新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

モンサンミッシェル⑥ 砂州を歩いて渡る人々を見て、厳島神社の鳥居を思い出す

2020-06-30 | フランス・モンサンミシェル

 戻り掛けにもう1度砂州を眺めると、あ、小さなものが動いている。そうだ、何組かのグループが引き潮の時間帯を利用して砂浜を歩いて渡っているようだ。

 そうしたツアーも催されていることは聞いていた。今は歩けるが、それが満潮になったら砂浜は完全に海に没してしまい全く様相を一変させる。

 かつて巡礼にためにモンサンミッシェルを訪れた人たちの中には、急激な満ち潮の事を知らずに島に渡ろうとして、遭難してしまったケースが数知れずあったという。

 途中レストランに寄って軽い食事を摂った。

 テーブルからすぐ上に、修道院と尖塔がそびえていて壮観だ。

 ここにも長い階段を見つけた。こうした光景は、やはりモンサンミッシェル自体が高い岩山であることを思い起こさせる。

 出入り口付近に聖母像が飾ってあるのを見つけた。

 改めて砂州の遠景を眺めながら戻ってくる。

 今の時間は引き潮の時間帯。はるか対岸まで歩いて渡れそうな状態だ。

 そういえば、広島・宮島の厳島神社の鳥居へも歩いて往復したことを思い出した。モンサンミッシェルと宮島が友好都市になっているのも、こうした地形的な類似性の縁なのだろう。

 

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モンサンミッシェル⑤ 驚異の回廊から、ミカエルが司教の頭に指を突き刺す脅威のレプリカまで

2020-06-27 | フランス・モンサンミシェル

 聖堂を抜けて中庭に出た。その美しさから、ここはラ・メルヴェイユ(驚異)とよばれる、13世紀に完成しいた回廊。庭を挟んで円柱が二重に配置され、静寂な空間を形成している。細い柱は137本もある。

 ここからもそびえる尖塔はくっきり。

 眺めも広々としている。

 この3階には中庭と回廊があると共に、食堂も設けられている。

 ちょっと食堂のイメージには合わない感じ。だだっ広いとさえいえるような場所。

 実は修道院において、食事は信仰生活の要となる重要な儀式だそうで、みんなでワイワイにぎやかに食事をする訳ではないのだそうだ。

 2階部分には貴賓室がある。貴族階級の客を迎える部屋で、16世紀までは歴代のフランス王が必ずここを訪れていた。ほっそりした円柱が並び、ゴシックの様式が残されている。

 大天使ミカエルがオベール司教に修道院建設を命じる姿がレプリカとして残されていた。

 実はオベール司教はその命令には2度も応じなかった。そこで大天使は実力行使。司教の頭骸骨に親指で穴をあけてしまう。これで本当にびっくりした司教がようやく聖堂建設に着手したーとされる。

 ほんまかいな!  と思うけど、その頭に指を突き刺すシーンがこのレプリカに再現されているというわけ。

 さらに大天使ミカエルの、尖塔の天辺にある像の姿を再現した像も陳列されていた。

 

 

 

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モンサンミッシェル④ 長い階段を上って修道院へ。ただ、内部は「取り残された空洞」のイメージ

2020-06-23 | フランス・モンサンミシェル

 ようやく修道院への大階段が見えてきた。

14世紀から15世紀にかけて築かれた階段は90段。そそり立つような急こう配だ。上り切ってからチケット売り場があり、そこからが修道院の本体に突入ということになる。

 階段途中からさっき見てきた展望所が垣間見える。

 入場した後も、またまた階段。

 その上にある海抜80mの展望台「西のテラス」に到着した。

 ここからは、さきほどの眺めに加えてサンマロ湾の広角度の展望が広々と楽しめる。

 目の前には聖堂があり、大天使ミカエルの像が先端に立つ尖塔も間近だ。

 修道院の内陣に入ってみた。ここは15世紀に建設されたゴシック様式の建築。高く高く柱が伸びて壮大な空間を感じることができる。

 レリーフもいくつか。

 ただ、途中で城塞や監獄に使われたことから、内部を装飾する像や絵画などはほとんどなく、がらんとした印象だ。

 聞いてみると、15世紀にはロマネスク様式の内陣が壊れ、18世紀には身廊と修道院の半分も崩壊したということで、残されているのは全体の半分もないとのことだ。

 外観の凄さとは対照的に、内部は「時代に取り残された空洞」といったイメージが色濃く漂っていた。

 

 

 

 

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モンサンミッシェル③ 島内を歩き始める。オムレツの店からグランド・リュを通って修道院へ

2020-06-20 | フランス・モンサンミシェル

 島に入った。唯一の入口は前哨門。そこから「王の門」を抜ける。門には跳ね橋がついており、ここで敵の侵入を防ぐ仕組みになっていた。

 すぐに派手な赤いテントが見えてきた。ああ、ここが名物の特大オムレツで有名なレストラン「ラ・メール・プラール」だ。1888年創業という伝統の店。

 ちょっと覗いてみよう。すんなりと調理場まで入れてしまった。

 2人の女性がボールに沢山の卵を割り入れてかき混ぜている。

 トントントンと、かき混ぜる時の軽快なリズムが調理場中に響き渡る。ふと、川崎大師に行った時の、店先で飴を切るリズムを思い出してしまった。

 そこを過ぎるとメインストリート。グランド・リュとは「大きな通り」という意味だが、実際は人のすれ違いにも気を使うような狭い通り。

 ちょうど団体さんが入って来たので、かなりの混雑具合になってしまった。両側には土産物店、ホテル、レストランなどが軒を連ねている。

 途中、城壁の外を見ることが出来る小広場があった。

 そこから見る周辺は、砂州の広がり。

 干潮の時間帯だったので、海水はかなり沖合まで引いていて、

 いくつかの小さな流れが筋を描いていた。

 遠くに島が見える。3キロ沖合のあの島はトンブレーヌ岩というところだそうだ。

 振り向けば修道院が険しい崖の上にそそり立っている。

 その影が水面にくっきりと映り込んでいた。

 

 

 

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モンサンミッシェル② 聖堂~城塞~~監獄。海のバスティーユ~海上のピラミッド

2020-06-16 | フランス・モンサンミシェル

 ガイドブックなどの解説を思い出しながらモンサンミッシェルに向かって歩く。

 この修道院創設にはこんなエピソードがある。対岸の町アウランシュの司教だったオベールは、708年のある夜夢を見た。大天使ミカエルが現れ「かの岩山に聖堂を建てよ」と告げた。オベールがこのお告げに従って小さな聖堂を建設すると、モンサンミシェルは一夜にして周囲が海に沈み、孤島となったという。

 でも、司教といえばそれなりの地位の方。天使くらいに言われた所で、その命令を聞かなくたって・・・。と最初は思った。しかし、ミカエルは大天使。これはちょっとしたえらい天使なのだ。

 聖書には3人の大天使が登場する。一人はガブリエル。神の意志を伝える役割を持つ。あの聖母マリアに受胎の事を告げたのがこの大天使だ。

 また、ラファエルは病気やけがを治す大天使。そしてミカエルは神に最も近い存在で、最後の審判では死者が天国と地獄のどちらに行くかを決める役割持っているという。そういえば、ジャンヌダルクに「フランスを救え」と告げたのも聖ミカエルだった。

 従ってオベール司教はその命令には従わなければならなかったとされる。

 なお、名前の呼び方だが、ミカエルはイタリア語。フランス語だとミッシェルに、英語だとマイケルになる。ああ、ビートルズに「ミッシェル」という名曲があったっけ。ここはフランスなので「モン・サン・ミッシェル(聖なるミッシェルの山)」となるわけだ。

 聖堂から大規模な修道院建設へと改築が始まったのは966年。ベネディクト会によってスタートし、その後何度も改築を重ねて現在の形になった。

 孤立して建つ「海上のピラミッド」(ヴィクトル・ユゴーの言葉)だけに様々な使われ方をしてきた。

 14世紀の英仏百年戦争の際には戦略的な要素から城塞として活用され、16世紀に修道院として復活したものの、18世紀のフランス革命時には監獄として使われた。この時にはパリのバスティーユ監獄の名を取って「海のバスティーユ」と呼ばれたことも。通算の囚人収容人数は1万4000人にも上ったという。

 1863年にナポレオン3世の勅命で閉鎖され、修道院として現在の形に戻ったのは1966年のことだった。

 ようやく島に到着した。さあ、これからモンサンミシェル内部の探索に入ろう。

 

 

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