新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

マインツ④ 大聖堂への坂道を歩く。広場にはグーテンベルグと勢いの強すぎる噴水が・・・

2019-10-29 | ドイツ・マインツ

 ザンクト・シュテファン教会を出て、大聖堂を目指す。坂道を歩いていると、建物を横断したカラフルなイラストを見つけた。果てしなく長い体の鳥?

 その先には蔦に覆われたムード満点の家。

 また、壁に葉っぱのイラストを描いた家もあった。この辺では建物の外壁を飾るのが流行っているのかも。

 坂の上に来ると、大聖堂が姿を現した。ここは街の高台。街並みそのずっと上に大聖堂の尖塔がそびえている。

 途中、合気道教室があった。盛んなのかな。

 化粧品店のウインドウには女性のシルエット。

 窓から広がるカラフルな洗濯物群。妙にしゃれているなあ。

 大通りに出た。椅子も置かれてくつろぐ人たちがそこここに。

 大聖堂手前まで来た。立派な像が立っている。

 これはグーテンベルグ像。ちょっと肥満体。

 活版印刷を発明した偉人だ。台座にはその印刷の模様が描かれていた。昨年訪れたフランスのストラスブールにも彼の像があった。発明が、そのどちらの土地に滞在していた時期なのかで意見が分かれているともいわれる。

 全体がグーテンベルグ広場になっていて、ここにも市民たちが集まって歓談していた。

 広場の中心には勢いのすごい噴水が水を吹き散らしていた。

 

 

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マインツ③ シャガールの生涯最後のステンドグラス作品群に囲まれて、心を清められる時間が過ぎた

2019-10-26 | ドイツ・マインツ

 シャガールがステンドグラス制作を始めたのは70歳を過ぎてからだった。しかし、精力的に制作を進め、マインツ以外にもフランスのランス、メッスやスイス、イスラエルなどヨーロッパ各地の教会などにその作品を残した。

 中でも、ここ聖シュテファン教会は最後の制作場所だった。1985年に亡くなるまでの間精力的に力を注ぎ、教会前方9枚のステンドグラスを完成させた。

 以後、その仕事を引き継いだのはガラス職人チャールズ・マルク。すべての作品が完成したのは実に2000年だったという。

 チャールズ・マルクは、シャガールがステンドグラス制作を手掛けてからずっと、共に仕事をしてきた盟友。マルク・シャガールと同じ名前を持つことから、「もう1人のマルク」とも呼ばれている。

 描かれた様々な聖書の物語のうち、深い知識がなくともわかったのは、この絵。アダムとイヴが禁断の木の実を取ろうとしている場面だ。

 ステンドグラスの横に据えられたパイプオルガンのパイプが、差し込む青い光を受けて微かに輝く様も荘厳さを感じさせた。

 また、ひっそりと置かれた聖人像が、背後のステンドグラスの光によってくっきりと輪郭を浮かび上がらせる瞬間もあった。

 こんな色彩だけのものも。

 それもかえって青の奥深さを印象付けている。

 アップしてみると、嵐のうごめきにも感じられる。

 一方で満月のような丸い輪郭は平和なたたずまいを思わせる。

 そんな形容しがたい空間に、心を清められるような時間が過ぎて行った。

 

 

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マインツ② シャガールのステンドグラスによって、ザンクト・シュテファン教会の空間はまさに幻想世界と化していた

2019-10-22 | ドイツ・マインツ

 シラー広場を抜けて、ザンクト・シュテファン教会を目指した。実は、この教会がマインツ訪問の1つの目的地。ここにはマルク・シャガールののステンドグラスがあるからだ。

 教会の塔が見えてきた。坂の上に建っている。

 入口に着いた。ドアに杖が斜めに付いていて、ドアノブは魚の形。とても面白いけど、閉まっているということは閉館中なのかも? 一瞬不安に襲われたが、カギはかかっておらず中に入ることが出来た。

 まず心を打たれたのが、その青さ。中央の主祭壇から入り込むわずかな光が、教会全体を深い青の世界が支配している。この日は朝から曇り空。あまり外の光が入ってこなかった。それがかえって青さを引き立てる効果を引き出していたのかもしれない。

 たまたま他に人がいなかったせいもあり、キーンと耳が鳴るくらいの静寂の中にたたずむ。まるで海の底。

 しばらく椅子に座り無言でその世界にひたった。

 そのうちに晴れ間が出たらしく、差し込む光が次第に強くなってきた。ゆっくりと立ち上がり1つ1つのステンドグラスに注目してみた。

 主祭壇のステンドグラス。上部の三つ葉のクローバー形には赤い球を投げる人の姿が。

 空を飛ぶ人たち。

 赤い衣を纏った王と、見守る人たち。

 浮遊する少年の下には、うずくまる青い衣の男。

 多くの人達に見守られて・・・

 大きな羽を持つ天使に抱えられた人が空に向かう。

 聖書の物語が題材になっているようだが、かなり象徴的な表現で具体的な内容は不明。だが、描き出される絵画はまさにシャガールそのものの幻想世界だ。

 

 

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マインツ① シラー像を筆頭に、街中に彫像があふれるユーモラスな街を歩いた初日

2019-10-19 | ドイツ・マインツ

 今回からはドイツ南部の街マインツの散策を始めよう。

 マインツはライン川とマイン川の合流地点に位置し、交易の拠点として栄えてきた。その繁栄の証しの1つとしてはこんな歴史的事実がある。ドイツ皇帝は7人の選帝候によって選ばれたが、その7人のうちの首席選帝者の地位はマインツ大司教が占めていた。 その繁栄ぶりは「黄金のマインツ」と呼ばれていたことでもうかがえる。

 今は人口約20万人、中都市といったところだが、落ち着いた雰囲気のたたずまいだ。

 そんな街を歩いた。フランクフルトから電車で30分、空港からだと25分という地理上の利点がある。街を歩きだしてすぐに気づいたのは、道路のあちこちに彫像が目立つこと。まずはその像たちに注目してみた。

 シラー通りを歩いていくと、ビールグラスを持った陽気なおじさんに遭遇。

 道化師が路上で踊っている。

 こちらにはドラムをたたくヒゲじいさん。

 と思えば、なぜか東洋風の涅槃像まで。

 中でも、最も目立ったのが、この通りの名前ともなっているシラーの像。フリードリヒ・フォン・シラーはダンテと並び称されるドイツ古典主義の代表者だ。数多くの著書を残しているが、我々にもなじみ深いものある。

 ベートーベン作曲の交響曲「第九」。年末に日本でも各地で歌われる「歓喜の歌」の詞は実はシラーによって作詞されたものだ。

 また、こんな言葉も残っている。「迷い夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ」。

 「子供じみた」と思えるようなおどけた彫刻群も、実はこうした精神が底辺に漂っているのかもしれない。

 シラー像の近くにあった、雨傘を差す子供の像では、母子の憩う姿があった。

 彫像にも増して目立ったのがこの噴水。というよりもモニュメントといった方がいいような構築物がみつかった。

 ちょっと部分をアップしてみよう。あちこちに沢山の人がいる。この群像は、2月に行われるカーニバルで市民たちが楽しむ風景を表現したものだという。

 子どものアップ。

 とんがり帽子の子らが飛び跳ねている。

 月や星もあちこちに。

 よく見ると、ずらりと丸い顔が勢ぞろい。

 こうして半日歩いただけで、もうこんなにいろいろの像が見つかった。マインツの街と市民が豊かでゆとりのある歴史を積み重ねてきた証なのだろうな、と納得したマインツ初日だった。

 

 

 

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ヴェネツィアあちこち⑮  夕暮れから夜へ。ヴェネツィア滞在最後の日、サンマルコ広場で見つめた光と闇 

2019-10-15 | イタリア・ヴェネツィア

 サンマルコ広場に夕暮れが近づいてきた。ライオン像を載せた円柱と鐘楼が背比べをしている。

 その鐘楼の横に出ている月はちょうど半月。

 まだ、マッジョーレ教会側の空は明るいが、ゴンドラの影が長くなってきた。

 西の空に夕陽が沈んでゆく。

 鐘楼の存在感が、さらに増してくる。

 旗を掲げるポールの先の像が、雲をバックにシルエットを描く。

 聖堂のサンマルコ像が、夕闇の青空に包まれ始めた。

 中空の月が輝きを増してくる。

 広場横の行政館に照明が入り、一気に華やかさを纏う。

 街灯の明かりが強くなった。対岸のマッジョーレ教会は闇に沈もうとしている。

 その教会と、彼方に広がる船誘導用のランプが、海面に光の円を描いて浮かび上がった。

 サンマルコ大聖堂は、黄金の輝きでヴェネツィアの夜を支配し続けている。

 

 

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