新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

パラティーナ美術館でラファエロ三昧。若くして逝った母のイメージが聖母像に?

2018-10-30 | イタリア・パラティーナ美術館

 ウフィツィ美術館の次はヴェッキオ橋を渡った先にあるピッティ宮殿のパラティーナ美術館へ。宮殿の美術品を現在の区画に集めた時の展示方法そのまま。縦に何列も重なった形で展示してある。

 ここではラファエロの作品を中心に見て行こう。

 ラファエロが生まれたのはイタリア中部のウルビーノという都市。宮廷画家だった父のもとで育った。

 生家は領主ウルビーノ公の館にほど近い場所。ここで子供のころからその才能を発揮し出して、15歳の頃当時の一流画家ペルジーノの工房に入って修行を始めた。

 そして1504年、21歳でフィレンツェへと向かった。

 フィレンツェでほぼ最初に完成させたのが「大公の聖母」。後にトスカーナ公がこの絵を気に入り、常に手元に置いていたことから名前が付けられた。

 伏し目がちな優しい聖母の表情や子供の仕草には、大公ならずとも一瞬で気に入ってしまう。

 「小椅子の聖母」。「大公の聖母」の10年後の作品。実はラファエロはフィレンツェに1508年までしかいなかったために、完成させたのはローマに移ってからのことだった。

 慈しみに満ちた中にも、鋭いまなざしを感じさせる聖母は、数あるラファエロの聖母子像の中でも白眉の出来栄えだ。

 フィレンツェ滞在中には、S・M・ノヴェッラ教会でモナリザを制作中のレオナルドをしばしば訪れては彼の画法を学んでいった。その中でモナリザと似たポーズをとる女性像のスケッチや肖像画も製作した。

 その中の1つ「マッダレーナ・ドーニの肖像」は、まさにモナリザと同じポーズだ。遠目で見れば落ち着いた中年女性のたたずまいと見える。

 だがその表情は、レオナルドは神秘的に仕上げたのに対し、ラファエロの女性は冷淡で辛辣な表情を垣間見せる。一癖も二癖もあるといわれるフィレンツェ女性の性格までもリアルに描写している。

 また「ヴェールの女」はラファエロの恋人、ローマのパン屋の娘フォルナリーナを描いたとされている
が、彼は「美しい女性を描くには多くの美しい女性を見なくてはならない。私はそこから1つの女性像を引き出すのです」とし、モデルをそのまま写し取ってはいないと語っている。
 
 一方でラファエロは幼くして母の死を経験している。瑞々しさを保ったまま永遠に彼の前から消えてしまった母のイメージを、常に聖母像に抱き続けていたのでは、とも考えたくなってしまう。

 ラファエロの師匠であったペルジーノの作品もこの美術館にある。

 彼の代表作の1つ「袋の聖母」。

 聖母の柔らかい慈愛を思わせる横顔は、ラファエロにも引き継がれていったことを思わせる。

 ラファエロの聖母像の多くはフィレンツェ滞在中に着手されており、25歳前後という若々しい感性の中で、聖母の画家としての画風を確立していったということのようだ。

 
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ウフィツィ美術館の名画たち ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ラファエロ、そして珠玉の彫刻

2018-10-27 | フィレンツェ・ウフツィ美術館
 
ウフィツィ美術館3回目は聖母以外の作品を個人的趣味で選んでみた。

 まずはレオナルド・ダ・ヴィンチが最初に頭角を現した作品「キリスト洗礼」。実はこの作品は彼の師匠であるヴェロッキオのもの。

 ただ、ヴェロッキオが自分の作品の端に弟子入りしたレオナルドに天使を描かせたところ、この弟子は見事に素晴らしい天使を描いてしまった。これを見た師匠はびっくり。それ以降絵を描くのを断念したと伝えられる。

 そのレオナルドが後年描いた「東方三博士の礼拝」。未完成ながら、聖母を取り囲む人々の渦が画面いっぱいに広がっている。ちょうど6年にわたる修復を終えて限定公開中の絵に出会えた。

 アントニオ・ボッライウオーロ「貴婦人の肖像」。1400年代のフィレンツェの貴婦人特有の髪型と耳を覆う薄いヴェール、輝く金髪など繊細な描写が光る絵だ。

 ラファエロの「自画像」。甘いマスク。とても女性にはもてたそうで、そのために短命に終わったともいわれている。‟美男薄命”?

 ティツィアーノ「フローラ」。ヴェネツィアで絵画の王といわれた巨匠の初期の代表作。花と豊饒の女神フローラを瑞々しいタッチで描いている。実は自分の婚約者の肖像とも。

 そのティツィアーノがセンセーションを巻き起こしたのがこの「ウルビーノのヴィーナス」。しわの寄ったシーツに全裸で横たわるヴィーナスは、右手に愛のシンボルであるバラの花束。そして挑発的なまなざしで前を見つめる。まさに官能あふれるこの絵は娼婦がモデルだったという。

 ただ、その繊細な描写は他の追随を許さず、高いレベルの気品さえ漂わせる名作だ。

 次にちょっと時代を飛ばしてカラヴァッジョの「若きバッカス」。酒の神バッカスは若々しい表情だが、腫れぼったいほほや腐りかけの果物など容赦ないリアリズムによる表現は彼らしい。

 ブロンズイーノ「エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」。メディチ家のコジモ1世の妻と息子を描いた。スペイン風の衣装の豪華さと対照的な母子の静かさが印象的。

 つぎに彫刻も見て行こう。

 ここはトリブーナと呼ばれる部屋。もともとは事務所だったこの建物だが、そのころからトスカーナ公フランチェスコ1世の個人的な美術収集品はこの部屋に集められていた。つまり、ウフツィ美術館の原点ともいうべき部屋だ。その中心にあるのが「メディチ家のヴィーナス」。

 この横たわる女性像は「眠れるアリアドネ」。古代彫刻だが、体をねじらせて立体感を強調させたこの像は、実はミケランジェロの作品「聖家族(トンド・ドーニ)」の前に置かれており、その影響を比較、感じることが出来る。

 「眠るエルマフロデイト」これも紀元前2世紀ころの彫刻だ。

 このほかにもこんな美しい頭部だけの像もあった。

 とにかくまともに見れば1週間もかかりそうな膨大な作品群なので、ほんの一部だけのピックアップだったが、それでも満腹状態で館を後にした。次はパラティーナ美術館かな。


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ウフツィ美術館の聖母比べ下 「ムキムキ聖母」ミケランジェロ、「慈しみ」のラファエロ、「長い首」のパルミジャーノ

2018-10-23 | フィレンツェ・ウフツィ美術館

 ミケランジェロ「聖家族」

 フィレンツェではミケランジェロの彫刻作品をたくさん見ることが出来るが、実は絵画作品はこれが唯一の作品だ。フィレンツェ商人アニョロ・ドーニ夫妻の娘マリアの誕生を記念して描かれたものらしい。

 何といってもミケランジェロ作品の特徴はその身体つき。聖母像にしてもこの腕の筋肉などそのムキムキさは、まさに男を表現する芸術家としての本領をいかんなく発揮している。(聖母様なんだからそんなにムキムキにしなくても… と思うのだけれど)。


 ちょうど古代彫刻の傑作であるラオコーン発見後に描かれたらしく、後方の若者像はラオコーンをモチーフとして描いているのも注目点の1つだ。

 ラファエロ「ひわの聖母」

 レオナルド・ダ・ヴィンチ風のバックの中央に浮かび上がる聖母子と洗礼者ヨハネ。

 ラファエロ特有の慈しみに溢れた聖母像は、いつ見ても心は安らぐ。(ラファエロの作品については、パラティーナ美術館編の時に少し詳しく掲載する予定です)

 パルミジャーノ・レッジャーノ「長い首の聖母」

 曲がりながら長く伸びた体のデフォルメ。マニエリスムの典型的な作品だ。

 立っているのでも座っているのでもない不安定さ、何も支えていない柱。落ち着かない気分にさせる絵画だ。
 ただ聖母のしなやかさはコレッジョにも通じるパルマ派の特徴かも。

 アンドレア・デル・サルト「ハルピュイアの聖母」

 フィレンツェにおけるマニエリスムの先駆者である作者の代表作。聖母の衣装の鮮やかなコントラストも見所の1つだ。

 コレッジョ「イエスを礼拝する聖母」

 生まれたばかりの輝くイエスを心から愛しむように見下ろす聖母。コレッジョ特有の優しさあふれる聖母の姿が心にしみる。

 このように1つの美術館内の至る所に聖母の姿が見つかる。しかも様々な変化に富んだ表現方法で。私は夜間開館の日に夕方に入ったので、ボッティチェリ以外の作品はゆったりと鑑賞することが出来た。夜間開館日はお勧めです。


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ウフツィ美術館の聖母比べ上 「自分の妻」のリッピ、「いやいや」のシモーネ、「長すぎる右手」のレオナルド。

2018-10-20 | フィレンツェ・ウフツィ美術館
 前回まで連載したボッティチェリ絵画の大半はウフィツィ美術館に展示されている作品だ。そのウフィツィ美術館にはルネサンス時代を中心とした膨大な作品群がある。そこで、ボッティチェリ以外の主な作品を見て行こう。今回は数多い聖母を描いた作品。

 フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」

 ウフツィ美術館でも人気の高い作品の1つ。清楚な聖母像。その横顔はうっとりするほどの美しさと共に親しみをも感じさせる。

 それまでの聖母像は、崇高な存在として描かれてきたのだが、リッピは遠く近寄りがたいという聖母像の観念を覆してしまった。

 なぜなら、この聖母像のモデルは、修道院から連れ出して自らの子を産ませた修道女ルクレチア。幼子キリストのモデルは二人の子供であるフィリピーノという、実生活の人物を聖母子として描き出した絵画なのだ。リッピさん、やりますねえ!
 それ以降、聖母像は美人画の対象ともなって行き、彼の弟子だったボッティチェリによってその流れが確立していったのだろうと思われる。

 シモーネ・マルティーニ「受胎告知」

 これほど大げさに体をひねった聖母像は見たことがない。まるで、イヤイヤをしているようだ。

 でも実ははにかみながらも喜びを含ませているようだ。

 アップしてみると、大天使ガブリエルと聖母マリアとの間にラテン語の文字が書かれている。

「おめでとう恵まれし方 主があなたと共におられる」
 
 主の子供を身ごもったことを伝える言葉だ。

 通常聖母は純潔を示すユリを持っているのだが、ここでは大天使がオリーブの枝を持っている。実は、ユリはフィレンツェの紋章だ。そして作者はフィレンツェのライバルだったシエナ派の代表格であるシモーネ。
 ライバルの紋章を描くのを嫌ってオリーブにしたとされている。こんなところにも政治的な対立が反映していたということのようだ。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」

 ご存知レオナルドの傑作。彼の描く聖母はかなり若々しい。

 まるで少女のような顔立ちだが、その一方でなんと貫禄十分なのだろうか。妊娠の告知にも動揺など全く見られない。シモーネの聖母とは実に対照的だ。

 また、大天使ガブリエルの翼の何と立派なことか!

 背景の風景など「モナリザ」の背景に通じる空気遠近法を見ることが出来る。

 何もかも堂々とした絵画。でもどうして聖母の右手はこんなにも長いのだろうか?

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ボッティチェリとフィレンツェ⑦ 「誹謗」 孤高の傑作の誕生、そして失意の中での死。 

2018-10-16 | ボッティチェリとフィレンツェ
 1492年、ボッティチェリを最も信頼し,重用したメディチ家の当主ロレンツォ豪華王が死去する。それと相前後して1490年にサンマルコ修道院に移ったサボナローラが、神権的政治でフィレンツェを支配するようになった。

 彼は1494年には官能的な絵画の焼却までも行った。

 そんな暗い世相の下で1495年に描かれたのが「アベレスの誹謗」だ。

 アベレスとは古代ギリシャの著名な画家。彼が描いた作品「誹謗」は現存していないが、その作品を詳細に記した文献が残っており、これを基に復元を試みた画家が何人かいた。マンテーニャ、デューラーなど。
 その中でも秀逸な作品がこのボッティチェリの作品だ。

 画面は右から左へと動いてゆく。

 右にある玉座に座るのはロバのような長い耳のミダス王=審問官で「不正」を表す。

 彼(不正)の後ろで2人の女性「無知」と「猜疑」が彼の耳に疑いの種を吹き込んでいる。

 「不正」が右手を伸ばした先には、フードの付いた黒服を着た男「妬み」。

 「妬み」は尖った爪の先を「不正」の前に突き出して、真実を見えなくさせる。

 一方で、右手で松明を持った「誹謗」(若い青服の女性)の手をつかんでいる。「誹謗」の持った松明は復讐と憎悪の火の象徴だ。

 その「誹謗」は無知ゆえに若い裸体の青年「無実」の髪の毛を引っ張って「不正」の前に連れて行こうとしている。

 「無実」はひたすらに手を合わせるだけだ。

 「誹謗」の後ろでは、若い侍女「欺瞞」と「嫉妬」とが「誹謗」の髪をとかしている。

 そんな騒動の左側で「後悔」(葬儀用のマントをかぶった老女)は後ろを振り返り、そこには一人孤立して天を仰ぐ「真実」がいる。

 誹謗中傷にあった人物の悲惨さを寓意的に描いたものとされる。 

 この絵はまさにフィレンツェという社会が深く暗い世相に包まれた時に描かれた。テーマがテーマなだけに、明るく突き抜けるような優美さは失われてしまっている。
 そして10数年前の「ヴィーナスの誕生」時代の甘美な画風を好んだ民衆からの支持は次第に失われていった。

 一方でサボナローラの権威も失墜し、ヴェッキオ宮殿の建つシニョーリア広場で処刑されてしまった。

 それを示すプレートが今も広場中央付近に残っている。

 1500年に描いた「死せるキリストへの哀悼」も暗い色調に包まれている。

 これ以降ボッティチェリはほとんど絵を描かなくなってしまい、画壇からは忘れられた存在となる。

 そして1510年、失意の中で永遠の眠りにつき、フィレンツェルネサンスもまた終焉を迎えることとなった。

 ただ、改めて「誹謗」を眺めると、人の動き、色彩、高低差、、、流麗でダイナミックな構図もまた他の追随を許さない。
 手の位置を追ってゆくだけでもその美しい曲線の行方に見とれてしまう。

 ボッティチェリはm まさに「線」の画家であった。

 これで「ボッティチェリとフィレンツェ」を終了します。ここで使用した絵画作品の大半はウフィツィ美術館所蔵のものです。同美術館にはボッティチェリ以外の名作も数多くあり、次回からはそれらの作品の紹介をしたいと思います。


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