖堂を訪れた時、ステンドグラスを通して差し込む朝日が、中にあったマリア像の体をピンクに染めたところに遭遇して、感激したことを思い出した。
この中宮寺の菩薩半跏像との対面が、私の奈良旅のフィナーレだった。久しぶりの奈良だったが、以前には気が付かなかったことにもいろいろ出会って、とても喜びの多い旅でした。