新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

トスカーナ② キアーナ渓谷の広い草原に際立つサン・ピアージョ教会。菜の花と青空に癒される

2020-09-29 | イタリア・トスカーナ

 モンテプルチャーノは大雑把に「オルチャ渓谷の町」と思って旅に出たのだったが、現地に着いてみると、この町はオルチャ渓谷の外れにあたり、目の前の谷はキアーナ渓谷なのだそうだ。

 でも、この渓谷が美しくないというわけではない。

 赤レンガの家々が手前に並び、その先に緑の風景が広がる。丘陵にはオリーブ畑、ブドウ畑、小麦畑などが全面に展開している。

 家々の屋根も面白い。

 中でも眼下に見えるサン・ピアージョ教会は、渓谷の中のランドマークとしても際立っている。

 高いクーポラを持つゴシック調の建物。

 少し陽が傾いて、教会の壁面に赤味が差した時は、一層印象的だ。

 もう1つ立派な建物が見えた。ここは墓地なのだそうだ。時折野鳥のさえずりも聞こえてのどかな気持ちにさせられる。

 糸杉の林もあちこちに。この日は強風が吹いて、空の雲も流れるように筋がついている。

 そして満開の菜の花。目にも鮮やかだ。

 

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トスカーナ① モンテプルチャーノはのどかな山岳都市。フィレンツェ市庁舎とそっくりの建物も

2020-09-26 | イタリア・トスカーナ

 今回からしばらくイタリア・トスカーナの小さな街を歩いた旅を紹介しよう。行程はフィレンツェからシエナを経由してモンテプルチャーノ、サンクイリコ・ドルチャ、ピエンツァを回り、フィレンツェに戻った旅。

 ただ、フィレンツェ、シエナはすでに紹介しているので、今回は残りの小さな町村の紹介になる。世界遺産にもなっているオルチャ渓谷周辺の美しい風景が目的だった。

 まずはシエナからバスでモンテプルチャーノを目指した。途中オルチャ渓谷を通るので、窓の外の風景に注意しながらのバス旅だ。

 最初にこんな風景が見えてきた。これがオルチャの緑かな。

 ああ、オルチャの中で最も有名な糸杉の風景が、はるかかすかに見える。

 かなり近づいたところでシャッター。だけど天候も曇り、バスのガラス越しなので車内のものも映ったりと、ちゃんとしたものは撮れなかった。残念!

 しばらくして、ようやくモンテプルチャーノの町並みが見えてきた。丘陵の頂上に位置する町。まさに山岳都市のイメージだ。

 モンテプルチャーノは、その地理的関係から古くからフィレンツェとシエナが互いに支配争いを展開してきた。15世紀以降にフィレンツェの領地となったことから、フィレンツェから呼ばれた建築家たちによって、町が形成されてきた。今では観光とワインの町として栄えている。

 まずは街の中心グランデ広場へ。近くに予約したホテルにチェックインし、広場から散策を始めた。ここが町の最も高い場所。中心にドゥオモが建つ。17世紀後半に完成した後期ルネサンス様式だ。ただ、左の鐘楼はその前からあったS・マリア教会のものを転用している。

 右隣にあるのが市庁舎。どこかで見たことのあるような・・・と思ったら、実はフィレンツェのヴェッキオ宮とそっくりだ。

 調べてみると、この建物も15世紀にメディチ家の領主ロレンツォが、フィレンツェで活躍した建築家ミケロッツォに命じて造らせたものだと分かった。道理で似ているわけだ。

 ドゥオモの向かい側には市立美術館があり、その前ではカフェが店を開いていた。なんかゆったりとした雰囲気が漂っている。

 

 

 

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寺社巡り・東京⑩ 2つの鬼子母神堂。角のとれた「鬼子母神」。中止となった朝顔市の復活を祈る。

2020-09-22 | 寺社巡り・東京

雑司ヶ谷と入谷。東京にある2つの鬼子母神を訪ねた。

 まずは鬼子母神とはどんな存在なのか。実はインドの夜叉の娘だ。500人もの子持ちだったが、人間の子供を食べて生活していた。

 それを知った釈迦如来は1つの策を施した。彼女の末っ子を隠してしまうという策だ。これによって半狂乱となった鬼子母神に、釈迦は「子を失った悲しみがどんなものか、わかったろう」と諭した。

 子を失うことの衝撃を痛切に味わった鬼子母神はそれまでの行いを悔い改め、以後彼女は出産、育児の守り神に変身したーーというエピソードだ。

 雑司ヶ谷の鬼子母神堂の看板を見ると、「鬼」の一角目の角がない。鬼から神になったことを象徴してこう記しているということだ。

 境内にある鬼子母神像も、姿かたちはいかめしいが、表情は心持ち柔らかい。

 対して、同じ境内にはこんないかめしい顔の像もあった。

 ここは豊島区とあって、区の象徴のフクロウも鎮座していた。

 ここでは樹齢700年という大イチョウが有名だ。高さは33mにもなる。

 一角にある武芳稲荷の赤鳥居が印象的だ。

 一方入谷の鬼子母神。

 「恐れ入谷の鬼子母神」と、太田蜀山人が詠んだように、地域になじみの神様だ。

 同時に、ここは下谷七福神の1つ福禄寿が祀られたいて、七福神めぐりのコースにもなっている。

 ここの最も有名な行事が、朝顔市。毎年7月に開かれている江戸末期からの伝統行事で、一旦廃止となったが戦後1947年から復活していた。

 出店数は120以上、12万鉢もの朝顔が威勢のいい掛け声とともに売り出される。

 例年は大賑わいの行事なのだが、今年はコロナ禍によって中止。寂しい結果となった。(写真は4年前の風景)

 

 

 

 

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寺社巡り・東京⑨ 柴又・帝釈天。寅さんとさくらの出迎えを受けて、精密な彫刻ギャラリーに驚く!

2020-09-18 | 寺社巡り・東京

柴又・帝釈天といえば、寅さん。

 日本人なら誰でもすぐに思い浮かぶ組み合わせが、帝釈天とフーテンの寅次郎だ。その想定通り、柴又の駅を降りるとすぐに寅さんが出迎えてくれた。

 さらに、数年前からさくらの像も追加された。この向きを見ると、また旅に出ようと駅に向かう寅さんをさくらが見送るシーンのようだ。

 駅から数分、門前町から歩くと。帝釈天の入口・二天門が見えて来る。

 門をくぐると、帝釈堂の建物。正式な名前は日蓮宗経栄山題経寺というらしい。

 この建物の中に、すごい芸術が控えている。彫刻ギャラリーと題された一角だ。

 10枚の胴羽目。縦1.27m、横2.27mの板10枚に、法華経の説話から選び出されたシーン10題が、精密な細工で掘り出されている。

 これは風神雷神図のようだ。

 一人一人の仏たちの姿が、鮮明に浮かび上がってくる。

 龍が飛び出してきた。

 大正末期、最初に彫刻師加藤寅之助(あら、この人も寅さんだ!)が1枚を完成。その後東京の9人の彫刻師に依頼してトータル10数年をかけて完成したという。あまり知られていないのかもしれないが、一見の価値は十分にある。参拝の折にはぜひここまで足を延ばしてほしい。

 その奥には、遼渓園という日本庭園があり、ここでゆったりと憩うことも出来る。

 

 

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寺社巡り・東京⑧ 豪徳寺は招き猫発祥の寺。背後で井伊直弼の墓が猫たちの大群を見守る。

2020-09-15 | 寺社巡り・東京

 二両編成のローカル線・東急世田谷線に乗って宮の坂駅で降りると、目的地の豪徳寺に到着する。

 初めてここに来た時、本当にびっくりしたのがこの招き猫の大群だ。

 運を授かった人たちが、お礼の意味を込めて奉納した招き猫たちが、寺の一角に溢れんばかりに「住みついて」いる。

  そのきっかけとなったエピソードは17世紀にさかのぼる。彦根藩二代目当主井伊直孝が、鷹狩りの帰りに寺を通りかかると、門前にいたネコが手招きをしている。

 興味を抱いた直孝が寺に入り、僧侶の話を聞いていると、直後に激しい雷雨が一帯を襲った。雨が上がり、一行はこの猫のおかげで雨の直撃を避けることが出来たとし、以来豪徳寺を自らの藩の菩提寺とすることにした。

 これによって豪徳寺自体も大名の守護を受けることになり、お互いがウインウインの関係になったというわけだ。

 発祥とされるここの招き猫は、よくみかける大判を掲げた姿ではなくて、素朴に右手を上げた格好だ。

 井伊家の中でも最も有名なのが井伊直弼。幕府の大老を務めたが、1860年桜田門外の変で暗殺されてしまった。その彼の墓もここに立てられている。

 墓のすぐ近くには三重塔。現在の塔は2006年に建てられたという新しいものだ。

 赤頭巾をかぶった六地蔵は、ちょっとかわいい感じ。

 対して大きな香炉の上に鎮座した獅子像は、何とも恐ろしい表情をしている。

 小さな招き猫を購入し、帰りも世田谷線の車両に乗って家路についた。

 

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